本牧読書日記。リック・マッキンタイア「イエローストーンのオオカミ」

・放たれた14頭の奇跡の物語  (白揚社)。

米国モンタナ州イエローストーン国立公園・北東部での野生オオカミの復活は有名である。

1926年、オオカミの最後の一頭がパークレンジャーによって射殺されてから自然のバランスが崩れてしまった。頂点捕食者がいなくなったことにより、例えばエルク(ヘラジカ)が増えすぎ岸辺のヤナギ等の植物に被害を与え、植生の変化により川にダムを作って棲むビーバーが減少するなど、連鎖的な影響が生態系全体に広がってしまったのである。オオカミの復活についてはそれ程の効果はないと考える人がいるし、被害を被る周辺の農民や家畜害を恐れる牧畜家もいる。

有史以来、人類最愛の友・イヌと同種でありながら、これ程嫌われた動物もないだろう。

「赤ズキンちゃん」「三匹の子豚」の悪役は耳まで口の裂けたオオカミである。

ところが、イエローストーンでの実験は大成功。歴代大統領やロバート・レッドフォード(本書に序文を寄せている)を始め、殺到する観光客の路上駐車が動物行動に支障を与える程の人気となった。

環境改善と観光事業として地元に多大な貢献をなしているのだ。


理由は何か?  悪役イメージのオオカミが持つ知られざる特性であろう。

リーダーのオス・メスのパートナーに率いられた家族・血縁集団を「パック」という。規模は数匹から十数匹。営巣地名と合わせて例えば「クリスタル・クリーク・パック」の名称が付けられる。一匹づつの番号もつけられている。パツク同士には激しい競争・確執がある。リーダーオスが放尿した上にメスが放尿して縄張りを主張するが、成長個体同士の闘争のみならず他のパツクの子殺し、更には同パツク内でも時として姪・甥殺し等が発生するし子供間のイジメもある。

しかし、愛情はそれ以上に深い。特に子育ての献身的行動は人々の感動を呼ぶ。

子供たちは遊びの毎日。将来の狩りに備える訓練としての遊びである。空中に小枝を飛ばし合って口でキャッチする(投げたボールを飛び上がってくわえるイヌの遊びと同じ)など、観察記録では雪滑りなど数十種に及ぶ遊びである。微笑ましい風景だがそれは過酷な日々へのひと時の平和なのである。

ペア間の愛情と連携は強い。エルク狩りでは体重が軽く足の早いメスが獲物の尻・足に食い付き、追いついたオスが喉を食い破って致命傷を負わせる。

パツクには血縁のないオオカミが含まれている場合も稀ではない。例えばメスと死亡した前夫との間の息子、いわば義理の息子とリーダー・オスとの信頼関係も揺るがない。

だから、「愛情」以降で書いた行動は人間社会と極めて近いのである。

多世代にわたる拡大家族が協力して子育てを行うことを「共同繁殖」と呼ぶらしい。

人間・サル類で見られる「共同繁殖」は哺乳類の1%にも満たないという。

人は自分達に似た組織・社会共同体の生物を好む。ハチ・アリの行動に興味を覚えるし、サル社会は動物行動学の重要な研究の場である。それがあの憎っくきオオカミの世界で見られるのだ。

イエローストーンに集まる人々は著者のような優れたガイドによって、巧みな説明で理解し現地での実際を見て忘れる事のできない記憶を留めるのである。


この成功は多くのスタッフやボランティアの献身的活動で支えられている。

1995年、最初は寄付金で運動が始められ著者も当初から参加した。それ以前から同様の活動をしていたので、今や40年間でオオカミの観察記録10万回を越すという大ベテランである。

トレーラー・ハウスに宿泊して朝3時半に起床し、一日中オオカミのパツクを追って綿密な観察記録を残す。動物学者のために基礎データの作成と提出とをするのである。

そして現地での啓発案内、本書のような広報活動(招かれて日本でも講演)、それらによる資金提供と、有意義で敬服すべき活動に専念している。

同僚の方々は多いだろうが、その中でも抜きん出た存在だろう。

間歇泉のホールでは気を利かせて45分間隔の熱水噴出に合わせて客の興味をつなぐオオカミの話をする。客は両方を楽しむことができるのだ。

広大な土地でオオカミに遭遇しない場合もあるだろうが、その場合でも10万回の観察から得たエピソードを語り続ける。現地案内で客が感動しない物語はない。


オオカミ達はカナダから血縁同士にならないよう何回にも分けて輸送され収容された。

次第に放っていくのだが収容場所近辺からなかなか離れないオオカミもいるし、ドルイド・ピーク・パツクのオス・リーダーとなる獰猛なNo.38のようなタイプもいる。個性豊かなのである。

