本牧読書日記。秦野裕介「神風頼み」・根拠なき楽観論に支配された歴史。(柏書房)。

半藤一利がある対談で日本人の欠点として「当座しのぎの根拠のない楽観性」と「排他的同調性」の二つをあげたという。本書冒頭は「これこそまさに神風意識によって形作られた欠点といってよいでしょう」として、その特徴を①楽観的な思考②厳しい現実から目を背ける③自分達は特殊との思い込みの3点としている。しかしこれらは日本特有のものではない。どの国でもどの時代でも見られる傾向である。元々自分に都合のよい予測を選択するのは人間に備わった心理的性癖だろう。

しかし日本ほど国全体が「神風頼み」一色に塗りつぶされた例は稀である。

特に1930~45年の「15年戦争」後半の時代「天皇を戴く神の国・神州不滅」の皇国日本は、大本営発表のフェイクニュースとは真反対の「厳しい現実」に直面して、破滅寸前の惨状に陥った。

これが決して迷信がはびこる中世ではない「現代史」の重大事だっただけに、問題はまことに深刻であると言わざるを得ない。


それに比較すれば歴史上の「神風頼み」はずっと気軽に読める。

本書は「元寇の神風」から始まっている。大軍の「蒙古襲来」。「神風によって日本が救われた」とは誰でも知っている。でも事実は微妙らしい。史料から確認できないのである。2回目の「弘安の役」では確かにそれらしき暴風雨があった。しかし1回目の「文永の役」での神風は否定に至らないまでも疑問視されている。それが「神風」として定着したのは日本の神社の働きかけによるものであった。

戦いのあと、御家人武士層が幕府からの恩賞を求めて請願・訴訟活動をしたのと同様に、宇佐、筥崎、高良、香椎等の九州神社のみならず伊勢など各地の神社勢力が「神風」を根拠にして「神々が求める「神風への恩賞」」を幕府に求めた。これが「神風」の形がはっきりとした最初らしい。

こうした「敬信思想」は室町以降どんどん強まっていった。中国・朝鮮への対外外交において例えば足利義持の「神国思想」へと発展し、南北朝期の天皇制とも結びつき、遂には世界征服の妄想にとりつかれた朝鮮出兵の豊臣秀吉の「日本観」にも反映されるに至った。

こうした「神主体の思想」の他に「人間」に目を向けた撫民的(本書)な神道も隆盛した。典型は「吉田神道」である。創始者は15世紀の吉田兼俱。吉田家と吉田神社は一気に神道界の頂点に駆け上がり明治維新による神祇官復興まで神道界の中心であり続けた。その手段は実に強引なもので、発展の発端が後土御門天皇を「詐欺にひっかけた」(本書)ような異端性を有する神仏習合色の強い神道であった。

いずれにせよ「神風」を利用したのは、宗教的な動機以上に恩賞・権益・権力を求める俗世的・人間的な動きの数々であった。

本書では中世における天皇と神道の関係、例えば南朝・北朝の正統問題や北畠親房「神皇正統記」あるいは足利尊氏などについても相当なページを費やして「神国ニッポン」(本書)の道筋を述べている。

しかしながらこれらは戦前教育を受けなかった僕には馴染みが薄い話。

関心はやはり明治以降の「神風思想」「神国日本思想」にある。

神話を神話世界にとどめないで歴史的事実が如くに喧伝し、国を誤った道筋に誘い込んだ「天皇制軍国主義の日本」にある。


本書後半は幕末「水戸学派」から始まって明治期帝国憲法制定時の伊藤博文・森有礼論争、久米事件等々「天皇」や「神国思想」に絡む諸事件が述べられたあと、陸軍主導(海軍も決して「善玉」ではない)の破滅への道程に「神風」「神国」「天皇」がいかに利用されたかに力点がおかれている。

5・15、2・26を始めとして軍の暴力がいかに国内の政治・社会を混乱に陥れたかが詳述され、結末はどうしても「神風(「シンプウ」が正式名称らしい)特攻隊」となる。

この激動の背景には学説上で「天皇」をどのようにとらえるかが最大ポイントとなる。

その点で35年(昭10)の「天皇機関説」事件は潮流の大きな転換点となった。

本書p200辺りを抜粋すると「天皇機関説とは「日本の統治権は法人としての国家に属し、天皇はその国家の最高機関として統治権を行使する」という当たり前の学説であり、当時の政党政治を支える学界の主流学説であった。一方対立する「天皇主権説」では「天皇は国家そのものであり、統治権は天皇個人に属する」とした」「その根底には、天皇は現人神であり、天皇の祖先にあたる天照皇大神がニニギノミコト(瓊瓊杵尊)に与えた「天壌無窮の神勅」に基づいて日本を統治している」である。

このように「天皇主権説」は「学説」とはとてもいえない水準であったが、軍部に支持され国家主権の高まりの中で立憲主義を排除するための理論的支柱となったのである。

この事件においては「機関説」の美濃部達吉東大名誉教授(貴族院議員)が犠牲となり、同時に学界全体が沈黙せざるを得ない恐怖の時代の始まりとなったのは周知の歴史の事実である。

