平凡な毎日からの新しい生活

私たちは運よく今年から不妊治療に保険が使えるみたいなので、IVFをすることにした。

 

そして早速病院に電話。そしたら最短でもアポイントは2か月後。

 

 

?????

 

私の頭に廻ったのは「先生と話すのが2か月後で、そこからいろいろ準備したらIVF始めるときには40歳?!lk;fか」

 

そうだよな、そんな早くできないよな。

私は一瞬それについてへこんだが、IVFをしたい人は世の中にたくさんいるし、私だけじゃないので、そのリストで待機することにした。

 

しかしその待っている間に、何かできないかと思い、その思いを病院へ伝えると、待ってる間にIUIできますよと言われたので、すぐさまIUIをやると返事をし、4回目のIUIを行うことにした。

 

4回目のIUIの期間の間に、病院から連絡が来て、2か月かかる先生とのアポイントメントを1か月早めることができるという連絡が来たので、私たちはそれに同意し、スケジュールを早めてもらった。

 

今まで自分は簡単に妊娠できると思っていたから、今みたいにこう焦ることとなんてなかったのだけれど、実際何度もIUIやったり、年齢的なアベレージとかいろいろ重なった時に、自分はこんなにも焦るんだと思った。

 

血液検査で病院に通えているときは時間がたつのが早いのだが、妊娠検査できるまでの時間がとても長く感じ、妊娠検査薬を使用し、陰性になってから生理が来るまでの時間がとても地獄のように感じるのだ。

 

ということで、引っ越し後に、IUIを行ったのだが、今回もまた陰性。

 

日記をまた再開し始めたのは、現在IVFのIUIを行い陰性でへこんでいるので、何か気を紛らわさなければと思いまたここに来ました。

 

今回は前回飲まなかったステロイド系のサプリも毎日服用し、食生活も改善。

それでも結果は陰性。

 

私の体感的には、もはや着床すらしていない気がする。

 

今回のIUI時の卵の数は1つ。

 

まぁ、奇跡に近いんだよな。

 

しかし、IVFに挑戦することができることに感謝したい。

 

今回は結構大きく凹みがあったけれど、メンタルが弱まっていると不妊治療がうまくいかないと聞いたことがあるので、少しずつ自分のメンタルをコントロールできるようにしようと思う。
 

引っ越しも落ち着き、優雅に過ごしていた時。

私はソファーに座りながらSNSを見ていた。

 

この時私は妊娠をあきらめないといけないと思い、人間関係のリセット()やそれに関するものを見ないようにしていた。

 

気分転換にドキュメンタリーを見たり、映画をみていたのだが、たまたまそのテレビ番組に出ていた人たちが不妊治療をしているのを目にするのであった。

 

そして嬉しいことに彼女たちは不妊治療に成功し、現在妊娠中とのことだ。

 

私はその記事を見た時、とてもうれしかった。彼女は私のすごく好きな女優で、彼女も私と同じ戦いをし、それに勝ったことに関して本当に誇りに思った。

 

しかしそれと同時に突然涙が止まらなくなった。気づいたら私は声を出し大声で泣いていた。

それに気づいた旦那が駆けつけてきてくれて、しばらく困惑した様子で私の背中をさすっていたのだが、あまりにも私がひどく泣いている様子を見て、旦那がこう言ったのだ。

 

「不妊治療したいね?」

 

なんでわかったんだろう。

でもこの人はいつもそうだった。私が何も言わなくても私が何を考えているのかわかることが多かった。

 

私は「でもお金かかるし、できないじゃん」といった。

 

まあ現実は甘くない。

 

私が住んでいる地域では人工授精はなんとか払える範疇だったけど、体外受精は破産レベルの金額なのだ。

 

私も冷静になってから不妊治療ローンや、保険がないか色々調べた。

そしたら旦那が保険会社に連絡したら、今年から不妊治療に保険が適応されるとの情報を手にし、すぐに保険を変更してくれた。

 

なので、私たちはここからIVFを検討し始める。

前回の記事に続き、自分は妊娠経験があるのでIUIですぐ妊娠すると思った。

なので、薬の影響か、精神的にはゆらゆらしながらも、余裕があったのかもしれない。

先生に勧められたサプリメントの中に、日本では入手困難になるステロイド成分のものがあった。

私はそれについて一生懸命ググり、これは任意なのでやめておこうと決め、それ以外のサプリを接種することにした。

 

そして2回目のIUI陰性。 3回目のIUIも陰性。

 

私たちが行った不妊治療では保険適応がなかったため、結構な金額だった。

なので、私たちは3回を目途にして不妊治療をあきらめなければならなかった。

 

こうして3回目が終わり、不妊治療に終止符を打たなければならなかったのだが、この時期に同時に不動産をチェックしていて、タイミングよく3回目のIUI陰性のタイミングで私たちは違う人生を選択しようとし、家を購入することになった。

 

家の購入に関しては、ま他別に話そうと思う。

 

