現役時代、先輩と2人での九州出張のときの話です。
鹿児島での商談が順調に進み、時間に余裕ができました。その日の後の予定は福岡への移動のみ。西鹿児島駅に出て、特急【有明】で博多駅へというのが普通です。ぼくは、前から『日本三大車窓』の一つである肥薩線の“矢岳越え”に行ってみたかったので、先輩に肥薩線回りを提案しました。先輩は鉄道好きではありませんでしたが、『日本三大車窓』ということに興味をもったらしく、了解してくれました。
吉松駅を出発し、いよいよ矢岳越えです。エンジン全開で急勾配をノロノロと登るディーゼルカーに乗りながら、昭和20年にこの肥薩線で起こった、急勾配を登れなくなった蒸気機関車がトンネル内で後退して多くの人が轢かれた大惨事に思いをはせました。峠の三大車窓は、霧島連山はもちろん桜島も遠望でき、雄大で素晴らしいものでした。峠を越えると、今度は急な下り勾配。列車はブレーキでスピードを抑える走り方になりました。ループ線とスイッチバックがいっしょにある大畑駅も楽しめました。天気にも恵まれ、素晴らしい“矢岳越え”になりました。
人吉駅で列車を乗換え、発車した直後、先輩が缶ビールとおつまみをひろげました。いつ買ったのか・・・。先輩の顔はすっかり観光モードになっていました。ほろ酔い気分で、八代までの球磨川の眺めを堪能しました。
携帯もモバイルパソコンもない昭和時代の出張の楽しい思い出です。
肥薩線は、令和2年の集中豪雨の被害で、現在も八代~吉松間が運休中です。