確かに、子供の頃から”現実”世界のものではないものが見えたり、不思議な話が好きだったりしました。
でも、同じような経験をした人はたくさんいるので、私が特別なわけではありません。
友人は、子供の頃妖精が見えたそうです。
母は、お墓で火の玉を見たことがあるそうです。
葬儀場で、亡くなった人がこちら側の人達と話しをしたくて四苦八苦していた、という話も別の友人から聞いたことがあります。
そうしたことはごくありふれた、普通のことなのに、「スピリチュアル」などといって特別視する必要はありませんよね。
このブログでお話ししているのも、決して特別なことではなくて、日常生活の中で感じたことや思ったこと、経験したことなど、ごく身近なことです。
ノンデュアリティのティーチャーが「スピリチュアルではなく、experiential(経験的)な話をしている」と発言するのを時々聞きますが、それ。
私たちが経験していることをよくよく観察すると、”現実”と呼ばれる、物質でできた二元的な世界に住んでいるわけではないことがわかります。
なぜ「よくよく観察する」なんてことをわざわざするのかというと、物質でできた”現実”に目を奪われるのではなく、純粋な経験することで、悩みとか不幸と呼ばれるようなことはただの物語だとわかるからです。
「私は子供の頃虐待を受けた。これもただの物語だというのか」
そう問いかけられたことも何度かあります。
お辛い気持ちはわかるのですけれど(私もにも感情はあります、あまり発達していないとはいえ)、それでもやっぱり、それもまた物語です。
「自分自身にそのような体験をさせることを、生まれる前に予め計画していた」
「夢から目を覚ましアセンションするためには、そのくらい強烈な体験を必要としていた」
そんな説明もできるかもしれません。
ただ・・・それも何かの言い訳のように感じてしまう。
物語(虐待)の上に、また別の物語(生まれ変わりがあるという物語や、人生のブループリントという物語)を上塗りしているように感じてしまうのです。
逃げ
それが私の本心です。
だって、何にもないのですから。
ないものをあるように見る「視点」はあります。
究極的にはないんだけども、その視点はあります。
ないのだ!でもなく、あるのだ!でもなくて、ないけどある。あるけどない。
ポジショントークみたいな感じ、といえばわかってもらえるでしょうか。
討論の訓練なんかの時に、「今回私は、このポジションに立って討論を行いますね」などといって、仮初めの立場(ポジション)に立ち、その立場から発言することがありますよね。
個人的にどう考えているかはいったん置いて、訓練という目的のためにそうするのです。
誤解されたくないので・・・いや、はっきり言いますね。
嫌われるのが怖くて、ポジショントークしている場面が、私にもまだまだあります。
本心を隠している、という後ろめたさを感じながら。
清水の舞台からなかなか飛び降りることができない私・・・
今日のブログは告白編でした♪
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