トッケビ、見終わってから
心の半分、ソバ畑に持って行かれてましたが
徐々に正気に戻ってきました。

昔々、竹宮惠子の「地球へ…」が完結した時もこんな感じで宇宙に漂ってました。

あのソバ畑はCGではなく
観光農業の類で本当にあるのが驚きでした。
ソバを作るためでなく
ソバの花畑を見せるために作る。
ソバの売上より花畑見に来る経済効果の方が大きいそうです。
花は長い時期咲いてるわけではないので、
ひまわりとか麦とか育ててると
ネットで記事を見つけました。

キム・シンが殺された時
ソバ畑には、
あの壊れかけの小屋みたいなのってなかった気がするんだけど?
まあ、細かいことは置いておこうっと。

カナダとかロケ地巡りしたくなりましたわ。

人間の人生は四回しかないのに、
無に帰ることを選択しなかったキムシン。

「ウンタクと生きるほんの少しの時間」ために
「永遠に死なない」ことを選択したことが
ドラマ的には「愛!」なんだけど、
自分の身をキムシンに置き換えて想像すると
ゼログラビティの「宇宙独りぼっち」以上の
孤独感がヒタヒタとやってきます。

きっと神様は慈悲深いから
どこかでキムシンを人間に戻してくれて
2人で記憶を消すお茶を飲んで
天国に帰る日が来て欲しいと考えます。
ウンタクもトッケビにしてほしいとは考えられないですね。

この世での命に限りがあるのも
生まれ変わる時に前の人生の記憶が消えるのも
「神の配慮」という台詞は頷けます。

同じ時に生きてたキムシンと死神は、
キムシンは900年この世でトッケビになってずーっと生きてて家臣を見送っていて
死神は600年地獄にいてから死神になって
亡くなる人をあの世に送る仕事をしてます。

そうそう、死神がキムシンに
900年前は悪かったと謝るシーンとか
人って一つ悟るのに
900年必要だったりするんだと思ったり。

そこらの時間設定が、果てしなくて
現実的ではないが、心漂わせてしまう原因のひとつになっています。

「待つ」という時間。
「耐える」という時間。

前世やそのまた前世でも
出会ってる身近な人達との縁や
解決出来ないままのカルマに
自分自身もまみれていて
気が付かずに
同じことを繰り返しているのかもしれないけれど
なかなか
お悟り出来ないままで
神様に申し訳無いと思いつつ

神様もこれまた果てしない長い時間を
待って耐えているんだなあと感じ入り

旦那は今頃何してるんだろうか?
もう生まれ変わってるんじゃないだろうか?
とか
魂は永遠なんだから
旦那のことはもういいんで
新しい魂の伴侶を探してもいいかもしれないとか
妄想も加わりつつ
私の心は、再びソバ畑に漂っていくのでした。