何となく。
失敗やらかしたのに気付いた人が「とんだピエロだよ!」って言うけど。
ピエロさんはさ。
自分が滑稽であるという事を解った上で、ピエロでいるという選択をしている訳で。
何の考えも志も無しに突っ走って失敗やらかした君がさ。
ピエロを語るのは、ピエロさんに失礼じゃあないかい。
土台が違うと思うぞ。
とかとか。
どんな気分なんだろうか、道化師という存在は。
別に職業としてでなくてもいい、道化を演じるという選択をした人の胸の内というのは。
顔で笑って周りの事ばかり笑顔にして。
じゃあ自分は本当に笑っていられているのだろうか。
心で泣いていやしないだろうか。
道化だから人前で泣くという行為を捨ててしまっているじゃないか。
そうまでして、自分を殺してまで道化に徹する人ってどういう気持ちなんだろうか。
それを聞いて「いやそれがさぁ~」と語る本物の道化は居るまいな。
何というか、道化師という存在を通して考える事は天使や仏に繋がっていったりする。
個人的にだけど。
例えばこの世に「本物の天使」という存在がいるとして。
今目の前に現れ出でるという時に。
さて、その「本物の天使」は解り易い天使の格好をしてくるんだろうか。
案外半そで短パンでヘラヘラしながら普通にひょいと出てくるんじゃないだろうか。
何故って、本物の天使はどんな格好をしてたって天使なんだから。
世間一般的なイメージでいう所の天使の格好をしてなくっても、だって天使だもん。
姿形にはそう拘らないんじゃなかろうか。
むしろ警戒すべきは「解りやすい天使の格好をした何者か」だと思う。
それは天使ではなく、でも何がしかの理由で天使と相手に思わせたいがために天使の格好をする。
そんな存在は警戒して然るべきなんじゃないだろうか。
本物に正義感の強い人は正義を語らないだろうと思うし。
戦争を知るものこそ平和を語るのと同じような感じで。
目に見えて正論を振りかざし平和を高らかに唱えてくる奴ほど。
自己中が多い気がする今日この頃。
そんな人はピエロさんの爪の垢でも煎じて飲んでいただきたい所存でござりまする。
まぁでも、まず形からという話もあるしなぁ。
一概に天使ぶるなとも言えないか、そこから発展していく何かもあろうさ。
難しいなぁ。