望月歴史民俗資料館にクルマを置かせてもらい、徒歩で望月城へと向かいます。

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昔ながらの宿場町の面影を多く残す道を、城跡のある山に向かって進んでいきます。今日は海の日、これ以上ないくらいの素晴らしい晴れ間が広がっていますが、それと同時に真夏の日差しが容赦なく私たちを襲います。

戦国時代信濃国佐久郡望月地方の豪族望月氏の拠点であった望月城は、腰曲輪や帯曲輪・空堀等の遺構が比較的良好な状態で保存されています。
しかし、そこに到達するのは一筋縄ではいきませんでした。一応山頂までの道はあるのですが、除草がしてあるだけのほぼ獣道といってもいいくらいの悪路です。さらに傾斜もとてもきつく、私は今まで静岡県内の多くの山城(山中城諏訪原城高天神城など)に登ってきましたが、それらとは比べ物にならないほど大変な道のりでした。

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途中休憩を挟みながらなんとか登り切り、腰をおろします。
城跡からの景色はとても素晴らしく、辛いですが来たかいがありました。

予想外に本格的な登山のようになってしまいさすがに疲労感はありますが、時刻はまだ15時前、次は小諸市にある小諸城へと向かいます。

30分ほどで小諸城に到着。

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日本100名城の1つにも選定され、城郭は城下町よりも低地に縄張りされている独特の構造から、穴城とも呼ばれています。
城跡は小諸市により小諸城址懐古園として整備公開され、園内には小規模ながら動物園や児童遊園地、さらには郷土博物館などの施設があります。

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園内には懐古神社もあり、ここでお参り。

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今日は朝早くから行動しており、山城にも登ったため疲れはピークです。
でもせっかくなのでもう1ヶ所、再び佐久市内に戻り日本に2つしかない五稜郭の1つ、龍岡城五稜郭へと向かいます。函館の五稜郭は幕末の箱館戦争の舞台として全国的に有名ですが、ここ長野県にも地味ながらも健在です。
付近は住宅地で、城跡は佐久市立田口小学校として利用されていました。

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残念ながら城跡の全体像を映すことは出来ませんでしたが、周囲の堀は確かに五稜郭の形状をとどめていました。

これで今日の予定は全て終了し、クルマを停めてある村井駅へと戻ります。
その後塩尻市内のファミレスで夕食をとり解散。
今回は望月町という自分ではなかなか思いつかないような場所に行くことが出来、大満足の日帰り旅行になりました。企画を提案してくれた友人には感謝の気持ちでいっぱいです。