家族の話題 過去のことになりますが 小学校卒業前後までのお話 | 毒親育ちのふみのブログ 畑とか水耕とか子供とかいろいろ

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岡山県南部在住の専業主婦です。
2010年からブログを始め、2021年5月21日に
アメブロに引越してきました。

★2021年5月21日以前のブログの画像が全て反映されず
引越前のブログはほぼ文字だけになっています★

プロフにも少し書いているのですが、長くなりそうなので何回かに分けようと思います。今回は私の小学校卒業前後までのお話をしようと思います。

似たような境遇の方がいたり、今、似たような状況になっている方いたら一緒に頑張りましょうね星

悩んでいる人がいたら、今の時代なら相談できるところたくさんあるはずだから勇気を振り絞ってほしい星

もし、近くに似たような人がいたら見守ってあげてください星

 

読みたくない人は、ここで立ち去っていただいてもOKです。

 

↓こういうたぐいの話なので苦手な方はスルーしてください。

 

 

 

 

 

 

 

私の生い立ち(と言えば大袈裟かな)が、かなりおかしいです。

高校卒業までは実家で暮らしてました。

家族構成は

父・母・私・妹の4人家族です。

 

徒歩3分の距離に母方の祖母が住んでました。

私が小学生卒業前後のころに伯母家族が祖母と同居し始めました。

 

私の母は今でいうネグレクトです。毒親です。

育児放棄しまくっている母親でした。

 

小さい頃、母と手をつないで歩いた記憶も、遊んだ記憶も全く

ありません。

お菓子や料理を一緒に作ったことも、一緒にどこかに服を買いに行ったこともありません。

当然ですが、病気をした際にも付き添ってくれるのは祖母でした。

 

母の思い通りにならないと外に追い出されてましたバツレッド

平手打ち当たり前バツレッド

何が悪くて外に追い出されていたのかも、平手打ちされたのかも

意味がわからない。

・なんでこんな成績しかとれないんだアホ、バカ、死ね

・お前が悪い

・お前なんて生むんじゃなかった

・疫病神

・近くに寄ってこないで

・きもい

・熱が出たくらいで病院にいくな等々

 

成績が母の期待していた点数よりも低ければご飯抜きも当たり前ドクロ

体調崩した日にさえ優しくさえしてもらえませんでした。

当時は、乳幼児医療などのサービスもなくて、3割負担?だったのかな?病院に行くたびに文句言われてましたドクロ

インフルエンザが流行する時期には、学校を数日休まれるのが嫌で病院にさえ行かせてもらえない、悪化して夜間救急にかかることもありました。

 

毎日毎日、家の中では、何時間も説教、罵られ状態でした。

私の母は仕事はしていましたが、朝7時に出て帰りは18時以降で

私のお世話は祖母がほとんどやってくれてました。

その祖母にさえ強く当たり散らす母でしたバツレッド

 

祖母は、母に強く当たられてもその場では聞こえないふりをしたり、黙ってましたが、いつも私の前では笑ってました爆  笑

 

小学生の頃ふと気になり

私の家のことは、祖母がやってくれていたので掃除やら洗濯やら

家事全般そして料理まで。

母の態度をみていて祖母にお礼などをしているのか気になって聞いたことがあります。

 

祖母”お金くれとか、材料費くれと言えばまた怒りだすからもらっていない。自分が孫の面倒をみたくてやっているからお金なんて必要ない。お母さんにこの話は絶対にするな”

 

そう釘をさされました。

かなり高齢な祖母を無料で家政婦として、こき使ってました。

思ったようにできていなければ、やり直し&祖母も罵られてました。

私の病院代も祖母から出ていることが後にわかりました。

祖母に聞いたら

 

”ふみの健康管理がなってないのは祖母のせいだ、親の責任ではない。病院に行かせたいなら祖母のお金で払うのが当然だ”

 

だそうです。

(すみませんかなり言葉が悪いですね。でもそれ位の衝撃でした)

 

小学生時代の私にはおかしいという判断が上手くできませんでした。

なので、学校で先生に相談してもあまり相手にしてもらえませんでした。身近な大人は祖母と学校の先生だけだったので。

助けてもらいたい気持ちもありました。

SOS出したのですが、ダメでした。

 

心配して、先生が親に聞こうものなら親は

「しつけの範囲」とか

「娘が大袈裟に言ったり、嘘ついている」とごまかしてました。

 

殴打の跡も「玄関前でこけたんじゃないですか?私に罪をなすりつけられても困ります」とか言ってました。

 

当然、電話を切った後に説教食らいました。

 

小学生に証明することなんて無理です。

今の時代と違ってボイスレコーダーも携帯電話もありませんでした。

動画撮影なんてのも当然できません。

証拠がないんです。

 

これが、一般的な家庭なのかな?という疑問はありつつも我が家はこんな感じでした。(他所の家庭と比べることができないので)

 

あの時、どこか真剣に話を聞いてくれる場所ってあったんでしょうかね?

今なら、学校に相談した時点で児童相談所に保護になりそうなお話ですよね。

過去を振り返る機会が今までに何度かあって、

0歳から幼稚園卒業まで

小学校、中学校、高校と分けて振り返る機会に恵まれたのですが

今でもあの時どうしておけば未来が変わったのかなと考えることはあります。

答えはでませんが、1つだけ言えるのは「私の家族はおかしい」に尽きます。

 

仲の良い友達のお母さんとお話する機会があり聞いたことがあります。

小学生当時に周囲の大人は私の母親の怒鳴り声や態度に気が付いていたそうです。母の前では見て見ぬふりをしてきたそうで、私の体のアザや殴打の跡も気が付いていたそうです。

 

友達のお母さんは私には優しくしてくれていたし、何か困ったことがあったら家に来なさいとも言ってくれてたし、実際氷点下の冬に家から追い出された時は家に入れてもらったこともあります。

 

その気持ちだけでもありがたかったです。

 

小学生の子供がいるのですが、子供が学校から1年に1回か2回、法務局からのお便りを持ち帰ります。

SOSレターというようなネーミングがついていたと思います。

ネーミング違ってたらごめんなさい。

 

もし、当時このSOSレターがあれば間違いなく書いてます。

 

学生さんがもしこのブログを読んでいたら、学校からもらうSOSレター(折ったら封書になるものだったと思います)心配なことあったら

書いて送ってほしいなと思います。