初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。
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家族の異常に気づく①
家族の異常に気づく②
家族の異常に気づく③
家族の異常に気づく④
何かがおかしいとは気づいたものの、それが具体的に何かはわからなかった。
その理由がわかったのは、ひょんなことからだった。
高校時代の友人と久しぶりに再会した時のことだった。
見た目にはさほど変わらない彼女も、既に1歳半になる息子のお母さんになっていた。
この日は息子と共に3人、デパートで遊んで家族気分を味合わせてもらった。
もともと子供は好きだが、何せまだまだやんちゃ盛り。
どう接していいか持て余していたところ、彼が気になったおもちゃを持ってきてしまったので、俺はそれを注意した。
すると彼は、お母さんの脚にしがみつき陰に隠れた。
恥ずかしいような怖いような素振りで、母親に甘えている姿がそこにあった。
「怒られちゃったね~。勝手に持ってきちゃったからだよ」
母親である友人は、息子を優しく諭した。
自分に甘えてくる息子が可愛くて仕方ないといった様子だった。
微笑ましい光景だ。
子供が好きな俺にも、そう映るはずだった。
だが違った。
まだ幼いその子に対し、俺の中には得も言われぬ感情が渦巻いていた。
子が親に甘えるごく当たり前の一コマを、飲み込めない自分がいた。
別れてからもモヤモヤは消えなかった。
微笑ましい光景が、なぜか言い知れぬ怒りとなって込み上げて来る。
親に隠れる息子が許せない。
注意されたぐらいで親にすがることが気に入らない。
甘えさせる親にもイライラする。
頭では、2歳にもならない子供なら当然だとわかるのに、感情は言うことを聞かない。
そして後日、電話で友人がこんなことも言っていた。
「男の子の方が子供の時は甘えん坊なのかねぇ~。中学生にもなったらそっけなくなるんだろうし、子供と遊べるのも今のうちだよ~」
『子供と遊ぶ?
親って子供と遊ぶの?
えっ???』
もちろん、俺は子供と遊びたい。
自分に子供がいれば、毎日でも遊ぶだろう。
そんな自分がこんな感情を持ち合わせてるとは、思いもしなかった。
俺は、友人の息子を目の当たりにして、自分が親に甘えたことがないことに初めて気づいた。
うちの親は、泣きついたってヨシヨシなんてしてくれない。
しがみつく脚なんてない。
受け止めてくれる胸も隠れられる懐も、見えたことがない。
もちろん、遊んだことなどない。
共感性のない人間が遊び相手になるはずもない。
だから、それが普通だと思っていた。
うちの親は、うちの家庭は、そういうものだと受けとめて育った。
ならば、親子関係そのものを一般的にそんなものだと割り切っていたかと言うと、そうではなかったように思う。
俺は、幼少期から正義感も道徳観念も強い。
寧ろ、親子の情愛や絆には強い理想があったくらいだ。
それは、現実の家庭が情緒的に希薄だった反動だったのだろう。
俺は常に、ダブルスタンダードの中にいた。
世間一般や外に出たらこれが常識、でも家には全く別の基準があると納得して、バランスを保つことが当たり前になっていた。
我ながら哀しいくらいに、親に外の常識を求めても無駄だと悟っていた。
だが、そんなダブルスタンダードを貫けるはずもない。
俺の本心は、情に薄い親を求めていた訳ではないのだから。
幼児なら当たり前に甘える時期に、当たり前に甘えたかったはず。
そこに甘えられる雰囲気を持った親が存在していなかったが為に、別の基準を作って納得するしかなかっただけだ。
俺は、自分に満たされない思いがあることをはっきりと自覚した。
と同時に、愛されていなかったのは『男の自分』ではなく、性別に関係ない俺自身だったことにも気づかされた。
何のことはない。
おかしいと感じた何かは、生まれ育った家庭が何も変わっていないことだったのだ。
家を離れて仲間に愛されたことで、最初から存在していた我が家の異常をやっと感じられるようになっただけだった。
