本牧読書日記。ジュリアン・サンクトン「人類初の南極越冬船」・ベルジカ号の記録(パンローリング(株))。1897年8月ベルギー・アントワープを出港した南極探査の機帆船「ベルジカ号」は、南極海の氷に閉じ込められ奇跡的脱出に成功するまで想像を絶する困難に陥った。マルコーニの無線通信が普及する前の時代で救出を要請する手段もなく、気まぐれで猛烈な風雪と海潮流のままに漂流する同船は「クルミ割り器の中のアーモンド」のような存在。氷の圧力に屈した船底破壊や大氷塊のでんぐり返しにあって、いつ18名の乗組員もろとも海中に沈むかも知れない運命にあった。壊血病はペンギンやアザラシの生肉を摂ることで何とか凌げた。

隊員を襲うのは恐怖、不安、単調さ、閉塞感、そして極端な孤立感である。

だから本書の原題は「MADHOUSE at the END of the EARTH」。極めて日光の乏しい季節での気の狂うような世界の果て。実際に帰国後も含めて精神疾患に苦しむ隊員が何人かいた。

本書は米国ジャーナリストにより語られる苦闘の越冬物語と、その後の人生物語である。


同船はベルギー船籍。列国の極地探査競争で小国ベルギーとは珍しい唯一の例である。

隊長は計画発案者のジェルラッシュ。船長ルコワントと共にベルギー人である。

隊長は自らが呼び掛けた募金に応じた多くの出資・寄付者への責務と祖国の威信をかけて南極点初到達の偉業(それが達せられなくても何らかの栄誉ある実績)を是非とも実現しなければならない。

しかし名門出の為かリーダーに必要なカリスマ性に欠けていて善良だけれど頼りない。

出港後様々な困難(船の修理、反抗船員4人の南米での解雇、嵐で1人の船員を失いビーグル海峡で座礁、その為に清水補給での回り道等々)に遭遇して、当初からずっと不運な海路であった。

その為、南極海に到達した時は「最適時期」を過ぎていた。

海が凍りつき全方位からの進入を拒む暗黒の季節がくる前に上陸目的地・南極ヴィクトリアランドにたどり着く事ができず、氷塊につかまってしまい南極北辺のベルングスハウゼン海を98年2月19日から翌99年3月13日までの1年余、風と海流の動きのままにさまよい漂流したのである。


漂流中の主人公は4人いる。先ず隊長ジェルラッシュ。彼は季節はずれにも拘わらず目標達成を目指して氷海に突入した責任と乗組員を共連れにしてしまった懊悩に苦しむ。幼馴染みの親友船員の病死もあり殆ど自室に閉じこもり悩み抜いていた。船長ルコワントは同国人として隊長に同情する。

たくましいのは航海長・ノルウェー人アムンセン(あのアムンゼン)と船医・米国人クックの2人の外国人であった。彼等はそれぞれ北極海でナンセン(ノルウェー)、ピアリー(米国)の隊に加わり死と隣り合わせの遭難を既に経験していた。身動きがとれなくなった氷結船の放棄、野営、コンパス頼りの放浪、狩猟による僅かな食べ物、そしてイヌイットやシベリヤ猟師に死の寸前で救われた経験である。

だからこの2人は現地人に学んだ極地生活の知恵(寒さをしのぎ汗が籠らない衣服・靴・手袋、円錐形状で強風に耐えるデザインのテント、切り出し氷で築く小屋・イグルー、犬や人間の引くソリ等の運搬方法、荷積・荷造りの仕方、狩猟、調理方法、生食等々)を身に付けていた。それに地形、氷雪と氷海、クラックの見きわめと空とコンパスによる進路判断等々、生死を分ける土壇場での経験である。

ただ南極圏は北極圏を上回る未知と危険の地である。決定的な違いは北は僅かながら有史以来の有人の地であり近世になって探査の歴史がある。対して南は全くの無人大陸で、ドレーク船長が南米・ホーン岬と南極北端・グレアムランドの間の海峡(ドレーク海峡)から大陸を遠望した昔からめぼしい探査の歴史はない。上陸・越冬者はなく白紙の大陸。僅かな地図も現地に来てみれば誤りばかりで殆ど役にたたない。

全てが未知の氷界。ベルジカ号はまさしく「人類初の南極越冬船」なのである。

アムンセン、クック、ルコワントの3人は実質的なリーダーとなり果敢に動いた。

まだ氷海が動き出さない内から脱出に備えての実に危険な偵察行(残念ながら成果なし)、動揺と不安の船内の統率、ペンギン狩猟や船近くに観測小屋を作ったりの屋外活動などを率先・主導した。

医師クックは希望へのポイントは生肉、運動、どん底から少しずつ強まる日射しと見定めて、隊員から希望を失わせない工夫や助言に能力を発揮する。


ともかく狭い船内、船外も日が射さない暗い世界だ。当然に感情衝突が頻発する。特にアムンセンが知ることになったベルギー人同士の密約(隊長に万一の事があれば後継者はベルギー人に限る)には実質リーダーを自認する剛直なアムンセンの怒りが爆発し一時は険悪な空気が漂った。しかし冷静にかえったアムンセンは以後もリーダー格の責任と誇りは放棄することなく務めた。そんな事で騒ぐ余裕はないのだ。最大の問題は隊員の精神問題であった。希望への一致した協力がなければ共倒れは明らかである。

