ファイターズ応援ブログ ~僕らは待つよ輝く瞬間~ -8ページ目

ファイターズ応援ブログ ~僕らは待つよ輝く瞬間~

ファイターズについて奥深く色々と好き勝手に書いていきたいと思います。

今日は栗の樹ファーム特集第二弾。


昨日紹介したお店から、ちょっと歩くと「栗の樹ファーム」に到着。坂もあるので、歩くのが苦手な人は辛いかも。周りには何もなく自然に囲まれた場所。「こんなところにあるの?」という場所にあります。



さらに坂を登ると、そこにはグランドと栗の樹ファームの看板が見えてきます。





この日は雨が降った後だったんで、少しグランドが濡れていますけど「ここで野球をやってみたい!」そんな事を思えるような場所でした。今季、ファイターズが低迷した時に、若手選手をここで練習させれば良い気分転換になったかも?とも思いました。



さらに郵便ポストはヤンキース模様で、旗はレッドソックス。ヤンキースと言えば、昨日の深夜。7年契約162億円という超大型契約で田中将大投手と契約を結びましたね。恐ろしい額ですが、日本人投手にここまで評価をしてくれるというのは、物凄く嬉しいですね。


ダルや黒田投手の活躍も大きかったかな?


と同時に、田中投手が活躍しなければ・・・。井川投手で失敗したヤンキース。後に続くピッチャーはさらに大変になるかもしれません。頑張ってもらいたいですね。それにしても、同世代の人が162億を稼ぐとはね・・・(苦笑)

あっ、話が逸れちゃいました(笑)



そして、こちらが野球のグッズが沢山収集されている小屋となります。次のブログで中を紹介しますが、野球ファンにとっては溜まらない場所と思いますし、ファイターズファンにとっても一度は訪れたほうが良いのかも?と思う場所です。



と、同時にこんな博物館のような小屋を作った人が監督をやっているんだな~と改めて不思議に思った次第です(笑)渡邉選手が発した言葉じゃないですけど「ただの野球ファンじゃん!」そう思いたくなりました(笑)

昨年の6月。人生初のLCCで札幌へ。「行こう!」と決めたのが二日前。名の通り弾丸遠征でした。目的は「選手プロデュースデー」を見に行くこと。どういうことをやっているのか?と気になっていたんですよね。


ちなみに、LCCは乗ってしまえば普通の飛行機。朝だったので寝れたので、そこまで辛さは実感しませんでした。やっぱり安く旅行出来るのは魅力です。


そして、その日はナイターだったので、「一度は行ってみたい!」と思っていた「栗の樹ファーム」に足を運んでみました。新千歳空港から近そうで遠い栗山駅。途中駅で40分待たされるなど、凄いローカル路線でしたが、それはそれで楽しかった。しかも40分待っても僕を含めて2人しか乗らないというね(笑)


ちなみに、下の写真が途中駅の時刻表。東京じゃ信じられませんが、北海道に来たからには、こういう体験をしてみたかったので、嬉しかった(笑)



で、下が栗山駅の写真なんですが、とっても綺麗でおしゃれな駅でした。周りはとにかく静かだったな~。なんか癒やされました。



さらには、こんなものまで・・・。記念に撮っちゃいました。昨年の最下位は夢は正夢になってほしくなかったのではないでしょうか(苦笑)



雨も多少ぱらついていたんですけど、個人的にはこういうところに来たら歩くのが好きなんで、フラフラ歩いていると、途中にこんな店がありました。朝からほとんど食べてないし寄ってみよう!と。



いざ店内に入ってみると、いかにも!というバーガーがあったんで思わず注文してしまいました。



店長さんが物凄い優しい方で、栗山町の歴史など色々話してくれました。「どこから来たんですか?」とかも聞かれ、話していくうちに、相手もファイターズファンでテレビの中継も良く見ているそうなんで、試しに自分の話題を振ってみたら、僕の事を認識してくれたみたいで「これ食べなよ!」とか色々サービスまでしてくれました!

ちょっと気分が良かったですし、影響力すげー!とビックリしました。

少しゆっくりした後、「遠いけど大丈夫?」とか心配されたりしましたが、「栗の樹ファーム」までの道順を丁寧に教えてもらって、いざ栗の樹ファームへ。それは次のブログで記載しますね。


ファイターズは2013年シーズンで札幌移転10年目という節目の1年になりました。


その記念すべき10年目は最下位に終わってしまいましたけど、結果的に、10年間で、1位・2位・3位・4位・5位・6位を全て経験するという、まさに波瀾万丈の10年間。そのうち、2~6位が各1回ずつで、後の4回は優勝という素晴らしい成績を残しています。まさに黄金期ではないでしょうか。


先日、北海道で放送された番組でファイターズの選手達が移転10年を振り返るという興味深い番組を見ることが出来ました。「北海道に住みたいな~」とはなかなか思わないけど、こういうファイターズ関連の番組が見れるというのは非常に羨ましいな~と思いますね。東京時代には週に1回で5分番組でしたから・・・(笑)


