思い起こせば、自分は20代のとき、
ピアノ専攻から学校教育(音楽)へと立ち位置が変わって、
日本の伝統音楽についての意識が高まりました。
折しも学習指導要領で「和楽器」が明文化される動きがあり、
その後、十数年の教員生活の間に
様々な体験、研修、実践ができたのは幸運だったと思います。
伝統芸能の舞台鑑賞はもちろん、
ワークショップに参加したり実技研修を受けたりしたこと、
また、何よりも、教師という立場で授業研究・教材研究の一環として
たくさんの本を読んだり先行実践に触れたりしたことと、
授業実践を通して生徒の反応から得た学びが、
ピアノの演奏を通して培ってきた自分のベースに
「新しい厚み」となって加わりました。
一方で、当時の中学校音楽科の教科書には
「世界の諸民族の音楽」という単元があり、
この単元を扱うことで、教材となる楽曲について、
単に「音楽」という捉え方ではなく
「文化」として捉える視点を得たように思います。
そして、多文化が共存するマレーシアでの生活と
東南アジア諸国への旅は、
「文化」や「国」というものに対する実感を新たにする機会になり、
「多文化」とか「文化の多様性」ということに対する意識も高まりました。
他にも、諸々、書ききれないことがあるのですが、
とにかく、これからも日本の教育(主に公教育)に携わっていくならば、
グローバル、とりわけ「異文化理解」について、
自分の中で大きなテーマとして取り組みたいと思います。
ピアノ専攻から学校教育(音楽)へと立ち位置が変わって、
日本の伝統音楽についての意識が高まりました。
折しも学習指導要領で「和楽器」が明文化される動きがあり、
その後、十数年の教員生活の間に
様々な体験、研修、実践ができたのは幸運だったと思います。
伝統芸能の舞台鑑賞はもちろん、
ワークショップに参加したり実技研修を受けたりしたこと、
また、何よりも、教師という立場で授業研究・教材研究の一環として
たくさんの本を読んだり先行実践に触れたりしたことと、
授業実践を通して生徒の反応から得た学びが、
ピアノの演奏を通して培ってきた自分のベースに
「新しい厚み」となって加わりました。
一方で、当時の中学校音楽科の教科書には
「世界の諸民族の音楽」という単元があり、
この単元を扱うことで、教材となる楽曲について、
単に「音楽」という捉え方ではなく
「文化」として捉える視点を得たように思います。
そして、多文化が共存するマレーシアでの生活と
東南アジア諸国への旅は、
「文化」や「国」というものに対する実感を新たにする機会になり、
「多文化」とか「文化の多様性」ということに対する意識も高まりました。
他にも、諸々、書ききれないことがあるのですが、
とにかく、これからも日本の教育(主に公教育)に携わっていくならば、
グローバル、とりわけ「異文化理解」について、
自分の中で大きなテーマとして取り組みたいと思います。