今日5月23日は「難病の日」だそうです。
「難病の日」は、日本で毎年 5月23日 に制定されている記念日。
難病について知ってもらい、患者さんへの理解を広げることを目的としている。
由来になったのは、1972年5月23日に「難病対策要綱」が定められ、
日本で本格的な難病対策が始まったこと。
「難病」って何?
日本では、主に
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原因がはっきりしない
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治療法が確立していない
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長期間の療養が必要
といった病気を「難病」と呼ぶ。
代表例としては、
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筋萎縮性側索硬化症
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パーキンソン病
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潰瘍性大腸炎
などが知られている。
日本の難病対策
日本では医療費助成や研究支援が行われていて、
「指定難病」という制度もある。
現在は300種類以上の病気が対象になっている。
実は私も難病持ちです。
具体的な病名までは言いませんが、事実です。
診断されたのは7年前でした。
ずっと原因不明の不調が続いていて、病院を転々としていた時、
地元のある程度大きな病院にて検査入院をすることになりました。
そこで精密検査を行ったところ、難病の疑いがあると診断されました。
しかも先天性の難病でした。
完全に青天の霹靂でした。
子どもの頃から健康体だと思って元気に過ごしてきましたので、
まさか自分が先天性の難病であるとは思いもしなかったです。
もちろん自覚症状などありません。
結局不調の原因も難病とは無関係のものと分かり、
そちらも原因不明のまま退院することになりました。
退院後、東京の大きな病院で難病の確定診断をするために検査を行いました。
腎臓の症状が主ですが、他の多臓器にも影響を及ぼす難病だったので、
たくさんの科に行って色々な検査を行いました。
結果、難病の確定診断となりました。
そこからは半年に1回検査をして、経過観察となりました。
ちなみに検査は造影剤のCTを使って行うのものです。
腎臓にある動脈瘤の大きさなどを見るためです。
その後、6年間は特に何もなく無事に過ごせていました。
ここから激動に変わります。
それが去年の検査の時に、黒い丸い遺物が映っていました。
主治医はそれが何か分からないので、今度は造影MRIを撮ったら
分かるかもしれないというので撮りました。
が、結果、同じように何か分からないということで終わりました。
私も医者に分からないと言われたらそのまま受け入れるしかないので、
特に意見することもなく帰りました。
そして半年後、次の定期検査の時に、その黒くて丸い遺物の大きさ
が大きくなっていました。
同じように造影MRIまで撮ったところ、信号が他の物と違うと言われました。
そして、「癌の疑い」という診断を下されました。
これも青天霹靂です。
まだ癌になるような年齢でもないはずです。
そもそも半年前の検査で何か分からないで終わっていた異物が
実際は癌だったわけです。
私の気持ちからすると、「半年前に見つけられたのでは?」
という思いです。
ですが、主治医自身も明確に診断が下せないらしく、
セカンドオピニオンで他の病院に行くようにと言われました。
そこでも同じ意見であるなら、確定させて癌の手術をしましょう
ということでした。
後日、他の難病にも詳しい病院に行くと、
やはり癌ではないかと言われました。
そして、手術するには元の東京の病院が良いとも言われました。
やはり同じかという思いでした。
さて、ここから意外な展開を迎えることになります。
元の病院に行くまで1週間を切ったある日のこと。
去年2025年の11月半ばの20:30頃、授業を行っている最中に
腰に激痛が走りました。
腎結石の痛みとも明らかに違う激痛でした。
これは何かが起きたと思い、授業を10分だけ早く終了させて、
急いで家に戻って東京の病院に電話をしました。
最悪だったのは金曜日の夜だったことで、当直の若い先生が
いるだけでした。
その先生に事情を説明したところ、救急車と連携すれば
遠方でも運んでもらえるということでした。
そして救急車を呼びました。
もう正直腰が激痛すぎてまともに話していられる状態ではなかったです。
何とか伝えきって、家の方まで救急車で来てもらい、
中で病院とも電話して、私が難病患者だと確認が取れたので、
東京の病院まで運んでもらうことになりました。
高速道路を使って1時間ぐらいでした。
その途中もあまりにも激痛すぎて、大変でした。
そして1時間して病院に着きましたが、
完全に痛みのピークになっていて、
ベッドのフレームを殴りつけたり、
自分の頭を掻きむしって毛を抜いてしまったり、
腕を搔きむしったりしてしまっていました。
それぐらい激痛だったということです。
ちなみに今でもひっかき傷は残っています。
まず、何が原因で激痛が起きているか
突き止める必要がありますので、
レントゲンを撮りに運ばれたのですが、
あまりにも激痛すぎてレントゲンすらまともに
撮れない状態でした。
痛みを押して強引に撮られました。
結果、腎臓の動脈瘤が破裂してしまって、
大量出血を起こしていたようです。
これを治療するわけですが、やはり金曜日の夜で病院には誰もおらず、
他の病院からチームを呼んで緊急手術ということになりました。
ここまで運ばれてから1時間程度は経っていますが、
本当に地獄で、死んだ方がマシだと思うぐらい辛かったです。
そして手術になりました。
全身麻酔で眠らせてくれるならまだ良かったのですが、
低襲撃の局所麻酔で行う手術だったため、
逆に意識がハッキリしている状態でした。
おかげで激痛はそのまま激痛のまま、さらに手術の痛みにも
耐えるという二重苦で、さらに辛い地獄に入ってしまったのでした。
結局手術は1時間半ぐらいやっていたと思います。
とにかく地獄だったとしか言いようがないです。
終わって、ICUに運ばれました。
人生初のICUです。
そこには、私以外にも命の危機に晒されて24時間監視体制に
置かれている患者たちがいました。
私はというと、あまりの激痛が手術を終わった後も全く収まらず、
逆にかえって強まったぐらいになってしまいました。
数日はおそらくこの状態が続くだろうと言われました。
絶望しました。
数日この激痛に耐えろと・・・。
どれぐらい激痛かと言うと、
腎結石や尿管結石の痛みを遥かに超えたレベル
の激痛です。
例えば病院ではベッドに寝かされますが、ベッドから一ミリたりとも
動けなかったです。
腰に激痛がある状態だと、姿勢を動かせないのです。
手をついて動かすという簡単な動作すら出来ませんでした。
正直初日は恥ずかしながらあまりにも辛すぎて泣いてしまいました。
痛みで泣いたのは初めてです。
当然全く寝ることが出来ません。
1秒1秒が長く感じられて、その1秒1秒が激痛です。
本当に死にたいと思いました。
この状態が、ICUを出る5日間続くことになります。
ということで、まだまだ話が長くなりそうなので、
今回はここまでにしたいと思います。
次回続きを書きます。
難病患者は辛いということを知ってもらえたらと思います。