初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。


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家族の異常に気づく①
家族の異常に気づく②
家族の異常に気づく③




真正面から向き合うと底が見えたのが母親なら、関わらないようにしていても不快指数120%なのが父親だった。




父親は、子供部屋で寝ている俺を親切丁寧に起こしに来た。

ノックもせずズカズカと入ってきたかと思うと、「朝だぞ~」とのんきな声を上げカーテンを開け始めた。


目を疑った。


窓はベッドのすぐ横で、ベッドに乗らなければカーテンには触れられない。


父親は当然のように俺に馬乗りになり、カーテンを開け始めたのだ。


俺自身は男とは言え、カムアウトも受けていない父親からすれば娘だろうに…。




突然のことに驚いたのと寝起きも重なって、うろたえながら話しかけた。


「な、何やってんの!?」

「朝だぞ~、起きろ~」


俺の口調も目つきも不信感に満ちているのに、父親は何も読み取ろうとしない。

そのことで俺の動揺は怒りへと変わった。




「何が朝よ!勝手に何やってんのよ!!」


俺が怒りをぶちまけると、父親は理不尽そうな顔をした。

朝なのに起きない俺を鼻で笑い、俺の怒りの方が間違っているという強気な態度で押し通した。


起こしてくれと頼んだ訳でも、起きなければいけない理由があった訳でもない。

余計なことだと説明しても、「朝だからカーテンを開けるんだ」を繰り返すばかり。


埒が開かない。




勝手に部屋に入る、寝ている人間を無理矢理起こす、娘に馬乗りになる、なぜこんなに目茶苦茶なのにコイツはこんなにも堂々としているのか。


悪怯れないにも程がある。




この迷惑行為は、父親の気紛れで数回繰り返された。

言い訳も同じだった。

朝だから、起きる時間だ、カーテンを開けなければいけない…


その度に俺が怒鳴り散らし、母親も注意してやっと収まった。






それでも、来なくなったのは朝だけだった。


相変わらず自由に出入りし、夕方になると今度はカーテンを閉めに来た。

その度に必要ないからと追い出しても、日が暮れれば勝手に侵入。


子供部屋に入るのをやめたかと思うと、今度は俺が一瞬でも部屋にいないと電気を消す始末。

筋トレの準備に別の部屋を暖めていたら、ストーブを消され道具も勝手に移動。


イタチごっこだった。






元はと言えば、子供部屋のあり方からおかしかった。


親のコートなどが子供部屋の押し入れにあり、おかげで親も自由に出入りしていた。

冷暖房も一切なく、2歳と違わない姉弟が同じ部屋。

仕切りはあるが音や光は遮断されない。


さらに、父親の出勤前と仕事帰りには、娘の俺の部屋で着替えるのが習慣。

裸にまではならないが、父親のネクタイやシャツが常備。

暑さにも寒さにも黙って耐え、着替えを覗かれぬよう注意を払いながら過ごすのが常だった。


そして、弟は俺以上に気を遣っていたに違いない。






自己都合で好き放題するのは子供部屋に留まらなかった。


脱衣所もノックさえしない父親は、誰かが風呂に入っていても平気で脱衣所を出入りした。

自分が扉を開けられた時には常に大騒ぎのくせに、父親が通る時には相手が邪魔だと言わんばかり。


用もないのに風呂の前の洗面所に立つことも多く、覗かれている気分で極めて不快だった。

気持ち悪いからやめてくれと言っても、「覗くつもりはない」とだけ。

李下に冠を正さずと言うではないか…


父親が寝る前にはボイラーの温度を下げるのが習慣になっており、それは今、風呂に入っている人間がいても平然と行われた。

自分がつけた電気もテレビもストーブも付けっ放しなのに、人のお湯は止める。


脱衣所から繋がる物置への扉も、開けっ放しが当然だった。

物置の窓は外からも見えるので、風呂上がりは、裸のままそそくさと戸を閉めることも多かった。


仕舞いには、電気のスイッチを綺麗に揃えたいなんて理由で出入り。

人がいても容赦なく電気を消したのには、注意するのも馬鹿馬鹿しくなってきた。




いつの頃か、不快指数は200%を超えた。




最初は、男なのに裸や着替えを見られるのを気にしている自分も嫌で、性同一性障害ゆえに俺の方が過敏になっているとも考えた。


女として見てほしい訳ではないのだから、娘として配慮されるのも複雑だ。




だが、昔からずっとこの状況だったことを考えると、俺は娘でさえなかったという方が妥当だった。




