本牧読書日記。サーシャ・フィリペンコ  「赤い十字」  (集英社)。

ベラルーシの作家は初めて読む。

「戦争は女の顔をしていない」のノーベル賞作家・アレクシェーヴィチ推薦の新聞広告をみて読んでみたが、結論的には「期待外れ」であった。並行して読んだ前稿「幕末日本と外国人」と次稿「世界は五反田から始まった」が優れた著作だけに、余計に格差感が強い。

第二次大戦のソ連で敵国ドイツの捕虜となった夫の消息がわからないまま、幼児を抱えスターリン独裁体制下の外務省でタイピストとして働いた1910年生まれの女性・タチヤーナ。

2000年にアルツハイマー病の老齢の彼女が語る話、これをAとしよう。Aは実話に基づく。

次に著者を模したと思われる青年(サッカーのプロ審判)サーシャ。彼は愛妻をガンで失い、脳死状態の彼女が産んだ乳飲み子を実母(再婚してベラルーシの首都ミンスクに住む)に養育してもらおうと、ミンスクに移住してきた。彼の話をBとする。Bはフィクションである。

この小説は不動産屋の斡旋で新しい部屋に入ったサーシャが、隣室に住むタチヤーナから彼女の物語を聞くことから始まる。つまりBの作中作のようにしてAが進行するのであるが、主体は運命的な物語Aの方である。「赤い十字」とはタチヤーナが迷わないよう自室のドアに貼った目印の「十字」を指す。


タチヤーナは共産主義者の父親の亡命に伴いロンドンで生まれた。

1918年ロシア革命・ソ連邦成立。多数の(白系)ロシア人が欧州に逃れる流れに逆行して帰国した少数の家族の一員としてモスコワで育つ。政権幹部となった父の死後タチヤーナは外国語堪能をかわれて外務省で働き、また結婚して一女を得た。ところが、夫は召集されて2度程手紙がきた後は音信なし。

行方不明の状態が続くうちに彼女は夫は捕虜となった事を推測・確信するようになった。

当時ソ連では捕虜となることは家族にとっても悲惨な結果を招いた。裏切り者の家族との白い目を向けられるだけではない。場合によっては収容所送りとなる過酷な人生が待ち受けているのである。

当時でも国際法に基づく捕虜の人道的取り扱いがスイスの国際赤十字の手で行われていた。

そのシステムに従いドイツのみならず敵国の捕虜となったソ連兵のリストが外務省に送られてきており、タチヤーナはその翻訳タイピストである。ところがソ連は翻訳だけはするものの条約を批准しておらず、モロトフ外相は一切を無視。すなわちリストはソ連政府に「裏切り者が誰か」を教えただけとの残酷で皮肉なリストと化していたのである。

ある日タチヤーナは恐れていたとおりリストの一行に夫の名前とデータを見つけた。そして彼女は咄嗟に夫のデータは翻訳せず前の男を続けて打ち込んだのである。つまり総人数を付け合わせる作業では発覚せず、発覚してもタイプミスと見逃される可能性に賭けたのである。

そこからは彼女の焦燥の地獄の日々が始まる。遂に彼女はある上司に告白した。

しかし不思議なことに何事も起こらなかった。更に不思議が続く。

1945年5月に終戦。戦勝パレードが続く国民高揚の7月に突如秘密警察がタチヤーナを逮捕。

夫は行方不明のまま孤児院送りの幼女と引き離されて、彼女はむごい尋問のあと裁判で15年の実刑判決、収容所送りとなる。この過程の中で彼女は自分の外務省での行為が理由でないこと、夫が捕虜であり「裏切り者」であることが理由であること、つまり「夫は生きている!」可能性があることを知る。夫の生存と子供の孤児院での無事、これを唯一の希望として彼女は生き抜いた。ここでも彼女のタイプ能力は収容所長の私設タイピストとして、他の収容者よりはまだ少々はマシな立場を与えてくれた。

長い刑期を終えて世間に戻ったタチヤーナの一念は、体制が少しは緩んだソ連において自分の「名誉回復」を図ること、それ以上の執念は夫と子との再会である。あらゆる手だてを尽くして夫の行方をさがし、孤児院を訪ね歩き、長年をそれに費やした。そして夫の死と娘の別れてすぐの死も知る。

最後に謝罪のために訪ね当てたのは2度打ちした名前の持ち主の男。なんと彼は純粋にソ連流の愛国者であった。戦時中も戦後ずっと経ったこの時も。会って話を聞いたタチヤーナは自分の真の逮捕理由を知る。夫と同じく捕虜だった男は何のとがめも受けていなかったのである。

彼女は単に憶測におびえていただけなのだろうか?………。


以上Aのストーリーは実話の迫力がある。とはいえ格段の感動を呼ぶ話ではなかった。

恐怖時代を生き抜いた人々については何冊か読んできたが、それらの物語に比較して「濃さ」が足りない感がする。戦後のことではタチヤーナと同じような立場の女性として、逮捕された反対制活動家の夫の行方を捜し、自分も収容所生活を経験したラリーサ・ボゴラス等を描いたサントリー学芸賞受賞・米田綱路「モスコワの孤独」(ブログ21年5月記載)がなんと言っても印象深い。

脳死出産等のフィクション・Bに至っては、Aより更に弱い。

本書を読んで賞賛する声の方がきっと多いに違いない。何しろアレクシェーヴィチが推薦する程なのだから、ここで書いた素人感想は不当かも知れない。

だから本書は「僕の性(しょう)に合わなかった」との結論にしておこう。

著者サーシャ・フィリペンコは84年ミンスク生まれ。サンクトペテルブルク大で文学を学びテレビ局でジャーナリストや脚本家。代表作は「理不尽ゲーム」。当然に母国を離れて活動。「ルースカヤ・プレミア」(ロシア国外に在住するロシア語作家に与える賞)を受賞した有能な作家である。

それにしてもベラルーシ、ルカシェンコ大統領はひどすぎる男である。知的部分は極めて少なく良心や常識のかけらもない。プーチンも内心は縁を切りたいのであろう。いつかはベラルーシ国民が多大な被害を被る事態が懸念される。本書のBでサーシャの継父はルカシェンコを称賛する「愛国者」である。

どこの国にもトランプ熱愛者と同様の「何とも度し難い」人間がいるものだ。

先日の新聞記事。見出しは「平和賞の人権活動家初公判、ベラルーシ勾留18ヶ月」。

記事要約は「昨年ノーベル平和賞を受賞したアレシ・ビャリャツキ氏(60)ら4被告に対する公判がミンスクの裁判所で始まった。ビャリャツキ氏は「欧州最後の独裁者」と呼ばれるルカシェンコ政権下のベラルーシで人権擁護を続けてきた。2020年8月の大規模な反政府デモの際、拘束された参加者の救済に奔走。その裁判手続きや罰金の費用を立て替えた行為などが罪に問われた。勾留中のノーベル平和賞受賞式には妻が出席した」。

まるで「治安維持法」。こんな国が今時存在しているのだ。