前回「禅の調べ」と「盤珪語録を読む」を読んだ続きで

こんなことが浮かんだ・・・。

猿も瓢箪から落ちるとどうすれば良いのか?

落ちるとは、自分が宇宙の塵であることを忘れること。

その時二つの禅僧の考え方を選んで

よじのぼり、それから修行して、瓢箪(大自然)にかえることで、安楽(さいわい)をえられ、身心が健康になり自分(自己)を調整できる。

どちらの禅僧の「環」を登っても結果は同じです・・・・コペル