シヌさんの他はまだ誰も帰って来ていない静かな合宿所。
テギョンさんの部屋の前で話をするシヌさんの声も、とても静かだった。
「病院から帰った後、すぐに気づいた、ミニョが俺のことを気にしてるって。俺はそれを自分の都合のいいように解釈した。俺のことを好きになり始めてるんじゃないかって」
壁にもたれながら何かを追うように視線を漂わせているシヌさんの横顔を、私は口をつぐんだままじっと見つめた。
「ミニョが俺のことを見てくれると嬉しかった。でもミニョが見てたのは俺だけじゃなかった。ミニョが記事を見て俺のことを意識するようになってからも、それは変わらない。俺のことを意識するのと同じくらい、いやそれ以上にテギョンを意識してた」
そう、私はシヌさんを見ながらテギョンさんも見ていた。恋人のいるあの人を・・・
「俺はミニョのことがずっと好きだったから・・・ずっと見てたから・・・気づいたんだ。俺を見る目とテギョンを見ている目は違うって」
目?私の二人を見ている目が違う?
私の口に出さない問いに答えるように、シヌさんが私の方に顔を向けた。
「何て言ったらいいのかな・・・温度?テギョンを見ているミニョの目には、俺には向けられない温かさを感じる。それに気づいた時、俺のことを好きになり始めてるって思ったのは、勘違いだったって判ったんだ」
「でも私・・・シヌさんのことが気になって・・・近くにいるだけですごくドキドキして・・・」
こんなこと言ったって何の慰めにもならないって判ってるけど・・・だいたい私が慰めるような立場じゃないって充分判ってるけど、でも、何となくそのことだけは伝えなくちゃって思った。
「もしかしたらミニョの脳が錯覚を起こしてたのかもな。車にひかれそうになって、ビックリしてドキドキしてた時に俺が抱きしめたから・・・好きだと勘違いして、俺が傍にいる時はドキドキしろって、脳が心臓に指令を出してたのかも」
自嘲気味に笑うシヌさん。
「それと、ミニョの見た記事が余計にミニョの頭に働きかけてたのかも知れない。カン・シヌはコ・ミニョの恋人だ、ドキドキしろって」
私はシヌさんの恋人。憶えてないけど、新聞に載ってたんだから、それは事実。
だからシヌさんを好きになろうとした。
好きになったと思ったのに・・・
「テギョンを気にしててもミニョが俺のことを恋人だと思い込んでるなら、俺のことを好きになる可能性は充分あると思ったんだ。でも結局、ミニョの頭の中に俺はいても、ミニョの心にはテギョンしかいなかった」
シヌさんの切なげなため息が聞いていて辛い。
シヌさんの言う通り、深い所に埋めて忘れようとしても、テギョンさんはずっと私の心の中に・・・
え?
ちょっと待って。
今、シヌさん、何て?
「あの、今、思い込んでるって」
思い込んでるって言わなかった?シヌさんのことを恋人だって思い込んでるって・・・
「ごめん、今まで黙ってて。あの記事は・・・違うんだ。あることを隠さなきゃいけなくて・・・ミニョに協力してもらったんだ、俺の恋人のフリをしてって」
恋人の・・・フリ?
「ミニョがあれを見て、何だか色々と考えて、俺にフラれたんじゃないかって言っただろ。あの時俺は記事のことを肯定も否定もできなかった。ただ自分の想いを伝えただけ、”フッた憶えはない”って」
「そんな・・・どうして教えてくれなかったんですか!?あの記事は違うって」
「言っただろ、俺はずっとミニョのことが好きだったって。思い違いでも誤解でも何でもいい、それがきっかけで俺のことを好きになってくれるんじゃないかって思ったら、本当のことが言えなかった」
俯き加減のシヌさんの顔は、後悔・・・っていうより、何だか哀しげで苦しげで見ているこっちが辛くなるような表情。
「でも所詮ニセモノの恋人だよな。ミニョの心は手に入れられなかった。いや、初めから判ってたのに・・・ごめん、黙ってて・・・」
私は・・・何だか・・・力が抜けた。
ペタンとその場に座り込むと、なぜだか涙が溢れてきた。
あの記事を見てからずっとシヌさんのことを好きにならなくちゃって思ってた。憶えていないことが申し訳なくて、どうして思い出せないんだろうって悩んだりもした。
シヌさんの恋人なのに、テギョンさんのことを好きになってしまった自分を責めたりもした。
それなのに、全部ウソだったなんて・・・・・・
すんっと鼻をすすると、零れる涙を手の甲で拭った。
「ごめん、ミニョ・・・俺のこと、許さなくていいから」
何度も呟くように、ごめんと繰り返すシヌさん。
シヌさんが拳を握りしめているのが見える。
この手はいつでも温かかった。
微笑みはいつでも優しかった。
『ずっとミニョのことが好きだった』
あの記事はウソでも、この想いは本物よね・・・
シヌさんも苦しかったのかなって思うと、責める気にはなれない。
私は俯いたまま、首を横に振った。
「勝手な言い分かも知れないけど、フラれて本当のことを話して心が軽くなった。ずっと後ろめたかったから。・・・で?ミニョはどうするの?俺のことを気にする必要はなくなったんだから、自分の気持ち、テギョンに伝える?」
私の気持ち・・・
でもテギョンさんには・・・・・・あ!もしかして・・・
私はパッとシヌさんの顔を見上げた。
「ミニョを苦しめたお詫びに、俺がミニョの背中を押してあげる。ちゃんとテギョンに伝えておいで。まあテギョンのコンサートで告白したって記事は俺のとは違って本当のことだし、テギョンは今でもその子のことが大好きだけど、だからって告白しちゃいけないって訳じゃないし」
私の甘い夢は見事に打ち砕かれた。
シヌさんの記事がウソなら、テギョンさんの記事も・・・って一瞬期待した私の心を、シヌさんはあっさりと、ばっさりと、斬ってくれた。
「シヌさん、それって背中を押すっていうより、崖から突き落とそうとしてるみたいですけど」
よろよろとその場から立ち上がろうとする私の腕を掴むと、シヌさんがぐいっと引き上げてくれた。
「ハハハ、そうかもな。でも・・・大丈夫、たとえ崖から落ちても、受け止めてくれる腕はきっとあるから」
私は掴まれた腕に視線を向ける。
それってフラれたらシヌさんが慰めてくれるってことですか?
私が言葉の意味を考えながら見上げると、シヌさんはいつもの優しい微笑みを私に向けてくれた。
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