ふらく図
あってあわずの間の稽古 その2-3
『世阿弥における気の思想 門脇佳吉』引用
④能はキリスト教の神秘を最もよく表現する演劇である
私は坐禅を実践したので、世阿弥の思想を研究していると面白いことを沢山発見できる。
世阿弥は、呼吸の仕方、声の出し方、しかもそれをどこから出すべきであるかという工夫を凝らしている。その声はただ単に美しい声だけでなく、神から出て来る神的な声であるべきだという。舞もそうである。それによってはじめて人々を感動させることができる。
こういう考えに基づいて、私はキリスト教的新作能「イエスの洗礼」と「安土の聖母」を作った。能の伝統を受け継いだものであり、神顕現の場が能舞台であり、能役者は神職であり、舞うことによって神的なものを現すので、キリスト教の本質を表現するには、能は非常に適した演劇だと言える。キリスト教を一言でいうと「神が人となってこの世に現れたこと」である。
私はヨーロッパで「イエスの洗礼」を公演したが、非常に感動を及ぼした。「イエスの洗礼」では、神が人になられて現れたことを表現するため、私は舞台にイエスという人物を出すことを避けた。ただ洗者ヨハネがヨルダン河のほとりでイエスに洗礼をさずけたときの様子を語ることによって、イエスを舞台に現存させようと意図したのである。梅若猶彦師は非常に優れた能役者で、それをみごとに実現してくれた。「イエスの洗礼」を観たイタリア人のある演劇評論家が「私はあの舞台にイエスが現れたのを観た」と語ってくれた。チビルタ・カトリカ(civilta catolica)という文化雑誌(日本でいえば、「世界」や「中央公論」の種類の雑誌)にいつも劇の批評を書いている人である。「イエスの洗礼」の最後に洗者聖ヨハネに扮した梅若師が神顕現に出会って喜びの舞を舞う場面があるが、ここでも梅若師は非常に面白い演出をしてくれた。ローマのイグナチオ教会という教会で公演した時のことである。床が大理石なので、能役者は大変困ったと思う。足でパーンと床を叩いたりすることができないからである。彼は二時間程じっと舞台になるべき聖堂を眺めていた。そして私の所に来て「神父様、あそこの祭壇に(古い教会なので祭壇が後ろの方にあった)上らせてください」と言った。私は神聖な場所に能役者が上がるのは大変失礼なことだと思ったが、その聖堂の主任司祭に尋ねたところ「まあ、いいでしょう」と言われた。その祭壇を舞台に彼は最後の舞を舞ったのである。洗礼者聖ヨハネが神顕現に遭ったその喜びを表現したのである。先程から申しているようにこれが正しく能なのである。彼もそれほど意識していなかったようであるが、祭壇の床は木になっていて、祭壇の下は空洞であった。彼が舞を舞ってポーンと祭壇の床を足で踏むと教会堂がドーッと音をたてた。私をはじめ観ていた人は皆感激してしまった。その評論家は私の所へ飛んで来て「あの人はカトリック信者ですか」と言った。「彼だけがカトリック信者です」と言うと彼は鬼の首を取ったような喜びようであった。「なぜか」と聞くと「あの人は祈っていた。身体全体で祈っていた」と言うのである。これは凄いことで、私が正しく狙っていたものでもあった。つまり神楽というのは祈りである。キリスト教的に言うと舞うことによって祈ったのである。それが人々に感動を与えたのである。
そこで私はこういう日本の深い伝統とキリスト教的な伝統が一つの融合をなしている新しいものを作ることを考えた。これ程素晴らしい能の伝統はヨーロッパにはない。ヨーロッパの劇はアリストテレスの詩学にあるように、演劇は人間同士の葛藤や恋愛を描くもので、人間の出来事を真似るというのが、中心的な思想である。劇作家の第一の仕事は人間の間の葛藤や和解の「筋立て」をきちんと書くことにある。能には筋書きはあまりなく、神的な姿を現して人々を感動させることが主眼なのである。たとえば、「羽衣」をご覧になった方はお分かりのことと思うが、天女が衣を無くし、漁夫がそれを見つけて家に持って帰ろうとする。天女はその衣をやっと返してもらい、そのお礼に舞を舞うが、それは天上的な舞なのである。
