⑤風楽先生、2010年ヒマラヤにて生死をかけたコヒアランス感を体感!
[人間は自然の一部分]
一言でいうと人間は自然の一部分だなということです。それを体感するには、足の裏に正しく立つことと、足の裏の感覚をそれなりに意識して自然を感じる。
それは“つま立”にもいえることで、いまの若者の踊りも、飛んだり跳ねたりしていますが、頭に上った血や雑念も踊り狂って頭でっかちになって空中に浮いている状態で、結局は足と自然との接点、地面にぴったりと足をくっつけることが一番必要である。
日ごろから大地に足をつけている感覚。縄文時代の文字のないところから、感覚は感じていたんではないのかとおもいます。
宇宙人的に現代人は足が地についていない、頭でっかちですね。足の裏の感覚はたぶん、忘れ果てていうのでは、ちょっと意識するだけでもえらく違うのではないかと思います。
もう1つの山5800mを登った時に、ハーネス無でクライミングした時に、ゴロといったらおしまいです。だけど恐怖心も何もなくなって、3点確保だけを心掛け確保して、4本目の手を見たら手の先に朝方だからお月様が見えたんです。
人間意外と宇宙との接点を感じました。自分で手を伸ばして感じたことは、3点確保で『身体とこころとスピリチャリティ』というのをしっかり押さえたうえで、もう1つ掴む必要があるのかなと感じました。
4つ目が何か?命の確保、そうしないと落ちますから。つかんでいる岩がボロと取れてもだめだけど、それなもう自然にゆだねています。
自然から嫌われていなければそれなりにちゃんと登っている時に、手も届くし足もかけられて恐怖心の無く頂上に登っていかれます。
ちょっとでも疑って考えたらそこから動けないです。素人でも念仏みたいに3点確保と思いながら登るのです。進む為には、3点確保ですね。頂上の真上にお月様があったので月に向かって登っていくみたいでした。僕の感覚は、何かあるよね。
僕は、山はヒマラヤしか登ったことがなくて、日本では、高尾山しか登ったことなくて、富士山は登ったこともないのです。恐怖心で腰が引けるかなと思ったけど、全然そうはならず恐怖心がなかったんだ。降りる時もガイドの指示でロープ1本で降りたんです。降りる方が気を使うみたいです。
『どうして僕がこんなに恐怖心もなく登って行かれるのか後で聞いたら聖地だったと聞いてなんかしらないけど納得しました。』聖地だからこその自然との一体感を感じたのかもしれません。
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