遅れないようにと早目に家を出たのは確かだが、それ以上に待ちきれないとわくわくする心が足の運びを速くした。その結果、1時間も前からこの場所にいるが、退屈などという言葉は一切存在せず、待っている時間さえこの後訪れる喜びの前菜のような気がして、顔にはずっと笑みが浮かんだままだった。
待ち合わせの時間まで、あと・・・10分。
アメリカ全土を襲った寒波の影響で、まだ11月だというのに気温は氷点下を下回り、大雪に見舞われた地域も多い。ここも例外ではなく、見える景色は一面銀世界。しかし寒さなど気にならないほど心の中はぽかぽかと温かく、雪を踏む音を楽しみながら待ち人が来るのをじっと待った。
人通りは多いが大きな時計台があるこの場所は遠くからでもよく見え、待ち合わせ場所としてはうってつけ。すぐ傍で同じように待ち合わせをしていた人がその場から去って行くのを見送り、とうとうその時を迎えた。向こうからやって来る人の流れの中に彼女を見つけると、「あっ!」と心の中で叫んだミニョは、満面の笑みでピンと手を上へ伸ばし、大きく振った。
「カトリーヌさん!」
口元まで覆っていた厚手のマフラーをずり下げると、身体の中で温められていた息が真っ白な湯気となって一気に飛び出した。
白い息を吐き大きく手を振るミニョを見つけ、カトリーヌの歩みが速くなった。
「ミニョ久しぶり、会いたかったわ。」
最後には小走りでミニョの前へ駆け寄ってきたカトリーヌは華やいだ笑みをこぼれさせ、「元気だった?」とミニョの身体をぎゅっと抱きしめる。「はい」と返事をするミニョを一旦その腕から解放し、じっと顔を見つめたカトリーヌは再び笑顔でミニョの身体を抱きしめた。そして数秒後。
「・・・変ね・・・」
カトリーヌはキョロキョロと辺りを見回し怪訝な顔をした。
「どうかしたんですか?」
「だって私がこんな風にしてたら、絶対に大きな咳払いが聞こえてくると思ったのに。」
咳払いもそうだが、ムニムニと口元を歪めるテギョンの姿がどこにも見当たらない。
その顔を見るのも楽しみのひとつだったカトリーヌは、少し物足りない気分だった。
「もしかして内緒で来たの?」
「いいえ、オッパにはちゃんとカトリーヌさんのこと話しました。待ち合わせの場所も時間も。そしたら気をつけて行って来い、帰りは遅くなるなよって・・・」
仕事でアメリカに来ていたカトリーヌと会う約束をしたのは2週間ほど前。その時は「俺も一緒に行く」と言っていたテギョンはその後、「用事ができたから行けなくなった」と言ってきた。
「そう・・・テギョン君にも会いたかったのに、残念ね。」
がっかりとため息をつくカトリーヌ。それでも本来の目的であるミニョと会えたことに再び笑顔になると、とりあえずどこか店にでも入ろうと2人で歩き出した。
「テギョン君こっちでも相変わらず忙しそうね。」
待ち合わせていた場所からほんの数分歩いたところにあったカフェ。
カトリーヌは運ばれてきた熱いコーヒーにミルクだけを入れ、くるくるとスプーンでかき混ぜる。
ミニョは大きめのカップに入ったココアを、ふーふーと息を吹きかけ冷ましていた。
「忙しいっていうか、ちょっと・・・」
ミニョは視線をカップに向けたまま息を吹き続ける。
そのまま無言でカップを見つめ、俯いたまま顔を全く上げないミニョの姿に、カトリーヌは何か引っかかるものを感じた。
「ねえ、テギョン君て、今日・・・」
「あちっ!・・・あーまだ早かったみたい。」
口へと運んだカップを離すとやけどした舌をペロリと出し、少しだけ苦笑いを浮かべ再びカップに息を吹きかけるミニョ。
どこかぎこちないその動きは、カトリーヌの言葉を遮ろうとしているようにも見えた。
「テギョン君と何かあったの?喧嘩でもした?」
もしこの場にいるのが別の人だったら、ミニョは「何もありませんよ」と笑いながら顔を上げただろう。しかし今目の前にいるのはカトリーヌ・・・・・・
「・・・・・・喧嘩じゃないです。ただ・・・気になることがあって・・・」
彼女になら相談できると、ミニョは少しためらいながらもここ数日間のことを話しだした。
アメリカへ来たばかりの頃は、テギョンはアン社長やマ室長と電話でよく話していた。
黙ってアメリカへ来たことを怒って何度も電話してきたアン社長。早く戻って来いと言うアン社長に、テギョンはしばらくは戻らないと話は平行線のまま。そんな遣り取りが何日か続き、とうとう根負けしたアン社長はテギョンがしばらくアメリカにいることを許可し、帰国が決まったら必ず連絡しろと、それ以来電話はかかってこなくなった。
時々マ室長から様子を窺う電話がかかってきたが、テギョンは軽くあしらうように1分も経たないうちに電話を切る。
そんなテギョンが最近誰かと話しているのをよく見かけるようになった。
「電話の相手・・・女の人みたいなんです。」
「仕事の話じゃない?事務所の人とか。」
「そんな感じじゃないんです。それに・・・」
今までは誰からかかってきてもその場で話していたテギョン。それがどうもその相手と話す時はさり気なくミニョから遠ざかるように移動して話している。話の内容を聞かれたくないかのように。
「最近オッパ午後から出かけるんですけど、行き先教えてくれないんです。こないだは帰りも遅くて、香水の匂いがして・・・」
それは女物の甘い移り香。
「もしかして、テギョン君が浮気してるんじゃないか・・・って?」
「そんな!・・・浮気だなんて、そんなこと思ってません。ただ・・・どこに行ってるのか、どうして教えてくれないのかなって。」
手の中のココアはスッキリしないミニョの心と同じように、ぐるぐると渦を巻いている。
冷ます為に吹いていた息が、今ではすっかりため息に変わってしまっているミニョを見ながら、カトリーヌはコーヒーを飲みほした。
「・・・尾けてみる?」
「え?」
「だって気になって仕方ないんでしょ。でもテギョン君はどこで何してるのか教えてくれない。だったらこっそり後尾けて、その目で確かめるしかないんじゃない。」
着信音が鳴る。テギョンはミニョから離れるようにスッとソファーから立ち上がり、歩きながら電話に出た。チラリとその顔を覗けば仕事の話ではなさそうだと簡単に察しがつく。
「ちょっと出かけてくる」と家を出たテギョンを見送り、こっそり後を追うようにミニョも家を出た。
「予想通りね。」
ここ数日、毎日午後になると出かけているテギョン。きっと今日も出かけるだろうと、タクシーで待ち伏せしていたカトリーヌは隣にミニョが乗り込むと、テギョンの車の後を尾けた。
「どこに行くのかしら。」
カトリーヌの呟きはミニョの耳には入っていなかった。ただ前を走る車をじっと見つめ、息を呑む。
初めはそれほど気にしていなかった。しかし毎日かかってくる電話の後、必ず出かけるテギョンは行き先も電話の相手も教えてくれない。曖昧にはぐらかすような言葉ばかり。
”私には知られたくないってこと?”
だとしたらそれって一体何なのだろうと、ミニョの頭の中は日に日にもやもやとしたものが増えていった。
途中、テギョンは一軒のケーキショップに寄り、再び走り出した車が最終的に向かったのは、脇道を入ったところに建っていたログハウス。
ジャズバーと書かれた看板の下には、大きく『CLOSE』の文字。
車から降りたテギョンは、建物の中へと入っていった。
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