アサヒエンペラー | ftoppyのブログ

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ほとんど日記…いや、毎日更新はしないんでただの戯言ですね(^^)
競馬、漫画、パチスロ、映画なんかの話が中心だと思いますんで(´Д`)

続いてしまいますが、1987年の天皇賞(春)3着馬のアサヒエンペラーについて。

「騎手は中舘英二じゃないの?」

と突っ込みを受けました。

オイラ自身そう思っていたのですが、調べたらこの時は蛯沢騎手だったようです。


現調教師の中舘英二氏。

騎手現役時代は逃げ馬でよく良績を残していました。ヒシアマゾンやツインターボなんかで有名ですね。

この中舘騎手がデビュー2年目、所属する加藤修甫厩舎の期待馬・アサヒエンペラーの主戦を務めました。

条件戦を強い内容で勝ち上がり、弥生賞→皐月賞→NHK杯→日本ダービーと常に上位人気になりながら勝てず、経験が足りないから降ろせという馬主の要請を加藤修甫調教師は突っぱねたという有名な話があります。

すぐデムルメ、異人騎手に頼る現代とは考え方が違うのでしょう。騎手は乗らなきゃ育ちませんから。


アイネスフウジンでダービートレーナーになりましたが、こういう調教師は今はあまりいなくなってしまった感がありますね…ショボーン

アサヒエンペラーはセントライト記念2着後に故障があり菊花賞には参加できず。
その後も好勝負するものの結局重賞を勝つことはありませんでした。

牧場でのアサヒエンペラー。

「未完の大器」のまま引退、種牡馬入りするも数少ない産駒は走らず。功労馬として長生きはしましたが、記憶に残る馬としての評価止まりといったところでしょうか。天寿を全うできる馬が少ない中、幸せだったとは思いますが、

もしもクラシックでベテランを乗せて大レースを勝っていたら。

違う馬生を歩んでいたかもしれませんね。

中舘騎手はその後立派に活躍しましたし、加藤厩舎は別の馬でダービー制覇を果たしました。
当時の選択が間違っていたとは思いません。
それでも勝負ごとは「タラレバ」を考えてしまうものですねニヤリ