毒親に育てられた私 中学生、高校入学編 | 毒親育ちのふみのブログ 畑とか水耕とか子供とかいろいろ

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岡山県南部在住の専業主婦です。
2010年からブログを始め、2021年5月21日に
アメブロに引越してきました。

★2021年5月21日以前のブログの画像が全て反映されず
引越前のブログはほぼ文字だけになっています★

タイトル強烈ですね。前回のタイトルが長すぎたので分かりやすくしたら強烈になってしまいました。

この、たぐいの話が苦手な方はスルーしてください。
前回小学生卒業前後までのお話を簡単にしました星

ラブラブメール、コメントありがとうございました。ラブラブ
同じ境遇の方がいて心強いです。

批判的な意見もありました。
多分、オープンにしているブログなので批判もあるだろうとは思っていましたが、いろんな意見聞けて嬉しいです。
ありがとうございます(#^.^#)
中には”ガーデニングジャンルなのだからガーデニングだけ書いていればいい”というのもあったのですが、
別ブログを立ち上げて書こうかどうしようかも考えてはいたのですが、主にはガーデニングや水耕、子供などを扱うブログなので、私の過去も書いてみようかなと思いました。
こういう過去をもつ人間ですが、今はこうして生きてます的な。

悩みはありつつ前向きだと思ってます。
同じ悩みを持っていた人、この悩みを持つ方の参考になればありがたいです。

 

過去のことから一部だけ書いてます。

本当は全部書きたいくらいなのです・・・ゲホゲホ

それと、コメントでいただいたのですが

丸レッド”父と妹は?”というのがあったので補足します。
父は朝6時に出て夜9時に帰る人だったので、母が帰宅してから私が罵られたり、祖母が罵られている場面に遭遇することはほとんどなかったと思います。
平日は父が帰ってくる頃には母の機嫌も落ち着いている状態でした。
ただ、土日に家にいると母の機嫌が悪いのは察していたので私と妹をそれとなく父は公園に連れて行ってくれてました。
父は、分かっていてどうしようもなくて見て見ぬふりをしてきていた可能性は高いです。(父に聞くことは今後もしないと思います)

丸レッド妹については、私が母に怒られると怖がって自分の部屋の押し入れに入ってました。
妹が母のターゲットになろうものなら私が妹を守っていたような気がします。

妹がイタズラしたのを私は何も悪くないのに
「姉である私が妹をちゃんと見ていなかった」

とウソをついて母に怒られていたと思います。
同じ思いを妹にさせたくない気持ちがあったのですが、これが良くなかったのでしょうか。後に少しお話しようと思います。

ハートブレイク今回は、中学生、高校入学編です。ハートブレイク

小学校卒業前後で、伯母家族が県外から祖母と同居するために引越してきました。(伯父以外の3人が引越してきました)
何故引越してきたのかが不思議でした。
母が徒歩3分の距離に住んでいるのに。
ただ、私が中学入学時点で祖母が75歳をこえていたので高齢のために引越をしてきたのかな?という印象でした。
(前回読まれた方ならわかると思いますが、かなり高齢な祖母を無料で家政婦として扱っていた母には本当にビックリしました)

伯母が引越してきてからほんの少しですが、私への風当たりが緩んできていましたが、本当にほんの少しです。
家の中では、罵られ馬鹿にされ平手打ちは継続されていました。

私は、中学に入ってから家に帰りたくないのもあって部活をしてました。
帰宅してから家のことをするつもりだったのに、この頃もまだ祖母がお世話を焼いてくれてました。
何度私や伯母が注意しても
「自分が孫が好きで孫の面倒を見たいからやっているのだから」と聞きませんでした。
伯母は、学校の休みの日にはよく買物に連れて行ってくれたりおでかけに誘ってくれてました。
さりげなく私を家から連れ出してくれていたような気がします。
悪い人ではないので、母に対する本音を話したこともあります。

それとなく伯母が母に
「ふみの体系が中学生にしては痩せすぎではない?」と聞いてくれたり
(遠回しに食事を与えているのかを聞いていたようです)

伯母と私が一緒に作った料理は(伯母の前では)美味しいと食べてくれるのですが、自宅に戻り私と母の2人きりになると
「伯母さんの料理はおいしいけど、ふみが作る料理は食べたくない。我慢して食べてやった。あんなの誰でも作れる」と言いたい放題でした。

裏表がはっきりしていて、怖かったです。

私は、度重なるストレスから体調を崩してしまいました。
母の機嫌が悪いと食事を目の前で捨てられたりの日々で、痩せすぎの域に入って学校でも問題になるレベルまでいってました。
早い話が栄養失調です。
それでも、あの時代私の体がSOSを出しているのに、数字的に見てもおかしいのが一目瞭然なのに、一時保護などの措置はとられませんでした。
母親に話を聞いた学校の先生が、母親の話を鵜呑みにしたのです。
「何を用意しても、ふみがご飯を食べない」と。
物凄い迫真の演技でした。
良い母を演じてました。

