こんにちは~~!
昨日のお昼前に神戸は
ものすごい雷雨 がありました。
体感覚でいえば、
雷というより地響きがスゴクて
マンションにいたのですが
なんじゃこりゃ~~ って感じがした
人生改善屋「ふ~みん。」こと
堀池典代(ほりいけふみよ)で~す
【 あなたの支払った代償は… 】
自分の大事な時間やお金をかけて
ヒドイ経験をしたことがある人は
いらっしゃると思います。
私は、
3歳から6年生終わりまで
ピアノを習わせてもらっていました。
習い事をさせてもらうなんて
有難いことなのですが、
実は、
大嫌いな習い事でした。
物心ついたときには
すでに習っていたのですが、
全然練習しても上手くならないし
(いや、そもそも練習しない人でしたw)
とうとう「大嫌い!」と思いながら
何年も過ごすことになっていました。
習い始めのころ
母も一緒についてきて
私の隣で真剣に授業を聞いて
メモを取っている母を覚えています。
結局、
母がピアノ(楽器or音楽)を
習いたかったのです。(後年になって母から聞きました)
なのに、
何がどうしてこうなったのかw
私が習う羽目になったのでした。
毎週毎週「習い事」と言い
放課後友達と遊ばずに、
練習もロクにせずに、
ピアノに通い、
弾けないので時間を稼ぐために
先生に
「さ、そろそろ弾こうか」と
急かされるまで喋り倒すワタクシ。
本当はピアノに行きたくなかった。
ピアノ習いたいなんて
はじめから思ってなかった。
毎週毎週弾けない自分を感じるのが
とてもブルー
それなのに
そう伝えることが出来なくて過ごした
私の幼い9年間。
私がピアノを弾けるようになることに
母が期待していたのを知っているので、
もし私が本当の気持ちを伝えたら
母が悲しむかもしれないと
思っていたので
自分から言い出せないでいました。
決して母は
鈍感な人ではなかったはずなのに、
上達しない私を見ても
私のピアノ嫌いな気持ちに
気付いてはくれませんでした。
(今考えると、私が文句の一つも言ってなかったので、母には「娘がピアノを嫌っている」という考えがなかったのだと思います)
ある小学6年の終わり近くに
母が私に
「ピアノは今後どうする?」と
聞いてくれました。
やっとその時に私は
「やめる」と伝えることが出来ました。
ほーーーーーーーーっ と
安堵したのを覚えています。
一つの考え方ですが、
私の場合、
この『安堵感』や『解放感』
『気遣ってもらう』というものを
得るために支払った代償は…
私の若い幼い9年間という期間と
親が出してくれたとはいえ
長期の習い事の代金でしょう。
しかし、本当は
こんなに時間をかけたり
お金をかけたりする必要が
あることだったのでしょうか?
いま思うとホント高い代償でした。
でも、あの時には
これだけの代償を払わないと
私には、何が大事なことなのか
学べなかったのだと思います。
嫌なものは嫌と
自分の意思を明確に伝えることが
どれだけ大切かを分からせてくれた
若かりし頃の苦い体験です。
「損をした」、
「あの時間を返せ」…と
私たちは誰かに怒りを持ち続けたり
後悔しがちですが、
あれだけの代金や時間をかけたからこそ
何かを得ることが出来ているはずです。(但し決して「良い」感情ばかりではありません)
この苦い体験、
私には、これだけの授業料を
払う価値があった
と心から思えるようになったとき、
自然と前に進むことができます。
あなたの苦い体験を
心から価値あるものに変える
お手伝いをさせていただきます
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