本牧徒然雑記。「この世は落語③」。

落語は貧乏長屋の庶民のみならず様々な社会階層、親子、夫婦などの風景を活写していて、次第に噺が磨かれ、何回聞いても飽きない芸能に育ってきました。噺の中では「飲み・打つ・買う」の「買う」、即ちかつてのひとつの世俗世界が大きな部分を占めていて、独特な雰囲気を醸し出しています。

最終回の今回は「吉原」に代表される遊郭噺を本書から幾つか記してみます。


①「明烏」。

「鳥」ではなくカラス・カーの「烏」。富裕な商家の息子・時次郎は愛読書が「論語」だというカタブツ。親に頼まれた街の若者・源兵衛と太助の二人は「お稲荷さまへのお籠り」と称して時次郎を吉原に誘い出す。だまされたと知った時次郎は怒ったり泣いたり。ところが一夜明けてみれば……という噺。

「明烏」という演目名がピッタリの落語である。「服装(ナリ)が悪いとご利益が薄い」「お賽銭もたっぷり」「お籠りばかりでなくお詣りだけというのもある」、中継ぎの茶屋は「御巫女(おみこ)たちのいるところ」おかみは「御巫女頭」と、二人が時次郎をだまし、なだめていくディテールが面白い。この種の噺の傑作だろう。落語の面白さの最大のポイントはディテールの優劣にあると思う。


②「文違い」。

吉原より格下の新宿遊郭のお杉は人あしらいのうまい「やり手」だが、彼女にはベタ惚れの愛人・芳次郎がいる。お杉はある日芳次郎のウソ話(二十両の高価な薬なしでは自分は失明する)を信じて、馴染み客の二人・日向屋半七からは「父との縁切り」の嘘で五両、田舎者の角蔵からは「母の病気」と偽って十五両をせしめて芳次郎に渡す。ところが、芳次郎が去ったあと彼が落としていった手紙から芳次郎が別の女・小筆のための用立てだと知る。一方、お杉の部屋でさんざん待たされていた半七はお杉宛の芳次郎からの手紙を見つけて真相を知る……。「文違い」の顛末である。男と女のだまし合い。著者は「実は芳次郎も小筆にだまされているのでは?」と推理する。そしてその圏外でひとり鈍感な角蔵は自分がだまされたとは気がつかず、お杉のおだて言葉「うわべヤボの芯イキ」(見かけは野暮だが芯は粋)にいつまでも色男気分で酔っている。彼が一番幸せをつかんでいるのかも知れない。


③「三枚起請」。

これも「文違い」とよく似た噺。棟梁は唐物屋の若旦那・猪之助の母親から遊んでばかりの息子に説教してくれと頼まれる。会ってみると猪之助は自信満々。吉原に起請(誓約書)を取り交わした深い仲の女がいるというのだ。ところが、見せられた相手の女・喜瀬川の起請を見てアッと驚く。棟梁自身もそれと同じものを持っているのだ。通りかかった職人の清造も話を聞いてビックリ。清造も同様。つまり男三人、喜瀬川ひとりにコロリとだまされていたのだ。三人は仕返しを謀る。一緒に吉原に乗り込んで同じ部屋に通され、二人は隠れて棟梁だけが喜瀬川に詰め寄る。喜瀬川は「そんな人(シト)いたかねぇ……わかった思い出したよぅ、色が白くてぶくぶく太って水瓶ェに落っこったお飯(まんま)っ粒みたいなのだろ、まだ子供じゃないかァ。おもちゃ代わりに渡したんだよ」ととぼける。怒って飛び出してきた猪之助に喜瀬川は驚いて、しぶとく世辞を言う。「まあ、そこにいたのォ?白くってきれい!」。続いて清造については「あの清公かい?清の字、清テキ?嫌なやつなんだよォ。背の高いのばっかりね、それを頼りにして、日陰の桃の木みたいなやつだろ……」。飛び出してきた清造にも驚きながらしぶとく世辞を言う「あらっ、まあ、そこにいたの?すらっとして様子がいい」。腕がよい女はだますのも切り抜けるのもうまかったのである。


④「山崎屋」。

本気で惚れ合っている山崎屋の若旦那とおいらんを番頭が計略をめぐらせて無事夫婦にする噺。番頭はおいらんを秘かに町内の鳶の頭の家に入れて貰って花嫁修業をさせておく。そして大旦那をだまして頭の家に行かせる。一人の美女(おいらん)がお茶を出すので大旦那ビックリ。聞けば頭のおかみさんの姪で今までお屋敷勤めをしていた。嫁ぎ先を探している。嫁入り道具も揃え済み。大旦那は飛びつく。「是非うちの倅の嫁に」。「倅が嫌がったら私でもいい……」。無事落着だが堅い娘と信じこんでいる大旦那と、つい「郭(くるわ)言葉」が出てきてしまう嫁との会話のやり取りや「いかれポンチ風」の若旦那と堅い番頭との主従を越えた悪友同士の親密感など、風情がある噺だという。圓生の得意噺だったようだ。