私と母の話が全く違うので2人同時に話を聞かれたこともあります。
もちろん事前に母から「おかしな態度やおかしな言動をするな」と言われてました。
私なりに、下を向いてアピールしていたつもりだったんですが、母の迫真の良いお母さんの演技に私は負けました。

その後、体重が増えるはずもなく、むしろ今まで食べていた物さえも食べれなくなった(食べなくなった?)食事が苦痛になってきてました。
食事やお菓子を見るたびに、気分が悪くなってました。

そんなこんなで体調を崩してしまった私、中学生になって栄養失調、めまい以外で体を壊してしまい、週2日から3日で病院に通院する羽目になりました。
体育の授業などができないほど体を壊してしまいました。

勿論、母は良い顔しません。母が病院代払うわけでもないのに。
(祖母が病院代払っていました。伯母は病院は賛成してましたがお金を祖母に負担させるのはおかしいと母に注意してました。)

むしろ、母は病院に行くことは大反対でした。
週2や週3で病院に行かれたら、いろんなことがバレてしまうのを恐れていたのでしょう。

点滴の時間が長かったので、女医さんや看護師さんと話をしていて外にいる時間がとても幸せでした。
女医さんが、私の話や付き添っている祖母の話から、母に対する虐待の疑いを持ち「一度お母さんを連れてきて」ということになったのですが、祖母や私から母に伝えても「行かない」との返事でした。
女医さんから自宅に電話をしても居留守をつかったり。

私は学校終わってから直で病院に行ってたので、点滴が終わる時間に祖母がお金を払いにやってくるという流れでした。
(中学ではお金の持ち込み禁止)

母が何かを恐れて「病院に行かなくていい、病院から電話があれば体調が良くなったからもう行かないといえばいい」と言い出しました。
逃げきるつもりだったようですが、甘い。

女医さんから「(警察?学校?)通報しますよ。わかりますよね?」の言葉で嫌々、母は病院に行って女医さんと話をすることになりました。

女医さんと母の話がどういうものだったのかを、女医さんから聞いたのですが
・子育てを放棄しているのではないか?
・ご飯食べさせてないのでは?
・ここまでひどい体調なのに、中1の春から通っていて今、中学3年なのに何故親が一度も様子を聞きにこない?週2~3で通院しているのに。
・電話でさえ様子は聞けるはずなのに心配ではないのか?
・今後、病院に来なくなるようであれば通報します。
・父親も一度同席して話がしたい。

母は最初はおとなしく聞いていたようですが、女優のように演技をして上手く全部私の責任にしてかわそうとしたようですが、今回は上手くかわせなかったようです。
最後の父親同席の話で、「父親は詳しいことは何もしらないので」と逃げようとしたようです。
最後の最後まで父の連絡先を言わなかったようです。
最終的には、父の会社は私の保険証で判明しているので一度でも病院を休むことがあれば連絡するということで落ち着いたようです。

その日、帰宅後祖母と私は長時間説教くらいました。
後日、伯母と祖母の2人も念のため呼ばれて話を聞かれたようです。
今よりも個人情報がゆるーい時代だったので、伯母に全ての話が伝わってしまいましたもやもや
伯母もその後、私の通院に時々顔を出すようになりました。
伯母は以前から虐待疑いをかけていたようでしたが、確信にかわったようです。

高校生になってもこの通院は続きました。

進路についても、友達のお母さんや病院のスタッフの方や、伯母、祖母、女医さんに相談して最終的に決めました。

母がどうしても希望している母校に行ってほしい(私立ハートブレイク)というのがあったので、意見を聞かないわけにもいかないので、そこを軸に考えました。

私の希望も多少入っていたので、良しとしてます。

専門分野にはなりますが、将来役にたつだろうと考えて決めました。

本心を言えば、違う私立に行きたかったハートブレイク

この本心言えばまた大問題になるので、言わずに我慢秘密
高校生になっても相変わらず罵り続けられる私・・・。

叩かれ続けられる私・・・。

 

病院という安全な場所に週2から3ペースで通えることで、

私も精神面はなんとか保っていたような気がします。

 

以前から気になっていたのですが、小学生前後でおかしいことに気が付いたのですが、我が家は知らない人から電話がよくかかってきてました。毎月決まった時期に必ず何度も何度も・・・

その電話は大人の女性の方からの電話で「お母さんいますか?いつなら家にいる?」など。

学生時代の私には母の知り合いかな?程度だったのですが、毎回電話をかけてくる人が変わるのです。

今後、この電話が発端になり大問題に発展していくことになります。