今日、7月2日は、1年の折り返しの日です。

 

えっ、折り返しって、6月30日じゃないの?

もしくは7月1日とか。。。(。・ω・。)ナンデ?

 

だってほら、2月は日にち、少ないでしょ。

1年は365日だし、普通の年なら、7月2日の午後0時が折り返し点になるそうで、

今年は、オリンピックがある、閏年だから2月が29日ある関係で、

7月2日の午前0時が、折り返しになるんだそうです。

 

へ~~、実は、今日の今日まで知らなかった私。

 

今年は、7月1日が月曜日だったから、

今日から下半期だ~~、今日は1年の半分の元旦だ~~って、

昨日は、お酒飲んでた (*^-^*)oオイチー

 

ところが、なんと今年の折り返しは、今日の未明のうちに。

 

世の中は、知らないことでいっぱいなのであります。

 

昨日、.6月30日は夏越しの大祓がありました。

今日、7月1日は、お一日詣りをしてきました。

(15日詣りもしてますよ~)

 

手水舎には、キレイな紫陽花が添えられていましたが、

出来ることなら、斬らないで欲しかったなーと思ったりして。

だって、花を切るということは、花を殺すことだから。

 

拝殿の前には、まだ茅の輪があったので、

何度やってもいいだろうと言うことで、くぐってきました。

 

「水無月に」のところは「文月に」と変えて、お唱えをしました。

 

 

ところで、昨日の夏越しの大祓。

はじめて参加したのですが、なかなか興味深かったです。

神職の方が太鼓を叩いて、祝詞を上げて、

それから参列者全員(18名でした)で大祓詞を読み上げるのです。

 

詞を読み上げてみると、神職の方が唱えるあの読み方が、

非常に理にかなっていることが分かります。

私も出来るだけ、真似をして読み上げたのですが、

どこで息継ぎをすればいいのか分からず、

思わず、水泳の授業を思い出してしまいました。

 

私、水泳の息継ぎが下手くそで、クロールで長い距離を泳げないのです。

息を吐ききる前に吸ってしまって、肺がパンパンになって苦しくなるのです。

その代わり、平泳ぎはめっちゃ得意で、いつまでもどこまでも泳げます。

 

水泳のことはいいとして。

 

大祓詞をみんなで読み上げた後、神職を先頭に、みんなで茅の輪をくぐります。

 

ときおり吹きすぎる風が気持ちよくて、

カンカン照りの暑い日じゃなくて良かったと思いました。

 

今日、神社に行ってみると、

僕の前と、後にそれぞれ一人ずつ、参拝にいらっしゃる人がいて、

あの人も多分、お一日詣りかなぁと思いながら、

すれ違いざまに「こんにちは~」と、ご挨拶。

 

昨日、大祓に参加したこととか、6月後半のこととかを神様にご報告。

7月も頑張ります! とお話ししてきました。

 

建御名方命が主祭神なので、

この神社は龍神様を祀る神社でもあります。

 

そういえば、昔誰に言われたのか思い出せないけど、

僕は「見届ける役」だと、言われたことがあります。

 

さて2024年7月。

何が起こるか、この目で見届けようと思います。

 

小説を書くとき、僕はYouTubeを流している。

音がない方が集中できるのでは? という人もいるけど、

音が全くないよりは、多少の雑音があった方が、僕は集中できる。

 

人間の耳は(脳は)、自分にとって必要な音だけを

選択して増幅して聞くことが出来るという。

 

例えば、駅のホームで音を録音すると、

雑踏や列車の音で、アナウンスの声はほとんど聞き取ることが出来ない。

なのに、実際に駅のホームに立ってみると、

ちゃんとアナウンスの声が聞こえる。

 

これは、空港でも同じだし、道路沿いで録音しても同じだそう。

ある程度の雑音があっても、となりにいる人と会話が出来る。

 

多少の雑音があった方が集中力が増すのは、

これらの現象と逆のメカニズムが働くからなんだろうか?

 

僕のデスクには、パソコンが2台あって、

ひとつはMacで、こっちでYouTubeを流している。

もう一つはWidowsのパソコンで、小説はこっちで、一太郎を使って書いている。

Windowsのパソコンには、IOデータのEX-LD2702Dモニタを接続している。

27インチの割には安価で、視界も広いので重宝している。

 

一太郎の画面も数ページを一度に表示できるので、

ストーリーを確認しながら書くことが出来る。

もっとも、実際に書き進めるときには、

降りてくる物語を一気に書き留めるので、あまり確認はしないのですが。。。

 

YouTubeで流すのは、飛行機のフライト映像とか

新幹線や在来線の特急の車窓、あるいは駅周辺のライブカメラ映像が多いです。

 

ライブカメラ映像は、時々、列車の走行音が聞こえる感じ。

新幹線も、そのほとんどが走行音なのですが、

どうしても富士山周辺や、浜名湖、京都周辺にくると画面を見てしまう。

在来線の特急の車窓(運転席全面映像よりも、実体験に近い車窓がいい)は、

それだけを、いつまでも見ていられるので、

時に小説を書く手が止まってしまう。

 

列車の車内放送や飛行機のタキシング時の放送は、

意識を持って行かれるので、そこは飛ばす。

同じ理由で、歌のある音楽やラジオは聞かない。

 