このように世阿弥は能を天上的なものを顕すものと考え、そのために大変な工夫をしなければならなかった。
今回、青木宏之師による新体道の演技があったが、あれだけのものが出来上がるには、長い長い間の修練と工夫があったであろう。しかし、恐らく世阿弥は小さな時分からもっともっと修練し工夫したものと思われる。それについての彼の言葉がある。「この道に至らんと思わん者は非道を行ずるべからず。」ただただこの能一つに全てを捧げろと言っている。そして彼はそれを実行し、そこではじめて道に到達できた訳である。しかし世阿弥は能の最高の演技を実践しただけでなく、彼はわれわれにいろいろな伝書も残してくれた。これらの伝書には貴重な能楽の理論が書かれているが、それらの中から二つの言葉を一緒に味わってみたいと思う。
⑤天上的な妙なる音楽を響かせる
「一調二機三聲」と「舞声為根」という言葉がある。どうゆう風に声をだすのか。どうゆう風に舞うのか。それを一生懸命工夫し、最後に到達した極意を伝書として残している。伝書だから余程稽古を積んで最後の段階に到達した人にしか教えなかったものである。われわれはそういう身分ではないが、一応その身になったつもりで考えてみたいと思う。私は禅を少しやったためか、こういうものを読むと禅に非常に似ていることを感じる。どうゆう風に声を出すかということである。また、声に合わせて舞いがでてくるということである。そういう工夫を少し一緒に考えたいと思う。
「一調二機三聲」
調子をば機【き】が持つなり。吹物の調子を音取りて、機に合せすまして、目をふさぎて、息を内へ引きて、さて聲を出【いだ】せば、聲先調子の中より出づるなり。(『花鏡』)
先ず笛の調子を音【ね】取る。能では笛が大変大切な役割を果している。能が始まる前に必ずお調とべと言って笛が鳴る。わざわざ「お」を付けてお調べと言い、非常に尊敬された音楽なのである。私が春日神社へ行った時、若宮の御祭り真夜中に神様をお迎えするため神職の方々が五十人位集まっているのを見た。神様が出現する時、笛の一声が鳴った。これがお調べの最初だと私は思った。私は若宮のお祭の現場に居て非常に感動したのである。つまり笛はただ地上的なものだけでなく、天上的なものを表すのである。能管には喉と言われる中間に狭い所があり、わざわざ音の調子をくずしている。調子をくずすことによって、自然を超えたものを表そうとするのである。この世の美しいものの多くは調和あるものであるが、天上的な美しさはこの調和を超えているから、笛の調子を上手にくずすことによって天上的なものを表そうとするのである。
幽玄または無の精神では目だたないもの、調子をくずしたものの中に天上的なものがかえって現れるのである。そのため調和をわざわざくずすのである。くずすことによって天上的な音、どこか異次元から発する音として聞こえて来るのである。これは若い現代作曲家でベルリンフィルの百年際のオーケストラ曲で一等賞をとった細川俊夫という人が言っている。
天上的な笛の音で始まるから、ここでは調子という時、天の調子のことを言う。もう一つは能役者はいつも観客からの気に注意を傾け、その調子をも音取る。そしてはじめて音を出すのである。調子によって観客と役者とのコミュニケーション、ノンバーバルコミュニケーションをなすが、これも機である。だから天の調子であると共に笛の調子であり、観客の調子でもある。まず役者は声を出す前に心を静めて、じーっと調子を音取る。世阿弥が「機に合わせて・・・すまして」と書き残したのはそのためなのである。