見えない世界の日記

見えない世界の日記

占い
スピリチュアル
など見えない世界全般の講師
作家

霊能者という職業の視点から、日常、そして経験をつづります



お金は循環させる物、とよく耳にする。

それを素直に実践しようとしている方もいる。

 

 

「欲しいものが沢山あるから、それを買って、おカネを循環させたい」と話していた。

いや、それは違う。単にお金を使っているだけであり、いうなれば、お金を横に流しているだけにすぎない。

 

もちろん、欲しいものを買って、自分が満たされるのだから、それはそれで良い。ただ、欲しいものを買う資金がないのに、買いたいものだけのイメージが膨らんでいけば、単に欲の先走りになる。

 

”欲しいもの”が自分を動かし、自分を奮い立たせる原動力になる。欲しいもの、という目標が生まれる。その目標に向かって努力し、成長し、やがて自分や周りの人、もっと広く言うなら世間の役に立ったり、ためになる。そんな価値を生み出す。そしてその結果、巡り巡って、自分の元に戻ってくる。

それが循環と言えるはずだ。

 

 

つまり、循環のスタート地点は、自分を奮い立たせるモチベーション、動機、自分のなすべき役割であるべきだ。

そのために頑張れるのか? 

一度、自問してみるといい。

 

 

ちなみに、今欲しいものがない人はどうすべきか(笑)

ならば、物ではなく、自分自身を役立てればいいではないか。

電車の中でご老人に席を譲る、

道路の雑草をつまむ、

そう。

「お金が入ったら」なんて待っている必要はない。
良い流れを作るのに、ゆっくりしている暇はないのだから。

何も書いていなかったのに、アクセスがあるのはありがたいです。

 

で、最近の事。。。。

はっきりとこれ、とか書かなくても判ると思うが、ニュースで放送されていた事件。

あるコメンテーターの方が、メディアで取り上げることに対して違和感を語っておられた。

「いつ、どこで亡くなったか興味があるかもしれないが、分かったところでなんなのよ、と思う」

というような内容の他、本当は何を伝えるべきなのかという事も話されていた。

 

激しく同感。

 

もう一つそれとは別に、憶測という言葉がいまひとつぴんと来てないことがある。

 

憶測とは、根拠や裏付けがなくて、あれこれ推測したりする、という意味の言葉らしい。

ただ、その先にある心理的な部分、つまり、憶測、推理といってもいいが、それが当たったときのことだ。心理的に有利を覚えたり、優越感だったり、そうした心理になることが一番怖い。

自分とは遠い存在の事でありながら、まるで自分がその出来事に参加しているような気になることもある。

 

これ、他の事でも当てはまる。例えば、直感、霊感が当たった場合だ。全く心が動かないとは言い難く、当たったときの優越感などは誰もが感じやすい。

 

じゃ、何がダメなのか?

煩悩

これにつきると考えている。

私の場合はだけど。

 

 

では、今回の事で、何がどうあるのが良いのか、正しいのか? それが意外に簡単ではない。

一つだけ言えるとしたら、天の住人となった彼のご冥福を祈る事

御心を痛めておられる方たちが一日も早く癒しを得られる事

そう祈る気持ちなんじゃないかと。

 

そんなことをふと思った一日であった。

ある人が物事や、他人に対する判断基準として、波動を使っているという。

否定はしないが。。。と、それほど自分の中でも取り上げることはしなかった。そもそも、精神世界や、スピリチュアリズムという分野と、波動というのは同じではない、といスタンスでいる。

 

「ボクは波動からしたら、それはね本人の言葉は本心じゃなくてさ・・・・」と波動判断が続く事があるが、

「へぇ」

で受け流すことが多い。

くどいようだが「否定はしないが」というスタンスなので(笑)

 

 

しかし、何事も行き過ぎると違和感を感じるもの。

波動君が、別の人の判断にいつものように波動を持ち出した。言わんとすることは波動を読んだので「ぼくはその人の本質がわかった」ということだ。

 

 

誰かから何かを感じる、っていうのは誰にだってある。

波動を使うからわかる、ということではない。

 

それより、違和感はその波動君は自分が波動判断したことが正しく、全てであると思い込むことから生まれる気がする。

人が人を判断することは簡単ではない。自分のことだって自分で分からないことがあるのに(自分の場合)。

 

その人のその時の言葉や感情、そして、環境、はたまた悩んでいること、それを自然に受け取ればよい。真摯に向き合うとも言える。そうすれば受け答えをしたとき、その時のその人にとって必要な言葉や思いやりが、自分から出る言葉になってその人に伝わる。

もし、その人の心の中が言葉と正反対だったとしても、今、その言葉を使い、伝えたいことがあったのだ。聞いてほしかったのだ。ひょっとしたらほめて欲しかったのかもしれない。

 

と、ふと思っただけで、何が正解がかは判らない。

いや、それが正解かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

少し前、某レストランで頂いたポップコーンシュリンプは、なぜポップコーンなのか?

という話題になった。

調べてみると、

「片手でポップコーンのように手軽に食べられるエビ料理」

という事が名前の由来という事だった。

幾つか説があるらしいが。。。

 

 

だから何だ? と思わなくもないが、一番重要なことは、

 

疑問に思ったことを、放置しない事。

その時に解決する事。

 

 

だと思う。

まずは一つ解決。

ある、スピ関連の方。

 

 

講座代金爆上げ。

 

 

無料でやりたいと言っていた記憶がある。

 

 

非情に難しいのは、それがダメではないこと。

何か事情があったのだろうし、世間の流れに乗っただけかもしれない。

 

 

 

何が基準になるかが無い。

 

 

 

一つ言えるのは、長く学ぶ必要があるのがこの世界。それなりに学んできた人はそれなりに学習にかかる費用を払っているはずだ。

 

つまり師匠がいるはずだ。

というとはその師匠の講座代金が参考になるはずだ。

師匠を超えて、講座代金を徴収しようとするのなら、それなりのものがあるはず、と思いたい。

 

 

 

例えれば、

師匠が、VWポロに乗っていて、軽四で十分だと言っていた弟子がべ〇ツに乗り出した。

みたいな。