≪今日のコペル先生独り言≫
『コロナウイルスを遠ざける方法〜聖書、仏典を楽しく歌う(ハミングする)こと〜、「鼻歌:ハミング」=NO濃度が15倍に上昇:ウイルス侵入防止』
2016年1月教会内で行わている門脇佳吉神父様の坐禅会に参禅してまいりました。まるで大学で講義を受けているように話し出したら止まらないなかで、聖霊をいのちの息吹、「風」である。風はどこから来て、どこへ行くかわからない。だから音を聞く、いや声を聞く。と話してくださったときにはドキッとした。大切な気づきの場となりました。その日から月に一度の参加が続き、その中で提唱が行われるときの始まりには、必ず「アバ,パパ」と大きな声で3回叫ぶのです。5年前に、副鼻腔をゆらす「ムーーン」が、自然運動の微細のゆらぎと共通点があると
気が付き、皆様にご指導していました。
それが5年たち、スウェーデンKarolinska病院麻酔・集中治療部門のEddie Weitzberg氏ら。 Weitzberg氏らは、主に副鼻腔粘膜で産生するとされるNOの「鼻腔における濃度を測定すれば、副鼻腔と鼻腔との間の“通過性”を評価できる」と研究を行い。『ハミングが副鼻腔炎を予防する?、鼻腔NO濃度の上昇が確認』し、2002年に発表されていたことに気づき
https://medical.nikkeibp.co.jp/.../archives/197581.html...
現在のコロナ禍、『コロナウイルスを遠ざける方法〜聖書、仏典を楽しく歌う(ハミングする)こと〜、「鼻歌:ハミング」=NO濃度が15倍に上昇:ウイルス侵入防止』に最高の養生法に入れるべきことでした。
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以下は、藤女子大学で『聖書に学ぶ 私たちの体は聖霊の神殿です(聖パウロ))
門脇佳吉神父様が講演された時の一部引用
長文ですがいいお言葉です、是非お読みください。コペル先生より
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からだ(神殿)における聖霊の活(はたら)き 「アバ,パパ」と叫ぶ「アバ,パパ」と叫ぶ。まずはここから入りたいと思います。これはちゃんとしたパウロの教えですよ。叫ぶというのは,唱えるということです。叫ぶとか唱えるとか言うのは,頭で考えて「アバ,父よ」と祈るという,そんなことではないんです。からだ全体で,「アバー」とみんなで唱える。
親鸞聖人が,みんなで南無阿弥陀仏を唱えるように,パウロの原始教会は,みんなで「アバ,パパ」って叫んだんです。それは日本の言葉でいうと行(ぎょう)なんです。からだ全体で祈るんですよ。頭で祈るんじゃありません。もちろん頭は使いますよ,御(おん)父(ちち)がどれほど私達を愛しているか,キリストを送ってくださって,十字架まで従うようにされて……という話は
あるんですけれど,しかしそれはただ頭で理解するだけではないんです。
最後は,「アバ,パパ」って叫ぶ。パウロは『ローマの信徒への手紙』の八章の15節で,「あなたがたは,人を,神の子とする霊(れい)を受けたのです。この霊(れい)によってわたしたちは『アバ,パパ』と叫ぶのです」と言っております。聖霊がまず叫ぶんです。
面白いですね。この祈りはもっとも深い祈りだと思います。まず聖霊が叫ぶんです。私達の中で聖霊が叫ぶんですよ,叫んでいるんですよ,私達の中で。それで,私達はそれに基づいて,
「アバ,パパ」と,一緒に,共同体として,祈るんです。
この「叫ぶ」ということは,聖霊に触発されて,そして聖霊と共に叫ぶんです。
全身で,肚(はら)の底から,口先だけでなくて,頭で考えてじゃなくて,もう人間全体でもって働く。
そうすると,聖霊は,私達が神の子であることを証しして,証明してくれる。はっきりと教えてくれる。間違いなく,あなた方は神の子ですよと,ちゃんと一人一人に教えてくれる。これはパウロの教えです,私の教えではありません。ただ,一緒に叫ばなければなりません。頭で考えてもダメです。
親鸞聖人も同じでしょう。南無阿弥陀仏という称名(しょうみょう)というものを唱える。もちろん信仰をもって唱える。そうすると証ししてくれて,そして悟るという。つまり我々は神の子であることを悟るんです。神秘家なんです。我々は神秘家になれるんです。難しいことではないんです。何か,政治のように偉大なことをする,偉大な説教をする,そんな必要はないんです。みんなで叫ぶんです。
例えば,パウロの『コリントの信徒への手紙一』の六章の19節に
「あなたがたの体(からだ)は,神(かみ)からいただいた聖霊(せいれい)が宿(やど)っている神殿(しんでん)です」と書いてあります。
私はそのパウロの言葉を読んで,うわあ,すごいなあと思ったんです。