これは禅では禅機という言葉でわれわれには親しいが、「機」は、能役者の「気」(呼吸・集中による内的ちから)のことである。この「気」は「道」(天上的な根源)から発する。しかし、能役者は観客が待望している時機を見計らって声を出さねばならず、「機」には役者の「気」に「時機」の察知が加わるのである。観客が今や今やと待っている正しくその時、そして内から自分の機が熟して声が出てくる丁度その時が内と外から天上的なもの(「道」の「活き」)が降ってくる時である。そしてその機に合わせて声を出す訳である。そうすることによってのみ、人々を天上的な力で感動させることができる。
これには役者の主体の中でその機をしっかり養って行かなければならない。目を閉じて心を澄ます。そうすると外から、つまり、天上から自然から、観客から、調子を音取り、しかも自分の中に内的なその天上的な機が熟して来るから内と外からその機が溢れてくる。それに合わせるのである。だかあすでに引用した世阿弥の言葉は非常に重要な言葉である。内と外のものを全部合わせ、それを澄ませる。そして肚まで持って行く。これは禅でわれわれがやることである。
さらに「目を塞ぎて息・その機を内へと引き」と世阿弥は言う。呼吸はまず吐き出すことが重要である。それをスーッと大きく吸い込んで声を出す。「さて、声を出せば、声先、調子の中より出づるなり。」声を出せば声先、声の一番微妙な先である。ただ単に時間的な先ではなく、最も深いその微妙なその音が調子の中より出てくるのである。調子は天の調子であり、観客の調子であり、笛の調子でもある。それに合わせて、声が出てくるから、妙な音が出てくるのである。このようにして声を出すので、人々に感動を与えることができるのである。ただ単に美的な感動だけでなく、天上的な感動を与えるということが世阿弥の狙いなのである。
⑥舞は能の中心...
世阿弥は舞を能の中心に置く。女体・老体・軍などの物まねを大切にするが、物まねを学ぶ前に、舞と音曲を習うように説いている。前にも説明した「羽衣」からも分かるように、舞によって天上的美しさを表し、観客を感動させるのが能の根本なのである。どう舞うかは、能にとって最も大切なことである。世阿弥はどう舞うかを次のように教えている。
「舞は、音声【おんじょう】より出でずは、感あるべからず。一声の匂ひより、舞へ移る堺にて、妙力あるべし。又、舞いおさむる所も、音感へおさまる位あり。」(『花鏡』)
声から舞が出て来る丁度その「堺」を大切にしている。その瞬間、その瞬間は恐らく天上的な働きがそこに及んで来るという機だと思う。その「堺」に「妙力あるなり。」と言っている。天上的なものを妙と名づける。妙力だから身体から発散する天上的な気力である。それが本当の気である。その気が人々を感動させるわけである。
このように世阿弥はいかにすれば観客に感動を与えるかという問題を抱え一生懸命修練し工夫を凝らした結果、伝書を書き残したのである。これはいろいろな伝書に当てはめることができる。寺山師と私は大森曹玄老師について、坐禅や筆禅道を学んだ。その経験から言えば両方同じものによって貫かれていると思う。身体全体の力を抜いて身体全体を無にして万物の根源だる「道」の働きを身体いっぱい受けて坐禅し、書を書く。無心になって、天地万物と一体となり、天地万物の「気」に満たされて書くことで素晴らしい書が出来上がることになる。これは世阿弥の教えと一致する。他の芸道、いやそればかりか、私たちの日常生活もそのようになると素晴らしいものが出て来ると思う。
今回の「気の実践」で青木師は「新体道とは人と人との輪を作るものである」と言われた。ここには同じ精神がある。なぜなら、観客と世界、天と地とその全体を一っにするものにまで自分を高めて行くからである。そうゆうものがわれわれの伝統の中にあり、それを世界にまで広げて行くことがこの学会の重要な使命ではないかと私は考えている。将来、どの位継続可能なのかよく分からないが、継続できれば大変面白いことだと思っている。
