グローバル化する社会の中で、これからの教育においては
異文化についての「知識」や「体験」を
「異文化理解」として深めることを
ますます大切にしなければならない思います。
何故なら・・・ということは、一旦、後にして、
そのために必要なこと、とは?
私は、現在の音楽科の授業でいうところの「知覚・感受」の過程や、
そのはたらき(作用)を意識して、
学習活動をデザインすることが重要だと考えています。
私の考えでは、音楽科の授業における「知覚・感受」とは、
概ね次のような問いに、各々が自分の答えを見出すことです。
ある楽曲(あるいは演奏)について、全体を通して何を感じるか。
その楽曲(あるいは演奏)を特徴づけているものは何なのか。
その特徴は、全体の中で、どのような効果を生み出すのか・・・
まずは「体験」して、何かを感じることが必要。
そして、何故そう感じるのか、特徴を分析する。
そのために、教師は必要な「知識」を与えたり、観点を示したり、
ある部分に注目させる、比較する、などの活動をデザインします。
こうした体験と分析を繰り返して、
音楽(表現、文化)の「本質」に近付いていく。
「異文化」とか「我が国の文化」とかの分類とは関係なく、
「本質」に近付こうとすることが要点だと思います。
異文化についての「知識」や「体験」を
「異文化理解」として深めることを
ますます大切にしなければならない思います。
何故なら・・・ということは、一旦、後にして、
そのために必要なこと、とは?
私は、現在の音楽科の授業でいうところの「知覚・感受」の過程や、
そのはたらき(作用)を意識して、
学習活動をデザインすることが重要だと考えています。
私の考えでは、音楽科の授業における「知覚・感受」とは、
概ね次のような問いに、各々が自分の答えを見出すことです。
ある楽曲(あるいは演奏)について、全体を通して何を感じるか。
その楽曲(あるいは演奏)を特徴づけているものは何なのか。
その特徴は、全体の中で、どのような効果を生み出すのか・・・
まずは「体験」して、何かを感じることが必要。
そして、何故そう感じるのか、特徴を分析する。
そのために、教師は必要な「知識」を与えたり、観点を示したり、
ある部分に注目させる、比較する、などの活動をデザインします。
こうした体験と分析を繰り返して、
音楽(表現、文化)の「本質」に近付いていく。
「異文化」とか「我が国の文化」とかの分類とは関係なく、
「本質」に近付こうとすることが要点だと思います。