去年の12月にこんな記事を書いていた。
チョウチョやカブトムシやクワガタ、セミなどの昆虫について、
彼らの幼虫の姿は、いわゆる「イモムシ」だ。
イモムシのどこにも、大空を羽ばたく羽もないし、
木をよじ登る手足もない。
なのに、サナギになると突然、それらしき形が見て取れるようになる。
不思議だなぁ~~って、ずっと思ってた。
そしたら、はせくらみゆきさんという方の
「夢を叶える、未来をひらく鍵」という本に出会った。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20231202/17/frontier1206/40/07/j/o0328046615371960496.jpg?caw=800)
『イマジナル・セル』
昆虫の幼虫がサナギになるとき、
体中の細胞が、いちど全部ドロドロに溶けて、
いわば、完全にリセットされた状態で、羽根や手足、からだの細胞に再構築されて
いくんだそうです。
すごいですね~~。
そして今日は、
いま、僕たちの現実世界でも、このイマジナル・セルが起きようとしてませんか?
というお話し。
いま、世の中では、何か大きな事が起きるのではないかと、
いろんな話題が飛び交っていますね。
確かに、ウクライナとロシアの戦争に始まり、
パレスチナとイスラエル、そこにイランを巻き込まんとする動きがあって、
中国と台湾の間の緊張も、いまだ解けません。
アメリカ大統領選挙の行方も混沌としています。
そして、我が日本。
先日の東京都知事選挙については、
いろんな人が、いろんな想いを抱いていることと思います。
一つだけ言わせてもらうと、
実際に開票作業が始まったのは、午後8時30分と聞いています。
でも、某国営放送は、午後8時ちょうどに当選確実を報じています。
まだ、開票されてないのに、出口調査だけで?
じゃあ、実際の投票はなんなの?
そもそも、出口調査って、そんなに確実性高いの?
これは、僕も実際に出口調査を受けたことがありますが、
ほんとのことなんて、しゃべってません。しゃべるわけないやん。
まあ、でも、東京都知事選挙を通じて、
少しでも、選挙や政治に興味を持ってくれた人が増えたらいいなとは思います。
(特に若い人ね)
それで、いま日本にイマジナル・セル現象が起きようとしてるって話。
日本語は、世界でも類を見ない「母音語」という言語だという話も以前しました。
英語やフランス語、ドイツ語、イタリア語といった主要な外国語は総て
「子音語」に分類されます。
何が違うのかというと、決定的に違うのは、
母音語、つまり日本語は必ずしも主語を必要としないということ。
子音語は必ず、IとかYOUとかの主語を必要とします。
言い換えると、子音語は主語がないと、言葉として成立しないのです。
「私は~」「私が~」が子音語の特徴です。
自分を前面に出すので、ビジネスの場面では自分を主張するのにとても有効です。
だから「日本人は」、ビジネスの場面で「もっと、はっきり言え!」などと
言われてしまうのかも知れません。
でも、この自己主張する時代は、もう終わりです。
私が、私がと、自己主張するだけして、
これは私の者だと、所有権を主張して、富とカネを独占する。
主本主義とはそういうものですが、その資本主義が終焉を迎えようとしているのではないかというのが、私個人の考えです。
つまり、カネと富の概念ががらりと変わる。
言ってしまえば、そんなものに価値を見いだせなくなる時代がくる。
ということは、私が、私がといっている人は、
新しい時代には、そぐわないのではなかろうか?
日本語は「風呂敷」だと、はせくらさんは言います。
いい物も、悪いものも、一旦全部、風呂敷の中に包み込んでしまって、
まぜまぜして、全く新しいものを作り出してしまうのが、日本語であり日本人だと。
なかなか、言い得て妙ですね。
日本語は、自然の音を模倣して出来た言語だと言われています。
(だから口から自然発生する『母音』になっている)
その起源も分かっておらず、世界中のどの言語にも似ていません。
イマジナル・セルが起きるためには、
いったん、世界の総てをドロドロに溶かしてリセットしなければなりません。
そして総ての再構築が始まるとき、
私が、私が、と自己主張ばかりしている人は、
サナギの中で行き場所を失うのはないでしょうか。
なぜなら、再構築をするときには、すべての細胞が協力しなければいけないから。
自己主張をしたり、不平や不満を口にするのではなく、
お互いがお互いを尊重し、譲り合い、それぞれの特徴や長所を生かした世界を
作り上げていく必要があると思います。
互いにいがみ合っていたら、一つのサナギになんか、なれるはずがないですよね。
ましてや、成虫として羽化して、大空に羽ばたいていくことなど出来ません。
もとより、私たちは、互いにいがみ合うために生まれてくるのではありません。
この世界に生を受けて、幸せになるために生まれてくるのです。
本来の目的を、自分の希望を私たちは、知っているはずなのです。
利己ではなく、利他だと、言われてずいぶん月日が経ったように思います。
利他の意味をもっと、真剣に考えて、
私たち日本人が、本当の意味で、日本人に立ち返る必要があります。
自然を愛し、自然を畏れ、そして自然の恵みの中で、自然と共に生きていく。
そこには、おカネも要らないし、物欲も必要ありません。
必要なのは、「みんなで」、「みんなが」
私たちもまた、この大いなる自然の一部に過ぎないのです。
自然の中で、「私が」「俺が」なんて言ってるのは、
人間だけだと思いませんか?
はずかしいですね。
もうすぐ、2024年の夏休みがはじまります。
私を捨てて、わたしたち、みんなの時代がやってきます。