何でもないひとコマを。 | フットサル施設「フロンタウンさぎぬま」オフィシャルブログ

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ある日のこと。

 

 

フロンタウンで行われているフロンターレのサッカースクールが

始まる直前のコートで

スクール生の女の子が一人、リフティングの練習をしていました。

 

やけにコートの端でやっているなと思ったら

防球ネットを挟んだ外側に、その子のお父さんらしき人が。

お父さんはテラスの椅子に腰掛けて

娘の姿をニコニコしながら眺めていました。

 

まだ小さい女の子。

リフティングはなかなか長く続きません。

それでも、お父さんと笑顔を交わしながら

何度も何度も挑戦。

嬉しそうにボールを蹴っていました。

 

何でもない、日常のひとコマだとは思います。

でも、もしかしたら

お父さんに見守られつつリフティングを繰り返したこの日のことを

この子は大人になってもずっと忘れないのかもな

と思えました。

 

 

なんでこんなこと、覚えているんだろう――。

他愛ないけれどなぜか忘れない記憶が、自分にはあります。

河川敷で友達とオーバーヘッドの練習をしたこと。

部活の開始前、チームメイトとクロスボールの練習をしていたら

一本、極上のキックが飛んだこと。

 

もちろん、いいことばかりじゃなく

悲しかったり、悔しかったりした記憶もあります。

小学校から大学までずっとサッカー部でしたが

鳴かず飛ばずのサッカー人生だったもので

派手なシチュエーションの記憶は残念ながら一切ありません。

 

でも、思うんです。

そういう記憶があるから自分はいま

例えば、あともう少し頑張ろうと思えたり

あるいは仲間を信じる気持ちになれたり

するのかもしれないな、と。

常にパワーの源というか

なくなることのない“糧”みたいなものに感じています。

 

もしかしたら、誰にでもそんな記憶があるんじゃないでしょうか。

以前、中村憲剛にこの話を振ってみたところ

彼もやっぱり「ある」と言っていました。

 

何をやっていてもそうかもしれませんが

特にスポーツは、その“糧”を生む力に溢れていると思います。

川崎フロンターレで働いていて、いつも念頭にあるのは

自分がサッカーから“糧”をもらったように

一人でも多くの方に“糧”を見つけてもらいたいな

ということです。

 

 

以前従事していたJリーグの試合運営担当の業務では

次のようなことを思いながら任に当たっていました。

 

例えば小林悠のすごいシュートや大島僚太の見事なパスを見た子が

その真似をしてみて、最初はできなくても

そのうち1回だけ、自分でもびっくりするようなプレーができた。

そうしたら、それはその子の“糧”になるかもしれない。

 

だから、選手たちに力を発揮してもらえるよう

競技に関わる環境を最高に整えたい。

 

観客が“糧”のきっかけになり得る一瞬を見逃さないよう

観戦環境も最高のものにしたい。


“糧”のきっかけを見つけに

一人でも多くの人にスタジアムに来てもらいたい。

 

あるいは、スタジアムで熱く応援した記憶だって

それ自体が“糧”になるかもしれない。

 

それに選手たち自身にとっても

自らのプレーが“糧”になるのかもしれない。

 

 

フロンタウンの業務では、もっと直接的です。

 

最初に書いた女の子の例はもちろん

誰かの、ある日のここでのひと蹴りが

その人にとって“糧”になりますように。

 

だから、来場者が嫌な気持ちになるようなことは

ちょっとしたことでもなくしたいし

また来たいと思ってもらえるような場所でありたい。

 

Jリーグクラブにとって

プロチームは当然大きく輝く“顔”であり

クラブにとってなくてはならない存在ですが

フロンタウンのような、皆がスポーツに触れられる場こそ

クラブの“胴体”として強く、しっかり大きくしていかなければ

と思います。

 

 

結果の見えないことですし

まだまだ足りないことだらけだった気ばかりがしています。

ただ、たった一人でもいいので

“糧”を見つけてくれていたら、幸せです。

 

本日までで、フロンタウンから異動して

また別の業務に就くことになりました。

ご来場いただいた皆さん、支えてくださった皆さん

本当に、ありがとうございました。

 

 

 

フロンタウンさぎぬま 岩永おじいちゃん

(と言っても、今後もちょくちょく遊びに来るつもりです照れ