徐々に日射が長くなり白夜が続いても氷の状態は改善せず、あれこれ調査し対策を講じても打開の目処がたたない。氷の爆破用のトーナイト(ダイナマイトより安全で結構な量を積み込んでいた)が船内湿気やネズミ害で効力が半減した衝撃も大きい。もっとも完全であっても打開には氷の状態が手強すぎた。

遂に犠牲者が続発するであろう2回目の越冬も考慮の対象にせざるを得ないという「MADHOUSE」も最悪状態に陥った。98年のクリスマスはそんな空気の中で迎えた。

しかし3人のリーダーは決して諦めない。感化され積極的に同調・協力する隊員が増えてきて結束はむしろ固まった。危機におけるリーダーの役割がいかに重要かがよくわかる。

年が明けてやっと少しずつ好転してきた。船首側2km、船尾側700m先に水面が現れたのだ。

全員で班を作り交替で昼夜兼行の溝作りを先ず進行方向の船首側から始めた。ノコギリを2枚繋げて3人で氷を引く。大変な重労働である。爆破の効果も少しは貢献した。しかしやっと掘り進んだと思っても氷が動き雪も降って溝は埋まってしまう。遂に船首側は諦めて距離が短い船尾側に挑戦の対象を変えた。その為には船の回りを切り開いて円状の池を作り船首を180度回転させなければならない。これまた大変な作業。その上で前回より短くなったとはいえ水路の溝切り作業である。この必死の作業に神様が微笑んでくれたのか、遂に万分の一の奇跡で氷が動き溝が広がりやっとの思いでベルジカ号は外海に出る事ができた。

3月28日南米南端・プンタ・アレナスに入港。生きて帰れたのだ。もう「南極点」なんか忘れ去られていただろう、もうこりごりだろうと普通は思う。しかし18名は二派に分かれた。

ベルギー人達多数の「こりごり派」とアムンセン、クックの「懲りない派」とである。


最終章は「その後の隊員たち」。エピローグだけれどそれに止まってはいない章である。

小国ベルギーは大騒ぎ。連日豪華な歓迎会が続き最高位レオポルド勲章や王立地理学会の金メダルなど栄誉の数々。隊長、船長はそれぞれに航海記を書きいずれも大ヒット。研究員2名(博物学、地質学の各ルーマニア人、ポーランド人)が持ち帰った標本は高く評価され、いまだに大事に展示されている。当時初めての南極標本。「はやぶさの持ち帰った石」みたいなものだろう。だが隊長は一段落すると原因不明の病(精神面?)で1年間のニース静養を要したし、越冬から異常をきたした隊員トーレフセンは帰国後精神病院で一生を送った。歓迎会場で突然失神して倒れた二等機関士隊員もいた。

一方の「懲りない派」の2人は更に波乱の一生を送った。

本書の冒頭は、後年の1926年、米・カンザス州の刑務所診療室に医師クックを訪ねたアムンセン、両者が懇ろに旧交を温める感激の場面から始まる。クックは刑務所の医師である。同時になんと受刑者でもあった。もともと彼は貧家に生まれ苦学して医師となったのだが学生時代から商才に長けており「大風呂敷を広げる」タイプ。越冬中はそれが良い方に発揮したと言える。帰国後米国中は大歓迎。もともとの素質に加えて著名人となって有頂天の彼は地道な医師とはかけ離れた道に踏み込んでしまった。早速体験記を書いたのはまだしも未踏マッキンリー登山隊長や「探検クラブ」会長を務め、南極帰りを看板に講演や興行で資金稼ぎ、1909年にはグリーンランドから極地探検で北極磁極に達したと証拠がすぐに疑われるフェーク・ニュースを新聞社に送り名声は地に落ちた。ピアリーの信頼も失い(もっともピアリーの北極点到達も最近は疑問視されている)、その頃から「記念碑的なペテン師」(本書)のクックが始まる。最終的に彼の罪状は「大がかりな投資詐欺」=ネズミ講。14年9ヵ月の実刑判決で服役。なんとも驚く後半生である。しかし個人としてのアムンセンとクックは心を許し合う昔のままの親友であった。越冬中と何も変わっていない信頼である。

アムンセンは後世に名を残す本物の極地探検家であり続けた。

南極初到達のアムンセン(1911年12月14日)。1ヶ月遅れの翌1月17日、英・スコット隊が極点で見つけたのはノルウェー国旗のテントとアムンセンの置き手紙であった。日本・白瀬隊も加わった南極国際競争。帰途スコット隊は食料デポまで僅か18kmの地点で全滅した。世界中で何十冊という本が出版されているだろう。少年達が誰でも知る有名な探検史である。

そのアムンセンも私生活では金銭問題や友人・親族との不和で順調ではなかった。本書によれば彼の「アムンゼン探検誌」は自伝というより敵意むき出しで客観性を欠く、ベルジカ号上の若き冒険とはもはや別人だという。1928年6月アムンセンと5人の隊員はノルウェー北極圏・トロムセーから飛行艇に乗り込みバレンツ海へと機首を向けた。それが最後の姿で現在に至るまで機体の残骸もアムンセン達の遺品も見つかっていない。


以上が南極越冬物語とその後の人生物語です。

人間はどんな環境にあっても「物語」を作る動物なのですね。

僕は購入してまでは本書を読むことはなかったでしょう。それを今年2冊目の図書館本として無償で借り数日間の読書時間を楽しむ。そして知らなかった「物語」を知る。そんな「出会い」。これも僕の読書の楽しみのひとつなのです。