誰でも自分が大切にしているルールがあります。そしてそのルールは間違っていないとほとんどの人が思っている。
そうじゃなきゃ、ルールの意味がないですもんね。
自分のルールって、どうやってできてきたんだろう。そんなことを考えたことありますか?
私は、ルールというのは、今まで生きていた中で積み上げてきたものだと思う。自分が心身ともに、喜びや辛さを感じた体験からつくられたものだと思う。
だからその人にとっては、とっても大切なものなんです。だって、その人の人生そのものだから。
だから自分のルールと相手のルールが違うのは当たり前のこと。よく似ていると思っていても、やっぱり少しずつ違ったりして。
ここはこれくらいならいいけど、このラインを超えるとダメ。なんて、無限に存在するわけです。
その正解は果たしてどこにあるのか?
もちろん世の中に原理原則というものがあって、それを破ることはいけない。
でも原理原則なんて多くはなくて、ほとんどのことが人それぞれの体験の中から勝手に創り出されている。
だったら、自分のルールを相手が破ったからって目くじらを立てて怒る必要はないと思いませんか?
だって、あなたのルールを相手が破ったということは、相手のルールをあなたも破ったということ。
どっちがよくて、どっちが悪いという話ではないんです。どっちのルールも正しいし、どちらも間違いかもしれない。
だったら何が大切だと思いますか?
それは目的です。どんな目的をお互いが望んでいるのか。
その人はどんな人生を送りたいのか。その人の生きる喜びはなんなのか。その目的に、自分は重なるものはないのだろうか。
重なるものがあれば、解決することはきっとできる。だって、そのために何をすることができるのかって歩み寄ることができるから。
では重なるものがなかったら、もうダメ?もう無理?
ほんまに???
重ならなくてもいいと思う。だって違う人生を体験してきてるんだもん。
ただ、相手をどれだけ理解しようとできるかが大切。
もうダメ。もう無理。って諦めるのはいつだってできるから。
逃げたい時もある。それもわかる。
だけど逃げても、解決していないのは相手ではなく自分だから、何回でも相手を変え、場面を変え、課題はやってくる。
だから、どうしても納得できないことが目の前に起こったら、自分への課題がきているってことです。
そんな課題もチャレンジだー!ってがんばれる自分で在りたいですね。