でも、列車にしても、飛行機にしても

あの映像を撮るために、実際に乗車、搭乗するわけでしょ。

お金も時間も掛かるよね。すごいなぁと思う。

 

 

さて、今日は夏越の祓。

午後から、氏神神社に行ってきます。

「水無月の 夏越の祓するひとは 千歳の命 延というなり」

 

 

今年と来年の夏は、殺人的な暑さになるようです。

 

東日本も、梅雨入り宣言は出ているものの、

文字通りの空梅雨。

 

来襲には、太平洋高気圧とチベット高気圧が日本上空を覆うらしく、

北関東では、日中の気温が40度になる予想も出ています。

 

本来なら、夏至に近い今頃は、

連日の梅雨空で気温も上がらず、

しとしとと雨が降って、盛夏に備えたものですが、

今年、そして来年は、連日の猛暑ならず酷暑で、

水不足が心配されます。

 

昨日、赤羽でも火災がありましたが、

火災、噴火、地震、津波。

こころとモノを備えておきたいです。

 

 

昨日、「オブシディアンの指環」の原型になった

「蟠桃堂の談話室」という作品について、触れました。

 

日の目を見ることはなく、プリンターで印刷された作品は、

大切に私の机の中に仕舞ってあります。

 

そもそも「蟠桃堂の談話室(以下、談話室)」は、どんな作品だったのか。

 

これは昨日も書きましたが、

藤井夢心が、アンバールートを辿ることで日本の本当の歴史に触れ、

蟠桃堂で出会う人たちと共に成長していくというストーリーなのですが、

まぁ、いま読み返してみると、全然、物語になってません。

 

でも、その後の作品の基礎になっていることだけは事実として存在します。

 

まず、オブシディアンの指環(以下、指環)では、蟠桃堂は喫茶店ですが、

談話室では、漢方薬局でした。だから、〇〇堂なんですね。

 

蟠桃堂の蟠桃については、

漢方薬局ということで、なにか不老不死とか、長寿とかのワードで検索して

引っかかったのが「蟠桃」だったと記憶してます。

蟠桃は、伊邪那美命に会いに行った伊邪那岐命が

黄泉比良坂(よもつひらさか)から命かながら逃げ帰るときに

悪霊に向かって投げつけた桃です。

孫悟空が盗み食いしたことでも有名ですね。

 

漢方薬局を描くのに、僕は漢方薬局に行ったことがなかったので、

たまたま東京に行く機会があったので、そのときに老舗の漢方薬局に行きました。

40分くらいでしょうか、ちゃんとカウンセリングを受けて、

調剤していただいて、購入してきました。

 

そのとき、調剤室に実に美しい百味箪笥(ひゃくみだんす)がありまして、

(百味箪笥とは、千と千尋の物語で鎌爺が使っていたあの箪笥です)

そこからいくつもの生薬を引き出して、調剤していくのです。

 

ちゃんとしたカウンセリングを受けたこと、

百味箪笥を見れて、調剤の様子も見れたことは、とても良かった。

 

指環に登場する人物の多くも、談話室には登場します。

まず、主人公の藤井夢心。

指環では、咲弥姫の生まれ変わりとして、勇猛果敢に行動しますが、

談話室では、当初、アトピー持ちのいじめられっ子として描かれます。

いじめていたのは、指環でも夢心のライバルとして登場する花咲心優。

 

蟠桃堂の店主は、天海珀。

かなりの博識ですが、指環では、その役目の多くは夢心に譲る形になっています。

 

それから、蟠桃堂の常連客、木本理砂。

理砂も談話室では、会社勤めに疲れたOLとして登場し、

蟠桃堂にやってきた飛び込みのお客でした。

指環では、ちゃきちゃきのOLとして描かれ、

物語の終盤では、対峙する相手に凜として立ち向かいます。

 

談話室では、夢心の武器は言葉と行動でした。

でも、それじゃ面白くないので(実際、全然面白くない)、

指環では、夢心に超人的な能力を持たせました。

それが、抜群の運動神経。どこまでも見通せる驚異的な視力。

実体として携える天羽々斬剣、そしてオブシディアンの指環です。

 

でも、物語の書き始めでは、夢心に持たせた能力は

指環と運動神経でした。

書き進めるうちに、驚異的な視力や剣を持たせることを思いつき、

剣は指環と共鳴して、その剣先がほのかに光るように描いたのです。

 

夢心が覚醒するときに胸の真ん中で光る白い珠については、

6月7日の「光 それは希望 それは私たちそのもの」をご参照くださいませ。

 

いろんなことが、驚くほど変わりましたが、

変わっていないものもあります。

それは、生きていくことの大切さ。

 

生きるという意志。

 

誰もが生きる権利を持っているし、だれもがそれを妨げてはいけない。

 

誰もが、他の誰とも似ていないし、似ている必要もない。

誰かと自分は違うという多様性を認めることが大切だということ。

 

みんな同じとか、混合することが多様性と勘違いしている人がとても多い。

多様性とは、差別性です。

 

話ずれた。

 

指環の登場人物は、誰もがそれぞれの朱鳥を餅ながらも懸命に生きています。

物語を読む誰もが、生きる力を持っている、そのことに気付いて欲しい。

そんな変わらぬ願いも、強く、強く、込めて書いています。