ヨーロッパの人は,実際に読んで,頭で理解するんですけれど,「アバ,パパ」と叫んだり,唱えたりということを誰も実行するということを考えないわけです。これがヨーロッパのキリスト教なんです。理解して,それで終わり。そうではなくて,やっぱり,「アバ,パパ」と叫んだり,唱えたりということを実行することが大事なんです。書いてある通り実行したパウロの初代教会は,実行したから,素晴らしく栄えたんです。霊が息吹いたんです。聖霊に息吹かれたんです,初代教会は。ものすごい勢いでキリスト教はヨーロッパ世界に広がったんです。現代のヨーロッパとの違いがわかりますか。
だから皆さんも,今日の話を聞いてね,ただ良かったなあ,良い話を聞いたって思うんじゃなくって,実行していただきたいんです。あとからちゃんとその方法をみんなでやりますけれど,その前にちゃんとした話をしておきたいと思います。
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聖霊は私達の体において活(はたら)いている。
聖霊は私達の体において活いている,と。我々はまず感じません。まず,そんなことは誰も考えません。しかし聖霊が私たちの中で活いている事実があるんです。それはパウロが教えていますし,パウロだけじゃなくてヨハネも教えています。このことは聖書の中心的な考え方です。パウロははっきりと,聖霊は私達の体の中において活いているということを言っています。
特に『フィリピの信徒への手紙』には,パウロの非常に大切な教えがあると思います。
その中にこういう言葉があるんです。「あなたがたは最初の日 から今日まで,福音(ふくいん)にあずかっている。あなたがたの内にあって,善(よ)き業(わざ)を始められた方,父なる神
かみが,キリスト・イエスの日,終末の日までに,その業(わざ)を成遂げてくださる」。これは『フィリピの信徒への手紙』の一章の5節から6節にかけての言葉です。
そして,『フィリピの信徒への手紙』の二章の13節に,「まさに神ご自身(神に冠詞がついていませんので,ここでの神は,神,キリスト,そして聖霊を意味すると考えられますが,その神)が,あなたがたの内にあって御意(みこころ)にかなった事柄がらを願ねがうようにさせ,働くようにさせるように活かれている」とあります。たいへん面白い文章なんです。ちょっと日本語としてはこなれていない文章ですが。神様は活くんです。私達の中で,活くんです。私はそのはたらきを「活き(はたらき)」というように書くんです。普通は「働き」と書きます。「働き」,これは見えるほうの「はたらき」,「活き」,これは見えないほうの「はたらき」なんです。神様の活きは見えないんです。しかしその結果がわかるんです。そしてその活きが,あなた方において何をしているかっていうと,まず第一に,「御心(みこころ)にかなうことを願うようにして」くださる。これは面白いですよ,みなさんの中で活いているんです。
たとえばこの講演にいらっしゃるという望みを起こしてくださった,これも神様が活いている証拠。聖霊において活いておられる。それから,いいことをしようという衝動が起こるでしょ,これは神様の活きなんです。
最近面白い方が私の周りに集まってきて,その中に,坊さんになって曹洞にいらっしゃる方がいるんですが,その方がね,カトリックの修道者になりたいという望みを起こしたんです。私に手紙を下さったんです。それで,私は手紙を書いたんです。それはたいへん難しいことですよと。まず洗礼を受けなければならない。洗礼を受けるためには一年ぐらいかかります。その洗礼を受けてから,修道会に入るまでに三年間,ちゃんとしたキリスト教的な生活をしなければなりません。それから,修道生活で修練しなければなりません。本当に誓願を立てるまでに十数年かかる。イエズス会ですと12,3年かかる。そのことを書きました。そうしたら,それでもカトリックの修道者になりたいと言ってきた。これは,本当に神がその方に,よき願いを,思いを,起こさせた,そして実行しようとされている。御心(みこころ)にかなうことを願うようにさせて,そしてそれに基づいて働くようにさせる。願うだけじゃなくて,実行して働くんです。そのように神様は私達を助け,働いている。これはパウロの言葉です。皆さんの中にもそれは必ずあるんです。これが本当のキリスト教です。ここで中心的な言葉は何でしょうか。それは「神様は活(はたら)く」という言
葉です。そして私達がそれに応えて,神様の活きが私たちによい思いを,望みを起こさせてくれるんです。感応道交(かんのうどうこう)です。そしてそれをまた,それを実行させてくれるんです。ただ願いなだけでなく,実行させてくれる。行いです。からだで行っていくんです。そして,それを完成してくれるんです。終わりの日まで完成してくれる。それは「道交」です。