加えて僕は推察した。大旦那は実は嫁との会話から彼女の出身に気付いていたのではないかと、そして頼りない息子を託すには最適任のしっかりした嫁だと安心したのではないだろうかと……。

前にも書いた「百年目」の主従の信頼関係、そして血の通わない大旦那と息子の嫁との信頼関係(これは後で出てくる「夢の酒」でも同じ)、こうした「信頼」が幾多の落語の柱になっているからこそ僕らは気持ちよくその世界に入っていけるのだと気がつくのです。


本書では人情話や江戸の情緒・人付き合い・金や欲にまつわる噺、珍談・奇談、「人生いろいろ」噺、そして今回の「郭噺」と、多彩に楽しませてくれます。

しかし我々は例えば遊郭の実態が貧困と人権蹂躙の悲惨な世界であることを知っています。吉原で度々発生した火災の多くは前借金に苦しむ遊女の怨念からの放火だったそうです。庶民の風俗に欠かせない「遊郭」を落語に取り入れていくにはそうした悲惨に蓋をして「性」をなるべく遠ざけ洗練した落語に仕上げていくテクニックが必要だったのでしょう。だから「性」を直接連想させるような噺「お直し」(どん底暮らしから這い上がるために妻が娼婦となり夫がその客引きをする話)は本書で初めて知ったし、読んで嫌な気分がしました。きっと寄席でも滅多に取り上げられないと思います。


④「山崎屋」の圓生は「郭言葉」について「色々な地方から出てきた娘達のお国訛りを客に察知されないように作り上げられた」と解説しているようです。確かにそうでしょうが本当に「ありんす」なんて言ったのでしょうか?僕はここで、あるイメージを作り上げるための言葉「役割語」を連想しました。例えば漫画のお爺さんは「そうなんじゃ」なんて実際の老人が滅多に口にしない言葉を発します。これが「役割語」と言うらしいです。だから映画・演劇の「ありんす」は「役割語」なのかも知れません。

似た話で、明治期の「ざあます言葉」は、しばしば元勲夫人となった芸者出身女性の言葉が元であって、それがゲスな江戸弁を嫌う上流階級女性に広まったと言われています。(真偽はわかりません)。でもそれ程多くの上流夫人が「ざあます」を連発したのでしょうか?イメージ先行なのかも知れません。

こうした「役割語」や「業界語」って面白いですね。

③「文違い」でお杉が角蔵を喜ばせた「おだて言葉」で僕はフトあることに気づきました。

夏目漱石は当時の女学生言葉、例えば「よくってよ」を嫌ったそうで、何故か?  理由がわからなかったのですが、もしかしたらこれは遊郭で客を喜ばす「おだて言葉」ではなかったのか?

だから漱石は浮薄な語感とその使用を嫌った。これは僕の根拠なき推察です。

今の女子高校生はヤクザ言葉由来を気にせずに「ヤバイ」を口にします。当初は自分を際立たせる為の用法だった。それが普通口語になる。明治の女学生達も似た現象だったかも知れません。

画面が「バえる(映える?)」。これはきっと芸能や撮影業界用語でしょう。

若者達はゲーム語など、前世代には全く通じない会話を交わしている事も想像されます。

いつの世も変わらない言葉の変遷なのですね。


最後に僕が初めて知って一番気に入った噺「夢の酒」(桂文楽)を紹介します。

若旦那がうたた寝で粋な美人と先方から誘われた浮気をしそうになる夢を見た。「これから」というところで目が覚め、その話を妻にすると妻は本気で怒りだし大騒動となる。間に入った大旦那が「それではワシがその続きを見てやろう」と嫁をなだめ夢の続きを見ることに成功する。夢の中で女は「お燗がつくまで冷やでどうぞ」と勧めるが大旦那は冷やでは飲まない主義。「冷やか燗か」でやり取りしているところで起こされてしまった。そこで大旦那はつぶやく。「冷やでもよかったんだよ」……。

落語にはこんな艶っぽく素晴らしい噺があるのですね。

僕の筆では及ばないので、画像3枚で著者・中野翠の軽妙な説明文を楽しんでください。(なお画像の最初の1枚がダブりました。余計な1枚の消去方法がわからないのでそのまま掲載します)。


初めての試みでしたが、一冊の文庫本を二週間3回に分けて掲載しました。

こういう楽しい本の後では難解本はもちろん小難しい本も読むのをためらってしまいます。


「7月暦絵」で書き忘れたのですが今月から「本牧読書日記」も6年目に入りました。

記事が400を越えると僕も記憶が薄れてどこで何を書いたか多くを忘れています。

今まで生きてきた世界が狭いので見聞が貧しいし、元々がくどい男なので同じことを何度も書いている。なるべく前の記事を捜して注記しますが最近はそれも怠けていますのでお許し下さい。

なお「バックナンバー」は「記事一覧」の隣の欄「年月」で過去の年月別のカレンダーが出てきます。ご利用下さい。

いよいよ盛夏ですね。皆様お気をつけてお過ごし下さい。

(7月13日作成、20日記載)。