≪こんな時こそ、口ぱくぱく養生法≫ その13
「ヒポクラテスの誓」と「貝原益軒の養生訓と武士道」
ヒポクラテスは紀元前5世紀にエーゲ海のコス島に生まれたギリシャの医師で、
それまでの呪術的医療と異なり、健康・病気を自然の現象と考え、
科学に基づく医学の基礎を作ったことで「医学の祖」と称されている。
彼の弟子たちによって編集された「ヒポクラテス全集」には当時の最高峰であるギリシャ医学の姿が書き残されている。
その中で、医師の職業倫理について書かれた宣誓が「ヒポクラテスの誓い」である。
①この術を私に教えた人を我が親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要があるとき助ける。
②師の子孫を自分の兄弟のように見て、彼らが学んだとすれば報酬なしにこの術を教える。
③私は能力と判断の限り患者に利益すると思う「養生法」をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。
④依頼されても人を殺す薬を与えない。
⑤同様に婦人を流産させる道具を与えない。
⑥純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。
⑦どんな家を訪れ時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術
を行う。
⑧医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。
⑨この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実践を楽しみつつ生きて、全ての
人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわり
たい。
我が国の医師の倫理を記したものに、貝原益軒の「養生訓」がある。
醫とならば、君子醫となるべし。小人醫となるべからず。
君子醫は人の為にす、人を救ふに志専一なるなり。小人醫はわが為にす。
我が身の利養のみ志し、人を救専ならず。
醫は仁術なり。人を救ふを以て志とすべし。 是、人の為にする君子醫なり。
人を救ふに志しなくして、只、身の利養を以て志とするは、是、わが為にする
小人醫なり。
醫は病者を救わんための術なれば、病家の貴賤風紀貧富むの隔てなく、心を癒やして
病をなおすべし。
病家より招きあらば、貴賤をわかたず、はやく行くべし。遅々すべからず。
人の命は至っておもし。病人をおろそかにすべからず。是、醫となれる職分をつと
むるなり。小人醫は醫術流行すれば、我が身にほこりたかぶりて、貴賤なる病家を
あなどる。是、醫の本質を失へり。
貝原益軒のこの近代的な人権思想は、患者の権利の思想、医師の応召義務にも言及
されている。貝原益軒は儒教的立場から医の倫理を説いている。
養生順は、甚だしく誤解されている。長命の方法として読まれてきており、どこまで
現代医学と合致し、どこが非科学的かという詮索がなされているが、別の読み方があ
るようだ。
益軒の死の前年、83歳のときに書かれた養生訓は「貝原益軒という長寿の儒者が、自分
はいかに生きたか、その間に健康についてどれだけの配慮をしたかを書いた肉体的自伝
として読む必要がある」。
養生訓は、「志ある人間は医学をいかにみるかについて多くの事を教えている」。
そしてもう一つ忘れてはいけないことは、貝原益軒は儒者であるとともに武士であった
という事実である。 風轉風楽