明治十年(1877)
明治政府は内国勧業博覧会を行った
これまでも名宝や珍品を
集めた博覧会はあった
が
「勧業」とわざわざ掲げている通り
日本の殖産興業政策を推進するために
開催された博覧会である
内国勧業博覧会を中心となって
主導したのは内務卿の
大久保利通だ
大久保はこれまでウィーンや
フィラデルフィアの万国博に
日本が参加してきた経験から
その意義と必要性を確信し
日本での開催を強く勧めた
第一回目の博覧会が開催されたのは
西南戦争の真っ只中であった
開催を危ぶむ声もあり
また大久保にとっては
盟友・西郷隆盛が決起した
戦いである
そんな中でも博覧会を開催した
大久保の情熱が伝わる
博覧会は明治三十六年(1903)
まで合計5回開催され
3回目までは東京の上野公園が
会場であった
4回目は京都
最後の5回目は大阪で開かれた
明治天皇もしばしば会場に行幸しては
全国各地の出品物を視察した