門脇佳吉神父様が帰天されて1年
7月18日13時よりイグナチオ教会 クリプタで
道の共同体の坐禅会の皆様のお声がけで
ホアン・マシア神父様による命日のミサを行いました。
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僕は仕事でしたので、齋藤にバトンタッチ。

「私は信じた。それゆえに私は語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の心をもっているので、私たちもしんじているゆえに語るのである。
イエスを死者の中から起こした方は、イエスとともに私たちをも永遠のいのちに与らせてくださる。それは、神の恵みがますます多くの人々に及んで感謝がみちあふれるためである。
私たちは希望を失わない。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされている。なぜならば、今いきているあいだの一時的な艱難は計り知れない永遠の栄光をもたらしてくださるからである。したがって私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くのである。そして私たちは、仮の住まいである地上の幕屋が打ち壊れても、神が整えてくださった建物があることを知っている。
それは、人の手によらない、天にある永遠の住家である。そのとき、死ぬべきものが永遠のいのちによって呑み込まれることになり、私たちをこのことにかなうものとしてくださる方は神である。神は、その保証として自分の霊を私たちのうちに注いでくださる。
(2コリント4,13・5,5)

僕は神父様の最後の姿をしっかりと目の裏に焼き付けております。
お陰様で、からだが見えなくなっも今だに
沢山のメッセージをいただいて、無心なこころで全てが腑に落ちてきます。このような身読の仕方を坐禅を通して、ご指導していただいたことに感謝申し上げます。合掌 筒井重行