話のはずみに、
過去に悲しかった記憶ランキングをつけてみた。
第一位
盲腸になり、母乳が止まったこと
第二位
小学生の時、初めて買ってもらったシャープペンシルが行方不明になったこと
こうして文字にすると、実にたいしたことない。
例えば、旦那の死んだこと、の方が、起きたこととしては大きいのに、あれは、ビックリしただけでなく、即座に、やらねばならないことが怒涛のように押し寄せてきて大変だったので、悲しくなかったのだった。悲しむヒマがないというより、なぜか、悲しくなかった。愛してなかったのかも。
娘が高校へいけなくなったことや退学したことも大きいのだけど、何が起きたのかどうしてなのか何をしたらいいのか動揺してそのまま現在に至るのでまだ悲しむ所まで来ていないのだった。泣きながら娘の夏の制服にアイロンをかけたが、悲しいというよりは不安に押しつぶされそうで泣いたのであって、悲しいのとは違う。
悲しいという感情は、悲しめる環境にないと発生しないのだろうか。
母乳が止まった時は、自分はベッドの上ですることがなかったので悲しめる時間があった。
シャープペンシルの時は、探しても探しても出て来なくて泣いて泣いて泣いて探した。
色も形も手触りも覚えている。
あの頃の自分の一番の宝物だったから大事件だった。
他にも失くしたものはたくさんある。
告白してフラレることはあっても
悲しいランキングには上がってこない。
もとからいじめられっ子でブスだったので
フラことは想定内だったからだと思う。
悲しいという感情は不思議だ。
発生したことの大きさと比例していない。
ああ、悲しいだけではない。
嬉しいことも
楽しいことも
発生したことの大きさと比例していない。