これは端的に言って誤診だと思う。
担当医には悪いが、割とよくある間違いなので、なぜこの程度の勘違いを見抜けなかったのかと思う。


まず、参考として私、泰斗のセクシュアリティを記す。

FTMトランスジェンダー
性自認 男性
性的指向 女性
性同一性障害の診断 あり
手術・ホルモン投与歴 なし
戸籍上の性別 女性
戸籍上の名前 女性名から男性名に変更
社会生活 男性


さらに、次のことを念頭において読んでいただきたい。

同じ性同一性障害だからといって全ての感覚に共感できるわけでもなければ、同様の経験をするわけでもない。
しかし、共通の感覚や経験があることは確か。

専門医は性別判定をするわけではなく、患者からの聞き取りを通じて医療的サポートをする存在。
手術には二人以上の医師の診断が必要。



まずこのヒカリさん、「お恥ずかしい話......」と前置きするのは違うと思う。
ヒカリさんは判断を誤ってしまったのだろうが、その責任は自分で背負っているのだから恥じる必要はない。

正しい性知識を誰もが得られる状況にはないし、知識不足の人が勘違いしていても性同一性障害と診断されてしまう構造の方が問題だと思う。
ヒカリさんは、シスジェンダー(LGBTQではない人)ではないのかもしれないが、性同一性障害でもなかったという例だろう。


ヒカリさんのような事例は社会問題だ。

学校で教育されないものは、多くの人が正しい知識を得ることが難しい。
性教育はその最たるもので、LGBTQについては最近になってやっと教育し始める学校が出てきた段階だ。
それゆえ、未だに性自認とその性に対する憧れや性役割・性表現を区別なく語る人は多い。(文中にはないが映像ではEXITの二人がそれに該当)
しかも、性的少数者を下等生物とみなしてきた歴史があるため、同じセクシュアリティの当事者に会ったこともないのに、知ったかぶりをする輩がやたらと多い。

となると、正しい知識を得る前に誤情報に囲まれる。
これでは、マイノリティが自分自身の性を正しく認識・受容することなどできない。

なのに、当事者は知識を持っていて当たり前だとプロを求められる。
まして、自分の性ならちゃんと認識出来ているはずだと責められる。

強く思うのは、褒められこそすれ責められる覚えなどないということ。



その上でこのヒカリさんの事例を整理すると、RLE(Real Life Experience)、つまり「望む性での実体験」が足りなかったのだと思う。

RLEは、例えばFTM(体は女性だが自認は男性)なら出来る限り男性として生活してみる。
体も戸籍も女性の状態で男性で過ごすことから始まり、胸だけ取った状態や名前の変更後など、中途の状態も含めそれぞれシミュレーションをしてみるのだ。
仕事はどうするか、家族や昔からの友人にはどう説明するか。
性別移行後に出会った人間にはどう話すのか話さないのか。
そうして実際に試行錯誤してみると、望んでいた状態が手に入ることもあれば、望まない性の押し付けを受けることもある。
そこでまた対応を考えていくことになる。


ヒカリさんの話によると、自身は体を変える前に男性として社会生活を送ったことはほぼなかったようだ。
これは非常に危険だ。

どんなに知識や経験のある人でも、女性の体で女性として生きてきた人間は男性の社会を外から眺めているに過ぎない。
実際に自分が男性としてその中で過ごせば、想像していた世界と違うという部分は少なからず出てくる。
ここで、男性として扱われることを嬉しいと思うのか、それともこれにも違和感があると思うのか、その感覚が非常に重要なのだ。

この体験をせず体を変えたとすると、男でもなかったという失敗は十分起き得る。


ヒカリさんの場合、女性性を嫌悪するところから男性になろうとしたようだから、これも注意が必要だった。

なぜなら、まず性自認においては、女性ではないという感覚が男性自認の証明にはならないから。
性同一性障害の診断基準としても、FTMなら「女性に対する不快感・嫌悪感」だけでなく、「男性に対する強く持続的な同一感」が必要である。
個人的には、どう考えても自分は男性でしかないという感覚の方が大事で、女性性の否定は必須のものではないと思う。


ヒカリさんの話によると、女性性の嫌悪は覗えるが、自分が男性であるという自覚は一度も持ったことがないようである。
もしこれが本当ならば、やはり誤診と言わざるを得ない。

除外診断の項目にも
>②反対の性別を求める主たる理由が、文化的社会的理由による性役割の忌避やもっぱら職業的利得を得るためではないこと。
とあるのだが、
診断した医師は性役割の忌避を「主たる理由」と捉えなかったのかもしれない。


一口に女性性を嫌悪すると言っても、自分も女性であるがために自分をも嫌う場合と、自認が男性であるがために自分ではないという主張がある。
しかし、そこから生じる言動に違いはないので、確かに見極めは難しい。
とは言え理由は違うので、求めるものは違う。

前者は、あなたみたいな女性も素敵だと受け入れられることで解決する。
後者はそれではますます絶望的になる可能性がある。
逆に、後者は男性として扱われることで落ち着きを取り戻し、前者がこの扱いを受けるとさらに強い違和感を覚える。


つづく