結婚式、船上パーティーと、朝から慌ただしかった一日を振り返りつつ、テギョンは温かな湯に身体を沈めていた。
正直、結婚したという実感はまだない。式を挙げ、婚姻届を出したというだけ。
今までと何が違うのか?
家に帰ればミニョが笑顔で出迎えてくれるということ。
朝目覚めれば隣にミニョの寝顔があるということ。
結婚したのだから当たり前といえば当たり前なのだが、そんな些細なことさえ嬉しく感じる。
夫婦という二人の新しい関係はほんの数時間前に始まったばかりで、この先何が起こるのか判らない。事故多発地帯のミニョは、思わぬところでとんでもないことをやらかしそうな気がするが 、その事故処理を一緒にすることが夫としての義務であるなら、それもまた楽しいかなとも思う。
パシャッ・・・
湯の中から手を出せばキラリと光る左手の薬指。
ミニョと出逢ってから今日までの二年間を思い感慨にふける。
テギョンは濡れた前髪を右手で掻き上げながら、ミニョとの絆を眺め目を細めた。
テギョンが風呂から上がるとミニョはリビングで眠ってしまっていた。くったりとソファーに身体を預けるそのあどけない寝顔に笑みが漏れる。
昨日までのテギョンだったらミニョを起こさないようそっと抱き上げベッドに寝かせただろう。
しかし今日は・・・今晩は・・・
テギョンは騒ぎ出す胸を落ち着けようと、ふうっと息を吐くと、頭から被ったタオルで少し乱暴に濡れた黒髪を拭きながらミニョの肩を軽く揺すった。
「こんなとこで寝たら風邪ひくぞ。」
「あ、オッパ・・・私いつの間に・・・私もお風呂入ってきますね。」
寝ぼけ眼にバスローブ姿のテギョンが映るとミニョは目を擦りながらパジャマを抱え、バスルームへと向かった。
パタパタとスリッパの音をさせるミニョの後ろ姿を横目で追い、テギョンは青い瓶に口をつける。ゴクゴクと冷たい水で喉を潤し、コトリトと瓶をテーブルに置くとソファーに深々と身体を沈めた。
なかなかミニョが風呂から出てこない。
リビングで雑誌を見ていたテギョンは時計に目を遣り顔をしかめる。
湯船に浸かったまま眠ってしまったのか?まさか溺れてはいないだろうな?さっそく事故を起こしたか?と、心配げにテギョンが立ち上がった時、漸くミニョがおずおずと姿を現した。
「ずいぶん長風呂なんだな。」
「いえ、あの、お風呂からはだいぶ前に出たんですけど・・・オッパ、私のパジャマ・・・」
ミニョが上目遣いでテギョンを見る。
風呂から上がったミニョは、脱衣所に置いてあったパジャマが見当たらず、仕方なく代わりに置いてあったバスローブを身に纏ったのだが、その姿でテギョンの前に出るのが恥ずかしくて、なかなかそこから出てこられなかった。
口に拳を当て声を殺して笑うテギョンの横にはミニョが用意しておいた筈のパジャマが。ミニョが風呂に入っている間にテギョンがこっそりと脱衣所へ行き、パジャマとバスローブをすり替えておいた。
ミニョのバスローブの丈は膝が隠れる程度。同じ丈のスカートなら平気で穿くのに、いったい何が違うんだとテギョンは首を傾げる。
何だか落ち着かなくて・・・ともじもじしているミニョを構うことなくその手を掴み、見せたい物があるとテギョンはベッドルームへとミニョを連れて行った。
ドアを開け中に入ったミニョの目に飛び込んできたのは、広いベッドの中央にちょこんと座っているテジトッキ。
「うわあ、テジトッキ!久しぶり~」
他の荷物はとっくにマンションへ運んであったがテジトッキは今日、テギョンと一緒にこのマンションへやって来た。
久しぶりの再会にバスローブのことなどすっかり忘れ、声を弾ませてテジトッキを抱き上げるミニョ。
「どこへ置こうか悩んでるんだが・・・どこがいい?」
テギョンの声が聞こえているのかいないのか、ミニョは満面の笑みでテジトッキを抱きしめ頬ずりしている。おでこをくっつけ顔を覗き込んだり、鼻を押して笑ったり。
想像していた以上のミニョの喜びようにテギョンの顔も綻ぶ。
しかし柔和な眼差しは長くは続かなかった。
それまでゆったりと優しかったテギョンの顔が徐々に曇りだす。
テジトッキを自分の胸にギュッと押し付けるように抱きしめているミニョを見て、テギョンの眉間にしわが寄る。
「やめた。」
低く響く声に、テジトッキと戯れていたミニョが漸くテギョンを振り返った。
「この部屋においてやろうと思ったが、やめた。テジトッキは玄関だ、いや、ベランダにするか。」
「ええーっ!どうしてですか?」
「どうしてもだ。」
このままでは今夜テジトッキと一緒に寝ると言い出しそうな勢いのミニョに、テギョンが先手を打つ。
テジトッキ相手に焼きもちか?と、少々情けなく思うが、たとえぬいぐるみであろうと今はミニョの心を他の何者にも奪われたくない。
つい先程までにこやかに笑みを浮かべていたテギョンが急に不機嫌そうに口を尖らせていることにミニョは首を傾げた。
訝しげな表情のミニョの手から、ひょいとテジトッキを取り上げるテギョン。それを取り返そうとするミニョ。
暫くの間、テギョンの頭上にあるテジトッキを捕まえようと手を伸ばし、ピョンピョンと飛び跳ねていたミニョが急に小さく叫ぶとテギョンは慌ててミニョを見下ろした。
「どうした!?」
「ネックレスに髪の毛がひっかかっちゃったみたいで。」
首の後ろに手を遣り絡まった髪を解こうとしているミニョに、「お前じゃ無理だ、見せてみろ」とテギョンは背後に立ち、そっと髪を掻き分けた。
器用な指先でチェーンに絡まっている細く柔らかな髪を解いていく。
髪を引っ張らないように気をつけながら、ゆっくりと丁寧に少しずつ・・・
髪の毛に集中していたテギョンの視線は、作業を終えてもそこにとどまっていた。
まだ少し湿り気を帯びている髪は手を差し入れるとひんやりとしていて、指の間をサラサラと流れ落ちる感触が気持ちいい。
ふわりと広がるシャンプーの香りがテギョンを誘う。
ミニョのうなじから目が離せない・・・
ドクドクと高鳴る心臓。
白くきめ細かな肌は、湯上りのせいか恥じらうようにうっすらと赤く色づいている。
そっと指で触れるとしっとりとして温かく、すべすべと心地よい感触にテギョンの自制心は失われていく。
「ありがとうございます・・・オッパ?」
テギョンはミニョの首筋に熱い眼差しを送りつつ、バスローブの襟をぐいっと引っ張ると、引き寄せられるように滑らかな肌に口づけた。
「きゃっ!」
不意に見えない場所にテギョンの熱い唇を感じ、ミニョは身体を硬くする。
テギョンは後ろから抱きしめるように左手をミニョの腰に回し、右手で襟首を広げると露わになった肩まで唇を這わせた。
「・・・んっ・・・オッパっ・・・」
震えるミニョの身体をくるりと反転させ、テギョンはミニョの大きな黒い瞳を見つめた。
「ミニョ・・・」
テギョンの唇が愛しい人の名前を形作る。
ゆっくり、ゆっくりと二人の距離が縮まっていき・・・
ミニョは息を止めると、そっと瞼を伏せた。
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