思い出深きジャパンスネークセンターをあとにし、栃木方面を目指し一路東へ。友人と私、お互い何か言いたげではありますがそこは大人、グッと我慢しこれから向かう先へと無理やり興味を持っていきます。
群馬県太田市から鑁阿寺のある栃木県足利市までは、距離にして10kmほど。県こそ違うものの両市は隣接しており、さらにこのあたりを含む地域は『両毛』と呼ばれ、完全に生活圏が一体化しています。カーナビで県境を越えたアナウンスが流れても、峠や河川など地形的な特徴があるわけでもなく、特に県が変わったというような印象は受けません。
クルマを走らせることおよそ30分ほどで、無事鑁阿寺に到着。そうそう、前記事を含めここまで普通に『鑁阿寺』と漢字で書いてきましたが、これは『ばんなじ』と読みます。真言宗大日派の本山で、足利氏宅跡として日本100名城にも選定されている、なかなかのカオスな特徴を持つ寺院となっています。さらに国宝本堂を擁し、隣接して史跡足利学校もある、史跡のオールスターのような存在です。
とにかくその鑁阿寺に参拝?することにします。
GW中ということで、ささやかながら屋台も出ていました。コロナ禍の今年、ついにこんな光景は拝めなくなり、これが日常だった頃を懐かしく思います。
『密』とはいかないまでもそれなりの賑わい。誰もマスクをしている人はいません。今はマスク着用率はほぼ100%になるでしょう。まさかこんな日がくるとは・・・ いまだに信じられません。
こちらは室町幕府初代将軍足利尊氏公の像。現在は丹波国何鹿郡八田郷上杉荘(京都府綾部市)出生とされている尊氏公ですが、旧来はここ下野国足利荘出生と伝えられてきたことから、この像があるのでしょう。いずれにせよ足利氏所縁の寺院であることには変わりありません。
一通り鑁阿寺を見終わった後、隣接する足利学校跡へ。当時はまだ御朱印を集めておらず、せっかくの訪問なのに、いただくことはしませんでした。いずれまた、ぜひ再訪したいと思える鑁阿寺です。
この足利学校、『坂東の学校』と称され、室町時代から戦国時代にかけては、関東における最高学府であったとのこと。日本史の教科書にも出てきたことを覚えています。
ここも多くの人で賑わい、とても活気があります。
適当に周囲を散策。そういえば昼食がまだだったことを思い出しました。既に14時半をまわり非常に空腹な2人ですが、夕食を豪華にする予定の我々は、鑁阿寺内の屋台で軽く小腹を満たします。当地では有名な『ポテト入り焼きそば』を食べた記憶がありますが、残念ながら味などは全く覚えていません。6年以上前のこと、これは仕方ないでしょう。
時刻は15時前と、日の長いこの季節、まだまだ時間的に余裕はありますが、友人はこれから長野県木曽町へ帰らなければならず、本庄へと戻ることにしました。
本庄市内の爆弾ハンバーグ『フライングガーデン』で予定通り豪華なディナーをいただき解散。ちなみにこのお店、我が地元静岡が誇るハンバーグ店『さわやか』と共通点が多く、何かと比較される存在ですが、個人的にはどちらもズバ抜けているわけではなく、甲乙つけがたいといった感想を持ちました。
今回この回顧録をアップするにあたり、過去の写真を見返すと、今では考えられないくらい『密』であったり誰もマスクをしてなかったりといったものがいくつも出てきます。早く元の生活に戻りたい・・・ 心からそう思っています。