本書の主人公の一匹はひときわ小さいのでいじめられていた灰色のNo.8。

8は次第にリーダーとしての資質を開花させ、彼の養子No.21と協同してパツクを統率する。

そして実力を蓄えた21はやがて別れてローズ・クリーク・パツクのオス・リーダーとなり、パートナーはメスの気の強いNo.41と穏やかな42の姉妹。21はそこら辺もうまくこなしていく……これらの生態はどんな人間ドラマにも劣らない興味を人々に呼び起こすのである。

電波発信首輪の装着に成功した個体からは位置情報のみならず死因も明らかにされる。

生後22カ月で一人前となり平均寿命5、6年のオオカミ達は、狩り中の事故(狩りの成功率は10%に満たない)即ちエルクの角で突かれたり水死したりの他にも、争って他のパツクの獰猛な連中に殺されたり、車にはねられたりと、自然死の方が少ない位の危険な一生なのである。

そんな中、親は雌雄共に食料確保に必死である。

倒したエルクは必ずしも巣の近くではない。親は腹一杯(9kgにも及ぶ)に生肉を飲み込んで巣に戻り半消化の肉を子供たちの前で吐き出す。子のオオカミは夢中でそれに食らいつく。

残してきた動物の死体はハエエナが群がるばかりではない。灰色グマのご馳走となっている場合もある。戻ってきた親オオカミと熊との激しい争いが巻き起こるのである。

子のオオカミはネズミ程度の小動物は捕えられるが、それはオヤツ程度でしかない。親からの大量の肉類が生命線なのである……こうしたイエローストーンのオオカミ物語、四季にわたる全景が本書の355頁に満載されている。最初は細かく記憶して読んでいくが次第に速読せざるを得なかった。

それでも実に興味を留めさせる本である。ここには嘘や脚色や大袈裟な表現は全くない。

我々は現地の客が得る感激と同様の読後感を得るのである。

自然とはなんと魅惑の宝庫なのだろうか。

そしてこの語り部達はなんと貴重な存在なのだろうか。

小さな新聞広告だけで知ってリクエストした本書の図書館での待ち順は百何十番かであった。

入手まで本年最長の半年近く待った。それだけ多くの人々が待ち望む本なのだ。


我が国でも多くの自然復元活動が、新潟のトキの復活からサンショウウオの保全のような地味な活動まで各地で盛んになってきた。その多くが観光と結びつけられている。

今週の朝日夕刊では「イルカとルール・共に生きる島」として東京・御蔵島の成功例が紹介されている。30年来、島民がイルカの個体識別調査を始めて観光の「ルール」を決め、イルカとの共生を実現しているという。客はガイドの指示に従ってフィンとシュノーケルをつけて、カメラフラッシュ禁止などのルールを守り、共に泳ぐ「ドルフィン・スイム」を楽しむという。観光客の数は限られるだろうが、想像するだけでも心豊かな気分となる。客もサーカスみたいな「イルカ・ショー」を見るよりずっと思い出に残ることだろう。島民300人の小さな島にとって大きな観光資源である。

「サンクチュアリ、ボランティア」的な意味を含めて、釧路湿原などで定着した運動は全ての人々から大変嬉しく歓迎される活動であると思う。

一方で、全国で小施設を含む「動物園」はどのくらいあるのだろうか。

相当な数だろうしその意味は今やどこにあるのだろうか、と僕は疑問に思っている。

僕が動物園に行ったのは子供が幼い頃にパンダを見に行った上野動物園が最後である。

それ以来動物園に行ったことがない。檻の中を同じ動作で行ったり来たりする虎や熊。ガラスの向こう側から虚無の視線でこちら側に眼を向けるゴリラの表情。僕はそれらを見る勇気が湧かない。

つらいというか、悲しいというか、堪えられないのである。

浦安に住んでいた時はすぐ近くの葛西臨海公園や市川の野鳥・水鳥観察施設に気軽に行ってひとときの安らぎを得ることができた。




自然復帰が観光資源としても定着してきた今日、そして動物達の詳細な画像と情報がテレビ等で豊富に得られる現在に、むしろ時代遅れの動物施設が多すぎるのではないだろうか。

少なくとも、目を背けるような劣悪な収容状態に閉じ込められた動物は是非解放してやってほしい。関係者は施設改善にできる限りの努力を傾けていると承知するが、これが僕の本書を読んでの心底の気持ちである。