家族の異常に気づく⑤に続く

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家族の異常に気づく①
家族の異常に気づく②




実家に戻ってカムアウトが済んだら、男として就職し何らかの活動もしようと思っていた。

性同一性障害の人間は、都会の夜の店だけじゃなく、田舎にも普通にいるのだということを伝えたかった。


そんな夢も一歩目で、いや、半歩も進まず挫折した。






親は、拒絶反応を起こしてるとも思えなかった。


相変わらず何の動揺もなく、カムアウトは昨日のドラマのワンシーンのように過ぎ去っている感じだった。

俺の存在は演技を終えた役者どころか、一緒にドラマを見た一人でしかないようだ。




普通は、聞かなかったことにするにも労力を費やすと思うのだが、そんな素振りさえなかった。

ある意味見事だ。






俺は突然カムアウトしたわけではない。


一年程度だが、五分刈り程度の頭も、下着のトランクスも隠さず親に見せてきた。

その後、男性名で実家に土産を送り俺は意志表示をした。


親から受け取りの返事と思われる電話は来たが、あえて取らなかった。

何でも電話で済ます親なので、もしこれで連絡が取れなかったらどうするのか知りたかった。




その後、数回電話はあったが留守電に何か残すでもなく、別の都合で俺は番号を変えた。

親からの連絡は一切途絶えた。




ここから帰郷するまでの2年間、親からは会社に一本の電話があっただけだった。

会社からは連絡してくれとだけ伝言された。


冠婚葬祭や友人からの連絡だったらまずいなとは思った。

そして、いよいよ心配になって会社に電話してきたのかもと考えたが、俺から電話はしなかった。






思い起こせば、帰郷した瞬間からおかしかった。

俺は到着時間を知らせたのに、駅に着いたら電話しろと言われた。

それから家を出た親は、もう乗客が誰もいなくなった駅に平然と迎えに来た。


母親の顔は心配そうだったが、音信不通の子供と2年ぶりに会うという時に遅れてくる感覚が、俺にはわからない。




会社にくれた電話についても聞いてみた。


父親が退職したので保険が切り替わるとか、そんな話だった。


わずかでも期待した俺がバカだった。

自己都合だけで急用でもなければ、ましてや心配など微塵もしていなかった。




母親に問いただした。


「心配じゃなかったの?」

「心配だったよ」

「その割りには遅れてきたよね」

「電話来てすぐに迎えに行ったよ」

「俺はちゃんと時間言ったけど?」

「間に合うと思ったから…」


会いたくて急ぐという感覚はないらしい。


「2年も連絡しないで心配なんかしてないよね?」

「電話通じなくなって連絡出来なかったからでしょ」

「電話以外にも方法あるよね?」

「……」

「会社も寮も住所わかってるんだから、手紙も書けるし直接来ることだって出来たじゃん」

「ちょうど行こうと思ってたよ…」




交通手段を詳しく聞いたら、母親は全く答えられなかった。

チケットを取ろうとした形跡さえない。

もう少しマシな嘘はつけないのか。




俺が電話を拒否して親の真意を知ろうとしたと打ち明けたら、母親はキレだした。

「人のこと試したのかい!」


それは子供の予想を裏切り、本当に心配していた親の台詞だ。

あんたは思った通り、いやそれ以上に酷いことしてくれたぜ。

試されて、まんまと醜態をさらした自分が恥ずかしくないのかよ。




それでもこの時の俺は、とにかくショックだった。

母親は常に強気で、論理が破綻しだすと全て俺のせいだと言ったから。


悪いのは俺なのかと思った。




俺だって、性同一性障害のカムアウトだけで親を試したりしない。

それはきっかけに過ぎなかった。




俺の人生のどこを切り取っても、本当に親は俺のことを思ってくれていたことなんてあったのだろうかと、疑問符が消えなかった。

でも、知るのも怖かった。


愛されていない自分が、この世で生きていけると思えなかったから。


そこに最大限の勇気を持ってぶつかったのに、母親は自分のことだけでいらついていた。

何を話しても母親からの視点だけで、俺の立場や気持ちに関心がないことだけはよくわかった。


それも、母親自身は無意識にしているという現実が、えらく恐ろしかった。




家族の異常に気づく④に続く

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性同一性障害と同性愛は、同じセクシュアリティに関係した概念ですが、ジャンルが違います。




