2012526

「自然死」のすすめをどうおもわれますか?

とご質問がありました。

今日の一言でお答えいたします。



この度、アメブロ仲間の 嵩 和夫様より

「自然死」のすすめをどうおもわれますか?とご質問があり、内容が皆様のお役に立つかもしれませんのでシェアいたします。



「自然死」のことは、私は日常生活の基盤を取り除いてその所だけを見ても意味がないと思います。食事・運動・精神的な3つのバランスをとることを死ぬまでやり続けた人が最後にそうゆう時間帯を迎える。誰でも安楽な死を迎えたいと思いますが、最後をのたうちまわって死んでもいいと思う。苦しくない死だけがりっぱな死とは思ません。また、生き方をぬきにして、死に方だけをいってもしょうがありません。ぼくは“めびうす”でみているから、死に方には、生き方がついていますので両方あってのことです。今生きている時に死に方を考えてもいいし、死ぬときに自分が生きてきた時のことを思い出してもいいですね。でも最後は、自然との一体感を体感してきたかということをいいたいです。

皆さんの思う自然とはなんですか?自然を体感もせずに、春風ばかりではなく、台風や竜巻、地震も自然にはあるのです。私は、25年間ヒマラヤの自然の中を歩き回っている人間だから思うのですが、自然とはすざましいもので全てを受け止めなければいけない。自然との距離感とかいいますが、普通の状況でいれるような内容ではないことを知っていただきたい。

 僕はたまたま「自然との距離感(一体感)、自然を全て受け入れる」、体をフリーにして出入りをしっかりしておかないといけない、自分の意識でいいとこどりで蓋をしたり、かってに穴をあけたりしてはいけない。

それは、自然の中に住むとか、自然食を食べるとかいうことではありません。

自然の感覚・本質そのものの事です。僕は、禅もそうゆうことを求めているように感じたのでこの1年坐禅をしています。

 ”風楽研究所”の「風楽式ゆらぎ健康法」ブログ-ひまらや-4





この回答に嵩 和夫さんからのお返事を頂きました

どうぞお読みください。

嵩さんのアメバブログです。ご欄下さい

http://ameblo.jp/dakeka/entry-11258561433.html





2012.5.25

風楽式ゆらぎ健康法さん
私が、望んでいる回答を頂きましてありがとうございます。

>
自然死のことは、私は日常生活の基盤を取り除いてその所だけを見ても意味がないとおもいます。食事・運動・精神的な3つのバランスをとることを死ぬまでやり続けた人が最後にそうゆう時間帯を迎える。
   <全くその通りであります。>

>
それは、自然の中に住むとか、自然食を食べるとかいうことではありません。
   <俗に言う、自然ではないことは、よく判っているつもりです。

>自然を体感もせずに、すーと春風のばかりではなく、台風や竜巻、地震も自然にはあるんですよ。
   <何事にも、動じない心境が、必要と思います。>


>禅もそうゆうことを求めているように感じたのでこの1年坐禅をしています。
   <坐禅・・・・無の体得をさせて頂いております。>

筒井先生のご回答を頂まして、改めて、ヒマラヤでの自然界のでの体感、体得に感銘しております。
先生に、よろしくとお伝えてください。
嵩 和夫 拝