「自由意志はあるのか、ないのか?」が話題になっている場面に度々遭遇するのですね。
 
(私自身が、その話題に意識が向いているから、その意識の反映として、意識の中に入ってくる)
 
(↑鏡のような透明な世界)
 
私はないと思っています。
でも、自我の私からすると、あたかもあるように思えます。
 
自我を超越した大きな視点からすると、すべてはそのようにしてあるだけです。
時間や空間という概念は自我(3次元)だけのもので、自我に属さない世界には、何かを選ぶという感覚がありません。
 
選ぶというとどうしても、「時間がある」と言っているような感じがしません?
「今からこれを選ぶことができるし、選ばないこともできるし、別のものを選ぶこともできる」というような。
 
でもその時間は3次元にしかない。
なので、選ぶべき別の何かが別々に存在することができるのは、自我が見ている3次元だけの話です。
 
自由意志はあるんだろうか?ないんだろうか?
 
と思いを巡らせている人は恐らく・・想像ですけれども・・・
 
『自我の自分は自由にアレコレ選択していることに間違いはない。でも世の中には、”自由意志はない”という意見もあって、そう言っているのは尊敬する○○さんや有名な△△さんや××方程式やyy理論だから、もしかしたら自由意志はないのかもしれない』
 
と、内心では考えているのではないでしょうか。
 
もしそうだとしたら、その疑問を持ち続けてほしい!!
 
このテのことを理解するためには、頭で(思考で)理解することは”助け”になるだけなんですけれども、助けになることは確かなんです。
 
世の中には、体験が先にあって、後追いで精神面の理解が進んでいく人もいるようですが、私は断然、思考から入って、後から体験が訪れるクチ。
 
順番なんて、どっちでもええやんか~(←謎の関西弁w)
 
先に、頭で「なんと、、、、そんなことがあり得るのか」と知っておくと、ふとした瞬間に「あ、コレか」と思う時が来る。
 
なので、
 
うーん、一体どういうことなんだろうか・・・うーん、うーん 
(考えているのは自我の思考くん)
 
と悩むことは、体験までの助走のように思えるのですね。
 
思考くん、かわゆす^^
 
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お雛様が大好き好きすぎる件。

 

 

 

 

 

 

新宿の京王プラザホテルです。

 

 

お人形だけよりも、お道具が色々付属しているものが好きなので、リカちゃんやシルバニアファミリー?的なミニチュア好きの一種なのかも?

 

(江戸時代、大奥で事務的な仕事をしていた過去生というストーリーを、自我は持っています。

が、それも単におもしろい物語。自我という分離のエネルギーに絡まった特定のエネルギー)

 

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翻訳書です

 

 

 

著書です