≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」

からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その7

今回紹介している絵は、「布袋すたすた坊主図」です。

作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。

布袋は唐代に実存したとされるお坊さんで、町に出かけて説法するのが好きで、供物がたくさん入った袋を持って歩いていたので、その名がついたと言われています。

日本では、七福神の一人として有名です。

「すたすた坊主」というのは、江戸時代にいた、忙しい人々の代わりに神仏にお参りに行くと称して、芸を見せたりしてお金をもらっていた人たちのことです。

「来た来たまたきた、いつも参らぬさひさひ参らぬ、すたすた坊主、ゆんべも三百はりこんだ、それからはだかの代参り」などと書いてありますが、実際にこんなことを唱えながら、持ってい

る竹の小枝で自分の体にぴしゃぴしゃ水を掛けながら、みずごりなどをしていたようです。

右側に「布袋どらをぶち すたすた坊主なる所」とあります。

「どらをぶつ」とは、道楽のこと。

布袋さんにとっての道楽、つまり説法が過ぎてすたすた坊主になってしまっても、みなさんの福を祈りましょうという意味だと解釈されています。

「すたすた坊主像」は、白隠自らの生き方を表した禅画です。

はだか一貫になっても、全てを投げ出して人々を救う。

泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生。同じ暮らすなら笑って暮らせというのが、布袋様の教えです。

すたすた坊主(布袋)・退歩 と 自然運動(ゆらぎ)

からだ日記の中に、自然運動の中でしぜんに子供にもどっていき、夢の中で色んな問題を解決してゆき、笑いながら目覚めていくとあります。

禅の言葉で「退歩」があります。

禅では「進歩」が外的対象に着目する姿勢を言いますが、「退歩」は、心を問題にする姿勢を意味しています。

自然運動は、失われた身体感覚を取り戻す反応の要素も含んでいるように思えます。

すたすた坊主(布袋)の歩む方向は、退歩の方向でそれは原初に向かっているのではないでしょうか?

この退歩の感覚をとりもどすには、色んな方法があるようです。

それには、まず頭を空っぽして、自然の風を楽しむ事が必要です。

我々のご先祖さまであるホヤは、海中で流れに身を任せ揺らいでいました。その感覚を取り戻すのです。

しかしこの感覚は、現代人は喪失しているようです。

どうすれば、取り戻すことができるのでしょうか?

自然運動の中には、身体の修正、心の調整、魂の目覚めなどの無意識のセルフケアーが含まれているようです。

また、日本古来の作法、動作、型、養生法等も参考になります。

無意識、原初、退歩、自然運動・・・・・未知の人体構造・働き