そして私と旦那は新しい家で二人の人生を始めることになった。

時は2023年。 私たちは一時帰国後にゆるりと妊活を始める。

しかしお互いの認識がかみ合っておらず、私は妊活=不妊治療、彼は妊活=精子チェックと思降り少し口論となった、しかし結果的には不妊治療クリニックへ行くことになるのだが、そこからが色々と大変だった。

 

私は元々ヘビースモーカー。

アメリカに来るまでに一応禁煙に成功するのだが、あるきっかけをもとにまた喫煙者に戻ってしまう。

しかし妊活を始めるにあたってまた禁煙に成功。

なぜこれを書いたかといえば、これから私はIUIを4回行うことになるのだが、39歳手前にして今まで喫煙してきたことに後悔をするからである。

 

今もし私が若いころの自分にアドバイスできるのであれば、私はこういうだろう。「タバコを止めるか、卵子を凍結しなさい。」

 

今まで過去に妊娠経験はあるが、出産に至らなかったことがある。しかし妊娠できているのでIUIを何回かすれば私は妊娠できると思っていた。

 

病院でお互いのチェックをするのだが、旦那は何も問題はない。私はもうすでにこの段階で卵子の数が大分少なくなっていた。

 

一応AMHの数値は悪くはないのだが、実際ウルトラサウンドや血液検査などから示されるものはあまりいいほうではなさそうだ。

 

では簡単にアメリカでのIUIの話をしていく。

 

まず先生に診察をしてもらい、そのあと数回血液検査をし、IUIを行うのだが、人生初めてのIUI。

処方箋などがとても不安だった。というのは、私は日本人ですから、アメリカの病院で処方される薬で大丈夫なのかがとても不安だったからだ。

 

しかしこれもなんだかんだ慣れていく。

 

また、IUIの二日前に自己注射を行うのだが、それも最初はとてもビビっていたけれども、そのうち慣れていくのだ。

 

 

  少し持ち返してきた

 

少し気分が持ち返してきたところで、ブーストをかけるために自分に刺激を与えるべく、彼と出かけることにした。

 

たくさんの紙にいろんな行き先を書き、それをおみくじ形式で選び、行き先を決めようと思う。

 

私たちが引いた紙は「ドライブで新しい場所をみつける」。

 

また、ドライブ中も右か左を紙で決めるというなんとゲーム的な感じで道を進んでいくスタイルを楽しんでみることにした。

 

そしたら運よく、いつも行かない場所へとそのおみくじ的なものが私たちを誘導してくれ、ロシアかウクライナかのスーパーマーケットを見つけてくれた。

そしてそのスーパーに入ると、もうそこは完全にアメリカではなくロシアの空気で、異国の地を楽しむことが出来た。

 

しかし私は無知なので、ロシアの方々がお魚を食べることを知らずに、私はそのスーパーにお魚がたくさんあることに感動していた。

 

今回は買わなかったが、次回は買ってみようと思う。

 

少し気分を持ち返してきた。大丈夫私にはできる!

 

  書き出してみる

 

事情があってまだまだ凹み時期から回復できない私はもう食べ放題でネガティブ三昧。

彼が見かねていろんな場所へ連れてってくれるのだが、こればかりはどうしても自分の力でもどうにもできないのが現状なのだ。

 

何年に一度かこのような時期が来るので、そのために自分なりに書き出してみようと思う。

 

まずなぜホームシックになるのか。

 

おそらくここだろう。

一番の問題はなぜ自分がホームシックになるのか。

そのきっかけは何か。

 

きっかけは自分でもすぐにわかる。

例えば体調が悪かった時や、精神的に参ってる時。

多くはすべての生活の違いの現実を見るというか、今までの生活してきた環境の違いから少しずつ適応していかなければならないのに、それができないときがあること。

 

人には誰だって弱ってる時期がある。

なので、それは仕方ないことかもしれない。

 

しかし思っているだけだとストレス発散できないので、せっかくだからここに書いてみる。

 

まずトイレがすぐ壊れる。

そしてボタン一つでお湯が沸かない。

シャワーに入ってる時に突然水になる。

簡単に病院へ行けない。

外のトイレが汚い。

レストランで出されるコップが臭い。スプーンやフォークが汚いのでふかないといけない。

車がないと一人で出かけられない。

業者をあまり信用できない。

 

まぁこんな感じ。

正直調子の良い時はスルー出来る出来事だ。

 

しかしトイレになれるには本当に時間がかかった。

 

良い部分も書き出してみる。

 

まず自由。

人の目が気にならない。

ジャンクフードたまに食べるととても美味しい。

自然が多い。

部屋が割と広い。

流行りのものが割とすぐ手に入る。

 

頑張って書きだしてもやはりネガティブなものよりポジティブなものを多く書けない。

それはそうだろう。今は落ち込んでる時期なんだから。

 

 

  何年かに一度の凹み時期

 