ご存知のとおり、NHKが人体シリーズの番組を作り、心臓のことを取り扱ったプログラムがあった。それは海外で賞を七つもとった程、素晴らしい番組だった。そこに梅若師が出演している。NHKの番組担当者が私に適当な人を推薦して欲しいと言ったので、私は梅若師、そして青木師の名もあげた。梅若師は当時31歳で、非常に若さに溢れた演技をし、素晴らしい花を咲かせる人だった。面白いことはその心臓の脈拍が200拍/分位に上がるのである。200に上がると普通の人は死んでしまうが、それほど高揚するのであった。しかもそれは何か動作をしている時ではなく、なにもしない時ですら脈拍が200に上がったのである。そのことから、彼がどれほど心を充満させているかがよく分かると思う。もう一つ青木師に関して面白いことが起こった。NHKはその番組に青木師を出演させなかった。私は「どうして青木師を出演させなかったのか」とNHKに尋ねた。ところが、NHKの出した雑誌に青木師の面白い計測が出された。何が面白いかというと、青木師は梅若師より歳をとっている分修行も積んでいる。青木師を実際にNHKが撮ったのは滝行である、寒い山の中で滝に打たれた場面であった。五度の水の中に入るのである。われわれの場合は水に入る前から心臓が緊張して鼓動が速くなる。滝に入った途端グーッと脈拍が上がるのが普通である。青木師の脈拍は少しも上がらなかった。テレビでその姿を見ていると身体をいっぱいに広げ楽しんでいるようであった。さらにその心拍数は下がっているのである。私はこれを見て「凄い」と思った。今回の演技を見て分かると思うが凄い演技である。NHKははじめその凄さが分からずに日本版の番組には入れなかったのである。しかしわれわれから青木師の境地が高いことを聞き、海外番組に出し、海外で賞を受けた。
恐らくこういう演技は、いろいろな科学的な計測をすれば明らかになってくることが多くあると思う。今、気功師の人体測定を行っている研究グループは将来、芸術や宗教体験にまで領域を伸ばそうとしている。そういう生の体験とわれわれの科学的研究を両方合わせて、この人体科学会を形成して行こうというのが私の望みであり、皆様の望みでもあると思う。私は皆様と共に、ぜひこの人体科学会を世界的なものにまでして行きたいと思う。今後ともお力添えをお願いしたい。
以上このような締めくくりで、25年も前に書いている、門脇佳吉神父様のお考えは、今の時代でも最先端のお考えでいたことに驚きを隠せません。
僕が、昨年末に道の共同体の坐禅会に参加していたときに、人体科学会第27回大会に基調講演でお招きを頂いたことを、提唱の時に嬉しそうにお話下さり、10月までに筆の練習しようと元気にお話ししていたことを今でも昨日のように思い出します。それまで私は人体科学会も知らないし、ましてやこの学会の初代会長であることしらず、本当にビックリしたことを思いだしました。
また、今回「あってあわずの間」というテーマを書こうと思った時に、この文章を読み返し、まるでこのタイトルにぴったりの文章を25年も前に書いていてくださったことに驚き、もっと不思議なことは、僕の自分の研究は言葉や文章にするのが難しく、図形やイラストにしてきたのですが、今回例をあげると「羽衣」は、数年前にイラストを描いていました。また、『「堺」に「妙力あるなり。」』は、僕はふらく図の細くなったところと感じ、現在、Moonと唱えることの研究(舌振動法)は、『声を出せば声先、声の一番微妙な先である。ただ単に時間的な先ではなく、最も深いその微妙なその音が調子の中より出てくるのである。』と文中にでてきました。
本当にありがたい。そして、神父様とはどこか深いところの繋がりを感じます。感謝して筆をおきます。風転風楽