ゆっくり話をしようと下りてきたリビングで、テギョンは事故に遭ってから今までのことを話した。
ソファーに腰かけた身体を前に倒し膝の上に肘を乗せる。組んだ指を見たり目の前のテーブルを見たりと視線が定まらない様子は、話している本人も自分の身に起きた出来事に当惑しているのが他者にもはっきりと判った。
にわかには信じ難い内容にジェルミの思考はついていけず、一度は信じたミナムも頭の片隅で疑わしい気持ちを捨てきれずにいる。それでもシヌの口から出る声と、ちょっとした表情や仕種、冷蔵庫から取り出した水を飲む一連の動作など、そこにいるのはテギョンとしか思えないことが山ほどあった。というより顔以外はテギョンそのものだった。
「確かに見た目はシヌヒョンなんだけど、その眉間のシワとか口の上げ方はどう見てもテギョンヒョンなんだよね」
今まで一緒に生活してきてこんなにまじまじと見るのは初めてというくらい、シヌの顔を見たジェルミは首を傾げつつ顔を曇らせた。
「でも本当なの?死んだみたいって・・・うわっ!」
「わりぃ、すべった」
ジェルミは突然胸の辺りが冷たくなったことに驚き思わず叫び声を上げた。着ていた白いTシャツがオレンジ色に染まり、肌にぺったりとくっつく不快感は指でつまみ上げてもすぐには消えない。滴の落ちる空のグラスを持ったミナムはとても手を滑らせたようには見えず、何するんだよと抗議しようとした口はそのままミナムの手で押しつけるように塞がれた。
「話はだいたい判ったから今日はもう寝よう。ミニョも疲れてるだろうし一応シヌヒョンに気ぃ使ってんだろ。だったらその身体もう休ませてやったら。ここは俺たちが片付けとくからさ」
なにか言いたげなジェルミを目だけで制すると、ミナムは二人を二階へ行かせた。
「ミナム!何だよいきなりジュースぶっかけて!」
「ジェルミが余計なこと口にしたからだろ。“死んだ”なんて何度もミニョに聞かせるつもりか?」
ついさっき流れるように出た言葉に敏感に反応したミニョの顔があらためて苦しみを突きつけられたように悲しく歪んで見えた。
テジトッキの身体を借り、シヌの身体を借り、目の前に現れるテギョンをミニョがどう受け入れていたのか、心の中までは判らない。
「ゴメン・・・でもシヌヒョンの口から俺は死んだってテギョンヒョンの声で言われても、何が何だか判んなくて」
判らないと言いつつ本当にそうならと思うと、じわりとこみあげてくる涙を目にため、ぐすっと鼻をすすった。
「俺もそうだよ、まだ完全には信じきれてないよ。死んだ?はっ!簡単に言ってくれるじゃん」
ミナムはいらついた様子で近くにあったソファーを蹴った。
ぐらりと揺れたソファーからクッションが転がり落ちる。
「何怒ってんだよ」
「そういうジェルミは何で泣いてるんだ?」
「何でって、悲しいからに決まってるだろ。もうテギョンヒョンに会えないと思うと寂しいじゃないか。それにあんな風にしかミニョに会えないなんて、可哀想だよ。ミナムは何とも思わないの?」
「思うよ、だからムカついてんだろ」
「テギョンヒョンは事故に遭ったんだよ、それはヒョンのせいじゃない。怒ったって仕方ないだろ」
「そうだよ、事故に遭ったのはヒョンのせいじゃないし、死んだなんて俺だってショックだし悲しいよ。でもその悲しいとか辛いって気持ちは時間が何とかしてくれるもんだろ。初めは受け入れられなくても一年とか二年とか、どれくらいかかるか判んないけど傷は少しずつ癒えてく。でもあんな風に「俺は死んだ」って言いながら目の前に現れてたらミニョはどうしたらいいんだよ。生きてればケンカして別れたかもしれないけどそれもできなくて、あやふやな存在を悲しんで喜んで、これからずっとそうやって生きてけって言うのか」
ただの身代わりだと思っていたテジトッキ。きっと時間が経てば少しずつ離れられると思っていたのに、本当にテギョンの魂がそこにいるならそれは無理だろう。さっき目の前で見たのはテギョンだというシヌのシャツの裾をつかんで離さないミニョの姿。どこにも行かないでと縋るような指先はずっと震えていた。あんなミニョを見るのは今まで以上に辛い。
「もう寝る」
どうにもならないいら立ちを握りしめ吐き捨てるようにそう残すと、ミナムはさっさと自室へと戻ってしまった。
リビングの床にはクッションが無言で横たわり、ジェルミの服は冷たく肌にはりついたまま。テーブルにも床にもジュースがこぼれている。
「おい、片付けるって言ったのはミナムだろ、何で俺が全部やんなきゃいけないんだよ、ミナム!」
ジュースをかけられた経緯については仕方ないとしても、この場を一人で片付けるのは納得いかない。急いでミナムを追いかけようにもこのまま歩けば滴が点々と後をついてくるのは目に見えていて、ジェルミはブツブツと不満を口にしながらその場を片付けるしかなかった。