その10年間を振り返る番組の中で各年度のベストナインなどを金子選手を中心に語っていましたけど、本当に強かったな~と思うと同時に、当時の主力選手達がほとんど移籍してしまっているという現実。特に、ここ最近のファイターズは入れ替わりが激しすぎますね~(笑)


どう感じるのかは、人それぞれだと思いますけど、僕は色々な面で心配になったりします。


まず、球団としては、若手選手もどんどんチャンスを貰えるし、ドラフトで指名した選手が無駄にならず、より良い選手育成が出来るという利点はあります。なので、高卒選手はとってもやりがいがあると思います。一方で、大卒や社会人卒でファイターズに入団する野手は特に難しいと思いますけど、僕はそういう選手達も平等な目で戦力として考えないと、チームは強くならないと感じています。昨年で言えば村田選手かな。


でも・・・。ね。なかなか評価はしてもらえないもんです。


次に、ファン目線からいくと、やっぱりチームを応援していると選手に対して自然と愛着が湧いてしまうんですよね。それは仕方がないことだと思います。それに、ファイターズは比較的、選手とファンの距離が近い球団ですし、北海道では選手に密着する番組とかも多いですから余計に。


なので、中には選手達がどんどん入れ替わってしまうので、愛着が薄れてしまったファンもいるかもしれませんし、優勝したということで、冷めてしまったファンも多いと思います。それが観客動員の微減に繋がっているのかもしれません。今後の10年間は、そこが課題になるのでは?とも思ったりもします。


ちなみに、僕も正直、昔より「勝ちたい!」という思いで応援することはなくなりましたけど、また違った野球の見方で楽しんでいます。優勝も大きかったけど、自分が就職したというのも大きいかも。


一方で関東のファンは鎌ヶ谷があるおかげで、毎年ファンが増えている印象があります(笑)


例えば、札幌ドームに二軍の週刊誌や月刊誌を配布するなどして、選手達の情報を少しでもファンに伝えられれば良いのかな?とも思ったりもします。そうすれば、選手の入れ替わりにも対応出来るし、某選手が怪我や移籍で抜けても「◯◯選手が昇格してくれるなら嬉しい!」そういう事にも結びつくのかな?と。札幌ドームに足を運んで実感することが一つありまして。ホントに、ここ1~2年目で入団してきた選手のユニフォーム着用率も以外と高かったりもします。多分、長く着用出来るからでしょう(笑)


後は、全選手対応グッズかな。選手によって売れ行きは異なると思いますから、受注販売でも良いと思いますし、少し値段が高くなっても、日常で使用出来るものでしたら、絶対に購入するファンはいるはず。万が一、応援していた選手が退団となってしまった場合でも、そのファンの中では、そのグッズが一生の宝ものになったりするのかもしれません。


そして、選手達に出来ることは今後も1試合でも多く勝って、最終的に優勝することと、金子選手が語っていましたね。やっぱり勝つことが一番だと。そして、稲葉選手も語っていましたが、今後もファンサービスも行っていくこと。それだけ選手達は危機感を持ってプレーしています。(一番実感したのは2012年の日本シリーズだとか)


こんな感じで移転10年よりも、今後の10年間について多く書いてしまいましたけど、正直課題ばかりだと思いますし、今後の10年間がどうなるかによって、ファイターズというチームは大きく変わると思います。


色々な事をやってしまう球団ですけど(笑)なんとか、選手とファンが一体になっていければな。と思いますね。


PS:ファンクラブのグッズも考えるべきだよな~。僕の予想ですが「ファンならファンクラブ入るでしょ?」みたいな感じで、グッズには力を入れていないように思うんですけどね。まぁ、仕方がないか。

以前、別のブログなどでは書いたことが有りますけど、一応ここにも書き残しを。


僕がファイターズの応援をスタートさせた年は1998年からとなります。


当時、スポーツ欄を見ていると、パ・リーグの断トツで一位を突っ走っている球団がありました。「おっ!」と目を惹かれ、新聞を読むと、当時、野球にはそこまで詳しくは無かったのですが「落合博満選手がいるんだ!凄いチームなんだな~。しかも強いし!」そんなことがキッカケで応援し始めたチーム。それが日本ハムファイターズです。


しかーし。僕が応援し始めてからチームが低迷し始めて大逆転で優勝を奪われてしまうという屈辱を味わってしまいます。そこからでしょうか。「このチーム、絶対に応援する」という悔しさからファンになろうというのを心に決めた瞬間は。もし、あのままファイターズが優勝していたら、もしかしたらここまで応援していなかったのかもしれませんね。


