

今後の予定… 7/23(日)・8/10(木)・8/27(日)
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おはようございます~~
先日、行列のできるお店の
念願ランチで
中華粥をたくさんお代わりできて
満腹になったのに、
さらに晩御飯に別の行列のできるお店で
たらふく美味なお料理に舌鼓を打った
人生改善屋「ふ~みん。」こと
堀池典代(ほりいけふみよ)で~す
早いランチから、
晩御飯後のお茶で閉店時間までの
長い一日があっという間に感じた
楽しい時間でした~
「自分に選択肢を与える」って
みなさんはできていますか?
この言葉って、
なんか変に感じるかもしれませんね。
自分に対し
「Aを選んでもでもいいし、Bを選んでもいい」(もっと複数の場合も)という
選択肢はいつでもあるように感じている
ものだと思います。
が、案外、
自分に選択肢を与えていないことが
多いのです。
それは、どうしてか?
「正しさ」や「~~するべき」や
条件や損得や常識的と思っていたり
「過去に自分が誓ったこと」など
いまの自分の意思ではない
他の考えにのっとったものに
自動的に判断をゆだねていることが
自分へ選択肢を持たせず、
知らず知らず
ストレスを感じていることがあるのです。
これは無意識の話です。
自分の気持ちや意見が
「他にある」と思うとき、
人は必ず
何か信号をキャッチしています。
例えば
なんか分からないけれど
「モヤっとする」とか
「イライラする」とか
「違う気がする」とか。。。
この「なんか分からないけれど」という気持ちも
意味のないものは無く、
必ずあとからでも「意味があった」と
分かることがほとんどです。
なにかを
「選んじゃいけない」「強制された」と
思ったとき。
とても虐げられている感じになるし
そこには
「自由」を感じられません。
「選んじゃいけない」「強制された」と思うときって、
「誰かから」と思いがちですが
自分自身でも同じ作用が
起こっています。(無意識なので気付きにくいです)
なので、
モヤっとしたり、イライラしたりしたときは
あなたが何かに
こだわったり、思い込んだり、
自分に禁止していることがあるので、
些細なことにも注目して
もう一度 見直して
自分を楽しい人生に戻す
チャンスでもあるのです。
小さい時に
親や周りの大人から
「大人の事情」によって
子供心をかなえてもらえなかったという
欲求不満を感じた経験って
みなさんお持ちですよね?
「大人の事情」は大人になってから
分かれば良いものなのですが、
小さい時から物わかりの良い子でいた人は
自分が何を欲しているのか?を
たとえ自分のことであっても
分からなくなってしまってしまいます。
幼いうちは
周りの大人からの強制でしたが
そのうち
常識や正しさの概念を植え付けた自分が
自分自身を無意識で
強制するようになるのです。
こういう方は、
決まりきったことを簡単にこなすことは
当たり前のようにできるのですが
そこに、まったく『人生の喜び』を感じない。
こんなに真面目に生きているのに
「どうして幸せじゃないんだ?!」と
何かに『怒り』さえ感じることもあります。
(話が逸れるので、『怒り』については、またの機会に)
『怒り』を感じても
やっぱり聞き分けの良い子の自分は、
また『怒り』を感じることを禁止して
「大人で正しい自分でいよう(いるべきだ)」と
本来の無邪気で好奇心にあふれた『本当の自分』の登場を
禁止してしまいます。
むかしむかし
『無邪気』や『好奇心』丸出しだった自分は
親や周りに「すごく迷惑をかけた」と
思っていることも多く、
自分の「やりたいことをする」ということに
とても億劫だったり怖がっていたりする人も
たいへん多いです。
こういうタイプの方にカウンセリングでは
「いままでやってみたことがない」という点を見つけて、
(人の批判が怖くて・誰かに禁止された・常識的に考えてしなかった)
一度 自分に経験させてあげる
ことをしていただきます。
(もちろん強制はしません。 「怖い」と思う方が多いので、堀池は絶賛応援いたします\(^O^)/)
(もちろん、法律は守りましょう~ )
その状態での気分を味わい(自分がどんな気分なのか観察する)、(←ここ意外と大事!)
(「気分を味わう」とは…その経験が自分にとって良いことであっても、まずいなと思うことであっても「経験値が上がる」というのは、人生を満足して生きるうえで とても大切なことです。)
もう一度、新しい感覚で
「どちらを選んでも良い」という
「自分に選択肢を与える」ことが出来た時
自分に「何をやっても良い」という
許可をおろすことができます。
ココで大事なのは
たとえ「まずいな」と感じても
それが「悪いこと」だという
決めつけや判断をしないことです。
先日友人が
「海外で、どんな不味いものに であえるか楽しみ」
と言うのです。
「コレ、まっず~~~!! 」と思うことが
『楽しい』と言うのです。
面白いですよね
この人は
「自分が嫌な感情を感じたとしても楽しめれば良い」と
自分のどんな感情にも
許可を出せているんだなぁ~と感じました。
また別の例では、
私は合唱が好きで時折参加するのですが、
大好きな合唱指導の先生が
「全力で練習して、本番で失敗したら、オモロイやん!(面白い)」
と仰っていました。
いや、決して失敗を狙っているのではなく
全力で練習をしたならば、
失敗すらも(結果はどうであれ)必ず良い想い出になると
先生は知っていらっしゃるんだなと思いました。
これらのことからも
常識的な決めつけや判断よりも
自分に湧いてくる気持ちが大切なんだと
わかります。
小さい時に
「それ危ないからダメ」
「それ汚れるからダメ」
「それキタナイからダメ」
「それは美味しくないからやめときなさい」
「こんなことはしてはいけない」…
などと聞いてきたことを
自分が体験せずに「そういうものだ」と
思いこんでいることは、
知らず知らずに自分に対して
キツイ『禁止』を強いているのです。
小さな時に泥んこ遊びを禁止された経験から
土は汚い・汚れるものと思っていたけれど
お孫さんが出来て
近くの公園の砂場で遊んだことをきっかけに
陶芸にハマったAさん。
Aさんにとっては
偶然のことだったかもしれませんが
陶芸を楽しめるきっかけは
自分の禁止を乗り越えたから。
何がきっかけになるかは分かりません。
でも自分に禁止があることに気が付いて
それをやっても良い許可を与えやってみて
自分にどんな気持ちが湧いてくるか
注目してみる。
そこには生涯にわたる
『楽しみ』があるのかもしれません。
いまさらだけど、
決めつけや判断を手放して
些細なことでも
気になることは やってみる。
自分への禁止を解き放ち
いまの自分で
「やりたいことに選択肢を持つことが出来る」と
『自由』や『生きる喜び』『幸せ』を
感じられるようになります。
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