少し演題の感じを変えてみましたが、広島県向けの政策提言です。
昨日の広島県向け政策では、
「この地では、表の政策と裏の政策とを使い分けた方が良さそうだ。」
と、私は述べましたが、それを別の言葉で言うとするならば、
【声なき声に、言葉を与える政治活動】
が重要だ、と言い換えることが可能だと思います。
(まあ、これは広島に限ったことではありませんが・・・)
左翼系のマスメディアの影響からか、一部の意見がまるで全体の意見であるかの
ような、誤解が蔓延している、ある意味での象徴的な地域のように、私は思えます。
一部の意見につき従っている、声を発しない多くの方々に、
きちんとした説得力のある、反対意見を述べるだけの、
見解と勇気を与える言葉を、与えられるだけの活動が、
この地には特に必要だと思うのです。
広島が変われば日本は変わる・・・私にはそう思えてなりません。
その第1弾が、この平和運動に向けての試みです。
幸福実現党の、国防に関する政策が、『表の政策』です。
広島は、日本的平和運動の、精神的な象徴の地であります。
反戦そして、なにより反核の地ですね。
私は平和主義者ですし、核兵器の根絶にも大変な関心を持つものではあります。
しかし、そんな私が見ても、広島の反戦運動・反核運動は、とても問題に見えます。
それは、広島そして長崎型の反戦・反核運動が、
事実上の 【反米運動】 になっているということです。
戦争反対・・・結構です。
核兵器根絶・・・大いに結構です。
理念としては間違ってはおりません。
しかしそれは、=反アメリカとは、ならないはずなのです。
アメリカを非難し、アメリカが核兵器の過去の使用を悔い改め、
アメリカからなくしてしまうことが、=絶対的な平和の創造にならないのです。
なぜなら現に、地上はあらゆる国々で戦争は起き、また昨今では、
我々日本周辺の東アジアが、世界で最も軍事的緊張の高い地域になりました。
そして、現に核兵器を持ち、現実的に今の日本に、
核兵器を搭載したミサイルを向けている国が、
中国と北朝鮮という2カ国あるという現実を鑑みるにあたって、
今の広島型平和運動は、現実性を全く失っているのです。
広島の方々は、
現実的に、平和を実現しようとしているのではないのでしょうか?
現実的に、核兵器のない世界を実現しようとしているのではないでしょうか?
現実的にそのような、理想的社会を実現しようとしている、広島の方々の活動が、
方法論において、非現実的であるという矛盾に、気付いていただけなければならないのです。
でなければ、広島の悲劇は、再び繰り返される危険があるのです。
具体的には、
広島市民は、今ある核兵器全てに、反対の声明を揚げるべきです。
つまり、中国に対しても、核の使用をやめるように、訴えるべきです。
「中国はまだ、核兵器を使用していない。」
と、おっしゃる方もいるでしょう。
しかし、中国は核兵器を使っています。ウイグル自治区にです。
ウイグル自治区には、中国の核実験で被爆した人、亡くなった人は多数いるのです。
それが現実です。
「中国にそんなことを言えば、攻撃されるかも知れないではないか。」
そういった意見ならば、言わせないだけの国防の必要がある・・・ということなんです。
平和社会というのは、夢想の世界に創るものではありません。
現実的にこの社会に作り出すものですから、理念において、方法論において、
非現実的なものでは、決して平和という現実は訪れません。
かつての日本の戦争行為を戒める発表を、何度も何度も広島から私は聞きました。
ならば、かつての日本が行ったような、今の中国の卑劣極まりない行為は、
時代は変わっても、当然、広島の方々は許してはならないはずです。
広島そして長崎の方々には、少なくともそれを言う資格があるし、
それを言う使命があるのです。
そしてかつての日本の行為が、卑劣極まりないものであり、
被爆され、空爆されることで止ることができたと、もしも思っているなら、
今行われている中国の行為は、何が何でも、それこそ、
軍事的に封じ込めてでも、止めさせなければならないことではないでしょうか。
彼らにも、人類としての罪を起こさせてはならないのです。
広島型平和運動=反米運動ではなく、
本当の意味での平和運動、核兵器根絶運動になるべく、
適切な言葉を、我々は吟味しなくてはなりません。
広島の幸福実現党の活躍が、新時代の平和運動の幕開けとなることを、
私は願ってやみません。