ただし、『性同一性障害は同性愛とは違います』という表現は、発言者によって色んな含みがあるように思います。






性同一性障害は、性自認と体の性が一致しない状態を指します。

一方、同性愛は性指向が性自認と同性に向くことを言います。


くだけた言い方をするなら、男(女)なのに女(男)の体で生まれてしまったのが性同一性障害で、男が男をもしくは女が女を好きな場合を同性愛と言うわけです。




対比するなら、性自認と体の性が一致しているのが典型的男性や典型的女性であり、不一致だと性同一性障害と言われる状態です。

性指向が性自認とは異なる性に向けば異性愛で、性自認と同じ性に向けば同性愛と呼んでいるわけです。


性同一性障害は性自認と体の性との関係を表した言葉であり、同性愛は性自認と性指向との関係を表した言葉なのです。




定義は全く違います。




では、なぜ混同されるのか?




そこまでセクシュアリティに関心がないということが根本的な理由だとは思いますが、目で見て判断できると思っていることが最大の誤解だと思います。


性自認や性指向は、他人が見てわかるようなものではないです。

目で見てわかるものはその人のジェンダー観を通して表現されたものなので、時には何かを誇張したり、また何かを装ったりすることも出来ます。


またその表現を観察する方も、多くのフィルターを通して見ているのだと思います。


典型的な男女しかいないと思っている人には、性同一性障害も同性愛も見えません。

さらに、まだまだそういう人が多い社会では、異性愛者を装う当事者が多く、さらに見えにくくなっています。






最近は、特に偏見はないという人も増えてきていると思います。


しかし、男性に向かって「彼女いる?」と聞いていませんか?

女性に対し「彼氏いそうだね」なんて、当然のように言ってませんか?

そもそも、見た目で女(男)だと思ったら、その人は間違いなく女(男)だと決めつけてませんか?




性同一性障害は1/1000以下ですし、常にそれを想定しなくてもいいと思います。

ただし、同性愛者は30~40人に1人ですから、クラスメイトに1人、部署に1人、サークルに1人いておかしくないんですよね。




自分の感覚や存在を無視されると、どうしても理解してもらえてるとは思えないものです。

直接的に同性愛者を否定するだけが差別ではありません。

異性愛者であるという前提で会話が進むことが、遠回しな否定に繋がると思います。




もし、差別するつもりがなかったなら、「恋人はいるの?」と聞いて欲しいです。

さらに、「それか、恋愛とか興味ない人?」と付け加えられるといいと思います。

恐怖症などではなく、恋愛感情や性的欲求を持たない人(ノンセクシュアル、Aセクシュアル)もいることを知って欲しいです。


同性愛者がいつどこにいてもおかしくないという柔軟な姿勢が、性同一性障害にとっても少し受け入れられた感覚になると思います。


また、様々なジェンダーを想定することは、LGBT(性的少数者)以外の人にも優しい考え方でしょう。






本題に戻ると、性同一性障害と同性愛は確かに違うのですが、性同一性障害の当事者が「同性愛者ではない」と言う場合、その人の意識で随分違って聞こえることがあると思うのです。


