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8/12(土) 14:30より


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こんにちは~~
昨夜は、レナード・バーンスタインの
舞台作品 『ミサ』 を鑑賞してきた
人生改善屋「ふ~みん。」こと
堀池典代(ほりいけふみよ)で~す
2時間もの作品の最後
グワ~~~っと、心に押し寄せてくるものを感じ
涙が止まりませんでした。
日本で23年ぶりの上演だったそうで
気になるものは
やっぱり観ておいて間違いないな~と思いました~
さて、昨日までの記事は、
『循環』を止めているのは、いつも「自分」① コチラから
『循環』を止めているのは、いつも「自分」② コチラから
『循環』を止めているのは、いつも「自分」③ コチラから
では続きを参ります~
何にでも「値段」がつけられる。
多いほうが「価値」がある。
こちらが「渡す」と、相手からも「もらう」。
借りたら、返す。
多いほうが「良い」。
「損」と「得」がある。 など…
いつしか「お金」の基準だった観念(価値感)を
「愛」にもバロメーターとして
使い始めた私たちは、
「無償の愛」「無条件の愛」という存在を忘れて
相手を「思いやる気持ち」や「やさしさ」や「感謝」を
忘れてしまっているように思う…という話でした。
では、話を「愛」に戻します。
自分が相手に どんな振舞いをするか
自分が誰に どんな在り方であるか
すべてが「愛の表現」となっています。
「お金」の価値基準を
相手に対しての振る舞いに使っていると
いつも損しているのは自分のように感じて
不満が溜まります。
「損」したくないので
自分の振舞いがケチ臭くなります。
自分の「愛」の量に
「限界がある」と信じています。
自分から
もっとたくさんの「愛」を与えられるなんて
まさか思えていません。
なんとなく分かりますか?
この思考って、まさしく
「愛」の『循環』を止める思考ですね。
例えば、
パートナーシップでよくあるのが、
自分は、結構 頑張って
(「愛」を与えて)いるのに
相手が自分に「愛」をくれない。
というもの。
本当にこの言葉はよく聞きます。
この中で私に届く言葉は
自分は頑張っているのに報われない。(感謝してくれない)
自分ばかりが損をしている。(もう出し尽くして疲弊している)
この人に「愛」を注ぐのはもう止めたい(あきらめた)。(もう限界)
な感じでしょうか。。。
理想論かもしれませんが、
人間同士のお付き合いって
時間が経つほど深みやつながりが
増していくことがあっても良いと思うのですが
この関係性では、
ほど遠いですよね。
パートナーシップに限らずですが、
別に「嫌い」と言われたわけではないけれど
あの人から「私は嫌われている」って感じたり
なんか嫌な気分を感じたり…
無言の戦いを吹っ掛けられているような
気分になったことって
ありますよね?
こんな風に自分が思ってしまうとき
心理学では『投影』(鏡の法則)という見方をして
相手も同じような感情を持っている
と学びます。
相手から喧嘩を
吹っ掛けられているように感じるとき
【必ず】自分からも喧嘩を吹っ掛けています。
ということはですよ、
相手にも あなたの態度や在り方が
「私に向ける「愛の表現」が気に食わない(物足りない)」と
感じられているということなんです。
ね、自分でも知らず知らずに
喧嘩吹っ掛けてるでしょ。
(あ、これは、自覚が持てない人が大変多いので、自分がどんなことを相手にしているのかを冷静に見直す眼が必要となります)
ココで、
「どっちから態度が悪くなった」という
犯人探しをはじめても
「どっちが悪くてどっちが正しい」
ということを求めても
戦争は終わらないので、
この無言の戦争に気が付いた人のほうから
「そうだった、この相手は戦うために選んだのではなかった」と
思い出すことが必要です。
というところで、
この続きは次回に~、って、
明日書けるかな~
明日くらいに最終回にしたいよ~~ぉ
お楽しみに~~
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