開業当時は「ひかり」「こだま」は1時間に各1本の運転、東京~新大阪間を「ひかり」4時間、「こだま」5時間というダイヤであったが、最高運転速度210km/Hのインパクトは大きく、たちまち注目を集めた。昭和40年11月には「ひかり」3時間10分、「こだま」4時間になった。

 

相生~岡山間の千種川付近を通る0系新幹線「こだま」を俯瞰でとらえる。

ゆっくり五重塔付近を走る0系新幹線「こだま」。

揖保川付近を走る新幹線「こだま」。

2代目「ドクターイエロー」922形、富士山をバックに貴重な映像。

 

当時、国鉄技師長(島秀雄)は言っている。新幹線は「国鉄の各分野で蓄積された既存の技術を最大限活用し、それを取りまとめ、合理的なシステムとして構築することによって誕生した」と、車両も含めて、新幹線で初めて採用された技術は原則的になかったそうである。いわゆる、経験的に積み上げられた集大成として誕生したのであった。

ヘッドライトを輝かせ、ゆっくりと新大阪駅に入線してくる博多行き「こだま」。

世界遺産の姫路城をバックに、ゆっくりと姫路駅に進入する0系「こだま」。

新大阪を出発した0系新幹線「こだま」。

 

 0系という呼び名は、東北・上越新幹線の200系が登場してから正式に用いられるようになったもので、それまでの名称は「新幹線電車」であった。デビューは昭和39年10月1日、確か、東京オリンピック開催の9日前とか、世界で初めて営業運転を200km/hとした日本が世界に誇る技術を披露することになった。