性同一性障害の当事者は、体の性とは異なる性自認についてだけ説明すればいいのですが、勢い、同性愛者を否定するような表現になっていることがあります。




例えば、性自認=男で体の性=女のFtMなら、女性に恋をした場合は異性愛という感覚です。

女性に対して同じ性という意識は持ちません。

そこでレズビアンだと言われると、性自認を否定されている感覚になります。


だから、レズビアンではないという主張は間違いではないですが、同性愛者なんかではないというのはちょっと言い過ぎだと思います。




性同一性障害の人が性自認と異なる性を恋愛対象にするとは限りません。

性同一性障害の中にも、同性愛者やノンセクシュアルの人がいます。


だから、自分は性同一性障害の中でもたまたま異性愛者だと言うことを言えばいいのだと思います。




ところが、そのことを知らないのか、性同一性障害当事者の中にも同性愛者を差別している人がいると感じることがあります。




これは、僕にとって随分と悲しい事実でした。


僕にもメディアが作り上げた同性愛者に対するイメージはありますし、差別すべき対象として教育された経緯があります。

それでも、自分が性同一性障害というものだとわかってからは、同じマイノリティとして彼らを理解したいと思いました。

差別の辛さを知る人間として、同じことを他人にするのは許されないとも考えました。




根底に差別感情がある人が「性同一性障害と同性愛は違うよ」、「自分は同性愛者ではない」と言うと、どうしても違った響きを持つ感じがします。


気持ちが透けて見えるというか…。


反対に差別感情がなければ、多少言葉を間違っても差別的には聞こえないでしょう。




僕が、FtM同士でも打ち解けられないことがあるのは、一つにはこの差別感情なのではと感じています。


そして、もう一歩掘り下げるなら、マイノリティとしての自覚があるかどうかなんだと思います。




性同一性障害当事者の中には、「体が病気なだけで自分は普通の人間だ」という訴えをする人がいます。

確かに、僕らはメディアの勝手なイメージと違って至って普通です。

テレビ等に出る人は番組のニーズに応えようとするので、普段の僕らの姿とは異なるのが現実でしょう。


それならば、同様の理由で同性愛者だって普通なんですが、いかんせん、「『同性愛者と違って』自分は普通だ」というニュアンスになっている場合があります。

自分の中にある同性愛差別に気づいていないのかもしれません。




以前も何度も言いましたが、差別というのは無知であることから始まります。

人を傷つけない為には、どんな人間がいてどんな感覚で過ごしているのかを知る必要があります。




性同一性障害と同性愛は、単に少ない方という意味で同じマイノリティです。

また、どちらも普通の人と変わらない存在です。






性同一性障害の理解を訴えるなら、同性愛差別とはちゃんと向き合うべきだと思います。

自分のことは差別しないで欲しいと言いながら他人を差別するとしたら、それは矛盾しています。

自分のことは知ってほしいけど、他人のことは知ろうとしないということだからです。


僕なら、その独り善がりな考え方を理解したいとは思えないです。






あなたに同性愛者の友人はいますか?

もし、いないのに嫌悪感があるとすれば、それは同性愛者が嫌いなのではなく、メディアが作ったイメージが嫌いなんです。


これは、ゲイの活動家である石川大我くんが教えてくれたことですが、僕らはまさしくイメージを嫌っていると思います。




反対に、メディアのイメージを受け入れることが理解でもないと思います。

現実のLGBTは芸人ではないですし、セクシュアリティを弄られて嬉しい人間ばかりでもありません。

タレントが好きだからそれを理解と思われるのも、心苦しいものがあります。


メディアに登場する人は、同性愛的パフォーマンスをする人に過ぎません。

そのパフォーマンスは、異性愛者に面白おかしく弄られるように作られているでしょうから、同性愛者の実像とは離れたものになると思います。






あるFtMは、FtMとMtFのカップルを見て「キモい」と言いました。

本人もFtMで、そこにはMtFの当事者もいたのにです。

FtMなら当然女性が好きというのが、彼の常識だったのかもしれません。


そんな彼が、自分はレズビアンではないと訴えているのを見たとき、単に同性愛者との区別を意味しているとは思えませんでした。




また、あるFtMからは、知り合って間もないメールで「彼女いないの?」と聞かれました。

初めての経験だったので、ちょっと驚くと同時に悲しくなりました。

マイノリティ当事者なのに『彼女』と決めつけることが、僕には疑問でした。


性同一性障害という自覚があるなら、当然、同性愛などの基礎知識もあると思っていたのですが、そうでもないという現実を知りました。




さらに悲しかったのは、FtMが何十人と集まるパーティーで同様のことがあった時でした。

司会を務めるFtMの人が、参加者のFtMの人に対し「ちなみに彼女はいますか?」と聞いたのです。


もともとFtMと女性の集まりという趣向は強かったようですが、主催する立場の人には色んな人間がいることを知っておいて欲しいと思いました。

ちょっとした一言で居場所をなくしている人がいたりします。








性同一性障害は同性愛とは違います。


それぞれ違って、どれも間違いではありません。




異性が好きな人、同性が好きな人、性別関係なく好きな人、好きにならない人、

男性タイプの体の人、女性タイプの体の人、中間タイプの体の人、

自分を男だと思ってる人、女だと思ってる人、両方だと思ってる人、どちらでもない人、

体と一致してる人、一致してない人、

男らしい人、女らしい人、中性的な人、




それぞれの特徴を少しずつ併せ持っているのが人間です。


きっと、同じ人はいないのだと思います。