正統学説が神話学説に負ける。「無理が通って道理引っ込む」国となってしまった。


さて、ここからは素朴な疑問なのだが、一般国民はこの神話歴史を本当に信じ込んでいたのだろうか?僕の推測では「平均的水準の一般国民は恐らく本心では信じていなかった。「触らぬ神にタタリなし」の心境ではなかっただろうか」である。

今まで読んだ本の中でも(書名は忘れたが)「40年(昭15)の「神武天皇即位・紀元2600年」の官製行事は動員主体であって自主活動は一向に盛り上がらなかった」とか「皇国授業で教える教師自身が「どうやって真実らしく教えるか」悩んでいたし文部省からの納得性のある説明もなかった」とか「地方の小学校でさえ児童から「先生、そんなのウソだベ」と言われて教師がその子を殴り飛ばした」とかの実情があったと読んだ記憶がある。教師も気の毒。反論できない。きっと彼自身も信じていなかったから……。

更に当時の軍関係者の相当数はこの教師達と同様であった、本当は信じていなかった、と仮定したら彼等を買いかぶりすぎになるのだろうか?

あるいは彼等は想像以上に知的水準が低く、本心から信じ込んでいたのだろうか?

いずれにしても今の北朝鮮の現状から連想すればだいたいの察しはつく。




この推測の大方が当たっているとすると、軍が無理を強行した真の動機はなんだったのだろうか?それは軍の持つ「権益」だと思う。軍は「イデオロギー」を建前としているが、実は権益の魅力を手放すことができなかった、これが「本音」ではないか。

だからかつての軍縮への抵抗と恨みが強かったし、軍予算の拡大と産業との結びつき、満州権益を手中に収め中国へも侵略の手を伸ばす。欲望の果てしない拡大と得た権益の蜜の味。国民からの「お国のために死も厭わない崇高な精神」への讚美と感謝の念。「おこぼれ」を頂戴した国民層も多く存在した。議会をないがしろにした独走。こうしたことがない交ぜになって、少なくとも軍の上層部は国の損害と国民の犠牲がいかに多大となっても止まるところを知らなかった。これが実相だったのだろう。

そのための「神の国」思想は彼等だって本当は信じていなかった。

非常に一面的な見方かもしれないが、そんな気がしてならないのである。

現代でも典型例はミャンマーである。なんであんな無理筋のクーデターに及んだのか?それは「民主化」によって失われた軍の権益の復活を目論んだ、それ以外の動機が僕には想像できない。

北朝鮮にも中国にもロシアにも、そしてアメリカにもあるだろう。

「軍」が持つ本質的な部分と言ってよい。

本書で「コンコルドの誤謬」の意味を知った。超音速旅客機「コンコルド」は開発の途中で採算的に成功しないことが明らかとなった。しかしそれまで投じた開発費を考えたら引くに引けなくなり、結局は放棄に至ったものの莫大な損失を残した。この失敗を指す。

日本の悲惨・遅きに失した無条件降伏はこの「コンコルドの誤謬」であった。

そして「神国日本」「神風の期待」はそのアダ花だったのである。


実は僕の一族には唯ひとり自衛隊関係者がいる。6歳年上の義兄(姉の夫)である。彼は父親の事業失敗の経済的理由で給費付きの防衛大・第一期生として進学せざるを得なかった。しかし極めて優秀であったために選抜されて東北大学工学部・電気通信科に博士課程まで国内留学、工学博士となったレーダー分野の第一人者であった。ところが防衛庁随一の教育機関・土浦の「武器学校」学校長在職中の55歳、就寝中の突然死で他界してしまった。旧予科練跡地の広大な施設での悲愴・壮大な学校葬告別式。僕は仙台での彼の猛烈な勉学振りを思い出して涙が止まらなかった。

義兄との約30年間の長い付き合いの中で「戦争」に関する会話の記憶は一切ない。技術系の高級官僚と話していたような印象だけである。しかし彼は「陸将」である。それを意識しないでいられる平和の時代だったのだ。90年の死から33年、今やそんなことは言っていられない様変わりの様相となっている。先日の師団長・ヘリコプター事故遭難も着任早々の対中国・島嶼戦を想定しての事前視察であろう。

僕は今後の日本に大規模の対外武力衝突は絶対にないと願っているし信じている。万一突発したとしても「コンコルドの誤謬」に陥ることなく最少犠牲で終焉してほしい。これが自分の死後も含んで僕の心からの願いである。冥界の義兄も必ずや同様に願っていることだろう。

「神風」なんか吹きっこないのである。


著者は66年生まれ立命館大学講師。博学でかつジャーナリスト風の明快な文章である。前稿最後は「次はわかりやすい本にします」で結んだ。確かに「文化がヒトを進化させた」よりはわかりやすかった。しかし決して「軽い本」ではなかった。そして久し振りに読んだ「柏書房」の本であった。

次回は三島由紀夫「金閣寺」にしようと思っています。明るい本ではないけれど……。