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初めての方は注意事項に目を通してからお読みください
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こちらあみ子」今村夏子

レビューを見ると、多くの読者がどう感想を述べて良いか戸惑っている。
戸惑いながらかそれとは無関係か、あみ子を「純粋」と表現している人も多くいる。

だが俺は、あみ子に対し「純粋」という言葉を使いたくない。
純粋というのは褒め言葉であり、純粋であれば大方のことは許される、そんなイメージがあるから。

自分は、あみ子という存在は、何かそういう範疇では語れないと感じた。

 
純粋と形容したくなるあみ子の周囲には、両親と兄、そして同級生ののり君がいる。
しかし、周囲は壊れて行く。
誰もが、何もかもが、あみ子と関わると、あみ子の意思とは無関係に、むしろあみ子が意図しない方向に砕け散って行く。


作中では、あみ子の問題児ぶりは描かれているものの、障害という言葉はもちろん、あみ子の性質に対する具体的な言及もない。

それなのに「迷惑アスペの子供時代」などと言ってしまっては、あまりに短絡的で稚拙だと思う。
医学的にはどうだとか、現実に照らし合わせればどういう様態だとか位置づけることも愚かだろう。
しかし、自分は発達障害を思い浮かべずにはいられなかった。


診断も療育も受けられなかった時代に、周囲が必死の対応を試みるもどうにも伝わらず、哀しいかな本人はますます置いてきぼりになる。
そんな光景を想像した。


「純粋という名の心」の破壊力は凄まじい。
密接に関われば関わるほど、周囲の人間の心はボロボロになって行く。
心優しく責任を果たそうとする人ほど関係性は密接になり、密接になるからこそ、気がつけば相当に侵食されて深部まで削られてしまう。

話せばわかるとはならない。
信じるものも救われない。

だが、あみ子は誰も裏切っていない。


どこかであらすじを読んだ時に、直感的に迷惑アスペの風合いが強いと感じ、一度は避けた作品だ。
それでもやはり気になって読んでしまったのだが......。

発達障害を知る人が読むには、覚悟が必要だと思う。
カサンドラの人には辛いかもしれない。


一方で、アスペルガーなどの発達障害を身近で知らない人には、是非とも読んでほしい。
周囲の人間が、アスペの当事者と上手く関わることが出来ないというのは、こういうことなのだと言いたい。
そして、あなたならあみ子の周囲の人間で居続けられるかどうかを考えてほしい。

兄貴ならグレないでいられるか、母親ならあみ子を躾けきれるか、父親ならそんな家族を守っていけるか。
のり君ならあみ子を殴らないでいられるか。


俺なら誰の役目もできないと思った。
誰の立場もごめんだ。
特にのり君の気持ちを思うと心が痛くて仕方がない。
男の子が女の子の顔面にグーパンチとはあまりに衝撃的だが、殴ったのり君の方がはるかに傷つきはるかに痛かったに違いない。



今村夏子さんの作品としては、芥川賞を受賞した「むらさきのスカートの女」を先に読みました。
その後、他の著作を探していたところに「こちらあみ子」を見つけたわけですが、どちらの作品も「こういう小説、こんな世界の描き方もあるんだ」と知って、世界が広がった感じがしています。
これから、今村作品で初めて映像化される「星の子」を読む予定でいます。
こちらも楽しみです。