そこから、学校・進学後は部活などの合間を縫って東京ドームに通います。遠征はマリンや西武ドーム(笑)それでも充分、遠征だったんですよ。当時は。


だが、2002年の開幕前。スポーツ紙に信じられないような記事が出ました。「ファイターズ。札幌移転」正直、物凄く寂しかったですね。やっぱり東京のファンとしては東京にいて欲しかった。前々から噂には聞いてましたが、正直「ふざけんな!」という気持ちもありました。


しかし、発表されたものは覆らず、2004年から札幌ドームに移転してしまいます。


そこで「何か協力出来ないものか?」と思い始めたのが、ファイターズの応援歌をサイトに載せること。元々、応援歌が好きで、2001年から録音していましたし、今まで録音してきた応援歌を載せることによって、少しでも足を運んでくれるファンを増やせればという考えになりました。こうなったら、とにかく「日本ハムファイターズ」というチームを失いたくない。そういう気持ちになりました。札幌移転が失敗したら”終わり”と思っていましたからね。


余計にそういう思いが強くなったのは、2004年の球界再編問題。もし、ファイターズが札幌に移転していなかったら、日本ハムファイターズというチームは残っていたのか・・・。正直、分かりません。そういう意味では初めて「移転した良かったのかもしれないな」と思った瞬間でもありました。


やっぱり自分が応援するチームを失う・・・。あれほどのショックは無いと思います。正直。それに比べれば、本拠地が変わり、球団名も「北海道」が追加されただけで済んだファイターズはマシだったんだと。


それで現在に至るわけですが、当時と野球に対する見方も変わったりもしていますが、今後もファイターズというチームがある限り応援していければな~と思います。


PS:応援歌のサイトを始めて、多少効果あったかな?と感じたのは、初めて札幌ドームに足を運んだ2004年の夏。会ったこともない人から差し入れを頂き、「あなたのお陰でファイターズを応援することが出来ました」という手紙を貰った瞬間ですかね。ちなみに、その時に一緒に入っていたのが、当時ヒルマン監督の通訳を務めていた岩本賢一さんの特集のビデオ。「これを見て、将来はぜひファイターズの裏方を!」という一文もありました。視野には入れてはいたのですが・・・。叶えられずすみません(笑)

先日。背番号9となった新たな中島卓也選手のユニフォームが届きました。


一桁・・・。やっぱり見ると嬉しいもんですね。今後は56番も着用したい気持ちもあるので、使い分けていこうかな?とも思ったりもします。


自分は今まで、小笠原選手(ビジター)、鎌倉健投手(ホーム)、田中賢介選手(ビジター)、吉川光夫投手(ビジター)、そして中島卓也選手(ホーム)と5選手のネーム入りユニフォームを着用してきました。


現在はホームがタクで、ビジターが吉川投手ですね。


着用歴は小笠原選手が04年、鎌倉投手が04年~08年。賢介選手が07年~12年。中島卓也選手と吉川投手が09年~。こんな感じかな。(それだけに賢介、タク、吉川が3人で自主トレを行うという話を聞いた時は、凄いびっくりした)


※03年より前はネームが入ったユニフォームは発売していなかったんです・・・。なので無地でした。


中でも思い出に残っているのが、鎌倉投手。高校時代から凄い大好きな選手でして、ミズノに頼んでユニフォームを作成してもらいました。初めてのオリジナルですね。今、草野球などなどで「12」という番号を付けているのは鎌倉投手から影響を受けて付けた背番号となりますし、今でも愛着があります。


しかし、戦力外通告を受けて07年限りで退団。でも、知人を通して鎌倉投手本人や奥様に「引退しても08年の1年間、着用します」と宣言しました。そしたら物凄く喜んでくれて「テレビで探します!」と。それで08年も着用し続けたわけです。


それに戦力外通告の知らせを受けた時のショックは今でも忘れず・・・。特別に応援する選手を作りづらくなってしまったという理由もあります。


で、08年のオフ。そこに現れたのが中島卓也選手でした。そんな気持ちだった自分が「ユニを作りたい!」と思ったんですから、相当な気持ちの入れようだったんでしょうね。


ちなみに、中島選手のユニは前デザインのユニを含め2着目となりますが、ユニにサインを貰う時、必ず一言入れてもらっています。好きな言葉でもある「感謝」。決して自分へ感謝という意味ではないですよ(笑)最近は試合に出ることが増えて有名になりましたけど、まだまだの時は冗談抜きで「少しでも覚えてもらいたい!」という気持ちでわざと球場外で着用していた時もあります。そうすると、意外と反応してくれて、子供とかが「なかしま。だって~」という声が聞こえると嬉しかった!


そんな、過去の思い出も含め、ユニフォームについて記載してみました。


どうでも良いけど、鎌倉投手は「12」吉川投手は「34」中島選手が「56」と・・・。偶然にも123456という順番になっていたことに、いつぞや気づいて、面白かったのでアドレスに入れています(笑)


「12:鎌倉」ー「9:中島」=「3:賢介」これは無理矢理だな(笑)