家族の異常に気づく⑥に続く
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家族の異常に気づく①
家族の異常に気づく②
家族の異常に気づく③
家族の異常に気づく④
何かがおかしいとは気づいたものの、それが具体的に何かはわからなかった。
その理由がわかったのは、ひょんなことからだった。
高校時代の友人と久しぶりに再会した時のことだった。
見た目にはさほど変わらない彼女も、既に1歳半になる息子のお母さんになっていた。
この日は息子と共に3人、デパートで遊んで家族気分を味合わせてもらった。
もともと子供は好きだが、何せまだまだやんちゃ盛り。
どう接していいか持て余していたところ、彼が気になったおもちゃを持ってきてしまったので、俺はそれを注意した。
すると彼は、お母さんの脚にしがみつき陰に隠れた。
恥ずかしいような怖いような素振りで、母親に甘えている姿がそこにあった。
「怒られちゃったね~。勝手に持ってきちゃったからだよ」
母親である友人は、息子を優しく諭した。
自分に甘えてくる息子が可愛くて仕方ないといった様子だった。
微笑ましい光景だ。
子供が好きな俺にも、そう映るはずだった。
だが違った。
まだ幼いその子に対し、俺の中には得も言われぬ感情が渦巻いていた。
子が親に甘えるごく当たり前の一コマを、飲み込めない自分がいた。
別れてからもモヤモヤは消えなかった。
微笑ましい光景が、なぜか言い知れぬ怒りとなって込み上げて来る。
親に隠れる息子が許せない。
注意されたぐらいで親にすがることが気に入らない。
甘えさせる親にもイライラする。
頭では、2歳にもならない子供なら当然だとわかるのに、感情は言うことを聞かない。
そして後日、電話で友人がこんなことも言っていた。
「男の子の方が子供の時は甘えん坊なのかねぇ~。中学生にもなったらそっけなくなるんだろうし、子供と遊べるのも今のうちだよ~」
『子供と遊ぶ?
親って子供と遊ぶの?
えっ???』
もちろん、俺は子供と遊びたい。
自分に子供がいれば、毎日でも遊ぶだろう。
そんな自分がこんな感情を持ち合わせてるとは、思いもしなかった。
俺は、友人の息子を目の当たりにして、自分が親に甘えたことがないことに初めて気づいた。
うちの親は、泣きついたってヨシヨシなんてしてくれない。
しがみつく脚なんてない。
受け止めてくれる胸も隠れられる懐も、見えたことがない。
もちろん、遊んだことなどない。
共感性のない人間が遊び相手になるはずもない。
だから、それが普通だと思っていた。
うちの親は、うちの家庭は、そういうものだと受けとめて育った。
ならば、親子関係そのものを一般的にそんなものだと割り切っていたかと言うと、そうではなかったように思う。
俺は、幼少期から正義感も道徳観念も強い。
寧ろ、親子の情愛や絆には強い理想があったくらいだ。
それは、現実の家庭が情緒的に希薄だった反動だったのだろう。
俺は常に、ダブルスタンダードの中にいた。
世間一般や外に出たらこれが常識、でも家には全く別の基準があると納得して、バランスを保つことが当たり前になっていた。
我ながら哀しいくらいに、親に外の常識を求めても無駄だと悟っていた。
だが、そんなダブルスタンダードを貫けるはずもない。
俺の本心は、情に薄い親を求めていた訳ではないのだから。
幼児なら当たり前に甘える時期に、当たり前に甘えたかったはず。
そこに甘えられる雰囲気を持った親が存在していなかったが為に、別の基準を作って納得するしかなかっただけだ。
俺は、自分に満たされない思いがあることをはっきりと自覚した。
と同時に、愛されていなかったのは『男の自分』ではなく、性別に関係ない俺自身だったことにも気づかされた。
何のことはない。
おかしいと感じた何かは、生まれ育った家庭が何も変わっていないことだったのだ。
家を離れて仲間に愛されたことで、最初から存在していた我が家の異常をやっと感じられるようになっただけだった。
家族の異常に気づく⑥に続く