「読む人を選ぶ」なんて言うと、人を区別しているように思われてしまうかもしれません。

 

この本の中にはこんなくだりがあります。

 

「汚物も神だと言うのか?」

「汚物を汚物と見る人のために話をしているのではない」

 

 

本日発売の翻訳本!!

 

あなた自身を知りなさい ―存在一性論の解説― | ムヒッディン・イブン・アラビー, アウハド・アルディン・バルヤニ, セシリア・トゥインチ(英訳), 福田 カレン |本 | 通販 | Amazon

 

1150年頃に、スーフィズムのマスターが書いたとされる本。

 

このブログでは何度も共有させていただいていることですが、言葉で表現できるのは、全体のほんの一部にすぎません。

 

先日はそのことを「お子様ランチの旗」にたとえました^^

 

お子様ランチの旗 | めざめとさとり、そしてアセンション (ameblo.jp)

 

これまでに翻訳させていただいた本では「自分」と「自己」は明確に別の意味を持っていたし、「私」と「わたし」を書き分けたこともありました。

 

「私」と「わたし」では、指し示しているものが全然違うのです。

 

でも、その違いがわかる方もいれば、わからない方もいます。

 

私といえばこの私のことでしょう?

他に「わたし」がいるって、どういうこと??

 

という反応が悪い、というわけでもありません。

 

「汚物を汚物として見ない」というのもそんなようなこと・・・といえば、雰囲気が伝わるでしょうか。

 

何しろ、短くてお経みたいな本です。

 

みんな大好き『般若心経』は、短い中に深い深い意味が込められていて、ぱっと読んだだけで理解するのは難しい・・・だからこそ味わい深く、繰り返し読まずにはいられないのですけれど。

 

そんな感じの本です。

 

 

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