こんにちは~~!
本日は、日ごろの不摂生を省みず
24時間リレーマラソンというものに
参加いたすのであります。
去年も参加して
めちゃくちゃ楽しかったので、
今年もケガなく
楽しもうと思っている
人生改善屋「ふ~みん。」こと
堀池典代(ほりいけふみよ)で~す
でも、そのあとは一週間
生きる屍と化したのを忘れてました
少しでも早く復活するために
アミノ酸 多目にオーダーしておきました
頑張りま~す
【出来ないは「やりたくない」という制限はエゴの罠】
「自分にはそんなことは
出来ない・無理」と
自分で限界を決めていることは
よくありますよね。
たとえば、
ワタクシ調理実習・お料理教室が
苦手なんです。
なぜなら
何人かのグループで
お料理を習っても、
結局「〇〇担当」となって
食材がはっきり「一人ひとつずつ」と
別れているもの以外
みんな手分けしてしますよね。
(ニンジン切る担当だったり、洗い物係だったり…)
そして
グループのお鍋は一つなので
誰かが代表で調味料を入れたり
しますよね。
自分が
調味料を入れる係りをしないならば、
横で見ているだけになります。
さて、自宅に帰って
自分が出来るようになって
いるかっていうと、
なんだか「習ってきた実感」が
ないんです。
「この料理なら作れるわ♪」
っていう実感や自信や
「このお料理作れた!」
という達成感が
ないんです。
実感や自信や達成感がないってことは
私の中では習ったことに
ならないんじゃないか??って
いつもモヤッとして
帰って来るんです。
それって、
自分が「出来ない」と
決めつけているから
学ぶ意欲が元々ないんだな~と
思うんです。
レシピもあるし、
試食して帰ってきているし
(味覚で覚えている)
特殊なやり方をするときは
見ていたり
少しでも体験したりしているし。。。
あとはやり方を早い段階で
定着させれば良いだけなんだと
思うのですよね。
お料理教室に行っても上達しない。
↑
恥ずかしながら、コレ
私の制限なんですよね。
やれるまで練習すれば
必ず出来るようになるのに
「習っても上達しない」と
決めつけている。
分かっているのに「しない」
んで、よくあるのが
「習っただけで
満足しちゃった~」って
言ったりしてね
ほんとうは、ほんとうは…
「出来ない」は
「やりたくない」んだよ~ぉ
(なんやかんやと文句付けてるけど、実際はやりたくないってこと~)
もう一度書きます。
「出来ないは、やりたくないということ」
なのです、ハイ
ワタクシの問題は、
お料理がしたくないのに
料理教室に行った
っちゅう話です
まぁ、でも、やりたくないのは
やらなくてもイイのだけれど
「やらなくて良い」で済ませられるものは
それでイイかもしれませんが、
お仕事の場合は
そうは言っていられないことが多いでしょう。
(以下「料理」を「仕事」に置き換えて読んでみてくださいね)
あなたのもっている
制限を外したとき、
いったい自分は
どんな素晴らしい人になっているのでしょう?
たとえば、
頑張って練習して
定着させれば
美味しいお料理が
自分で作れるようになります。
そうすると
料理を作る喜びも感じる
ようになるでしょう。
もっともっと
健康になるかもしれません。
誰かに振る舞うことが
簡単にできるようになります。
実は、この喜びを
感じることを制限して、
これ以上の喜びを
自分に与えないように
しているんです。
自分がさらに素晴らしい
人間になるのを
制限しているのです。
まさしく
エゴの罠に はまっています。
やりたくないのは論外ですが
もし、なにか
これが出来るようになれば
自分がさらに輝くのが
想像できることに、
「いやいや、私なんて~」って
思うようなことがあるのなら、
それは明らかに
エゴの罠に はまっています。
あなたの制限は何ですか?
ぜひ、その制限を取っ払って
本来の輝きのあるあなたを
取り戻しましょうね
↓ よろしければ