何年い一度かとてつもなく凹む時期がある。

だいたい海外に在住しているほとんどの人が経験する「日本帰りたい病」だ。

 

ふと何かをきっかけにとてつもなく日本へ帰りたくなる。

しかしすぐにどうこうできるわけではなく、時間が経過するのを待つほかない。

別に正直すぐにチケットを買って日本に行くことが不可能ではないが、この時期に入った私は行動力と体力がとてつもなくなく、まったくもって重力に逆らえない。

 

こうゆうときに考えるのは毎回くだらないこと。

例えば、必死に日本食を作り、どこでいい日本食が買えるか、どこでいい日本のものが買えるかと考えていると実にくだらないと思ってしまう。

海外にいて、なるべく日本のものを食べたくなったり、どうしても日本のものじゃないと体が受け付けなかったりする身の回りのものに関しての柔軟性がとても低くて、その自分に飽き飽きしてしまうことすらある。

 

せっかく海外にいるのになぜ日本と同じような生活を追い続けているのか、そんなに日本にしがみつきたいのであればもういっそのこと日本へ帰ればいいじゃないかと。

 

そんなことばかり考えてしまうのだ。

 

それにこれも考える。

日本に住んでいたころの暮らしを考えるとボタン一つでお風呂が沸き、ボタン一つで蛇口から温かいお湯が出てくる。そしてエアコンの機能や加湿器、空気清浄機。

そして交通の便がいい都会にあるお店や、数々のいろんな遊ぶ場所。夜中に外を歩けたりなど。

 

例を挙げるときりがない。

 

こちらでの生活とは全く違い、日本での暮らしがとても住みやすかったことを思い出してしまい、現実とのギャップを埋められないことがたまにあるのだ。

 

しかしこちらにもとても良いことがあること、そしてそれが好きでここにいること。

それを忘れないようにしなければならない。

 

しかしたまにはこのような日があるというのは、それは私が母国を忘れていない証拠の一つであるということでもある。

 

 

  1日のルーティーン

 

6時起床、眠い目をこすりながら洗面台で歯を磨いて顔を洗う。そしてキッチンへ向かい、コーヒーまたはミルクティーを作る。

飲み物を持ったまま、仕事部屋へ向かい、動画を見ながらメイクをし、身支度を整える。

 

身支度が終わったら、またキッチンへ戻り朝食を作り始める。

朝食が出来たらTVを見ながら朝食を食べ、8時から仕事を始める。

 

だいたい12時前後に仕事を終える。

 

そしてランチを作り、彼とランチを一緒に食べ、食べ終わったら片づけを始める。

 

うちは夕飯が早いのでランチ後は少し休憩して、それから夕飯の準備を始める。

夕飯の準備が出来たら二人で夕飯を食べ、そのあとはクッキーなどを食べながら彼とゲームをし、それを楽しんだ後はシャワーへ行き、ベッドに入る。

 

基本的な一日のルーティーンはこんな感じ。

 

休日はその日によるが、出かける日もあれば出かけないでゴロゴロしてる時もある。

 

コロナが始まってから家にいることが多くなった今では、家で遊ぶことが基本となったが、もうだいぶ通常の日に戻ったので、たまに友達とダブルデートしたり、彼とデートをするようになった。

 

 

 

  自分を貫く

 

今までの私は周りの人の気を使ったり、必要以上に自分が回りからどう思われているか気にしていたために非常に生活するうえでストレスを抱えることが多かった。

これはきっと過去にある嫌な思い出などが作り上げたのだろう。

なので、いかに周りに迷惑をかけないか、いかに毎日笑顔でいるかということを日々考えていた。

そのためいろいろなことを試した。例えばヨガをやったり、メンタルにいい音楽を聴いたり、カウンセリングを受けてみたり。

本当にひどい時は精神科にお世話になることもあった。

しかし一向に良くならず、どんどん人を信用できなくなり、結局友達も少なくなり、一人で過ごすことが増えたのだ。

 

しかし年齢とともに自分の抱えているものから徐々に解放され、ついには日本をでて、アメリカで住み始めたとたんそれはよりいい方向へと改善していったのである。

 

アメリカには日本では手に入らないような不思議なサプリや、日本では処方箋が必要な薬などが薬局で手に入る。

そして私は日本のニュースで日本でのCBD解禁の情報が耳に入ってきたのだった。

もっとも私は違法薬物やそっち系のものにはまったく興味がない。

しかし説明をいろいろ調べてみると、ちゃんとしたものであれば大丈夫そうだった。

なので興味も少しあったため、CBDを試してみることにしたのだ。

 

今までいろんなものを試してきたのだが、これが一番自分に合っていると思ったのだ。

そしてしばらく私はCBDを使い続けた。

私にとって良かった面は、生理前のイライラ、PMS関係がだいぶ改善された。

それは私にとってとても大きな効果だった。

 

しかししばらく使っていてふと思った。

私はずっとこれを使い続けないといけないのか。

そう思い、しばらくやめてみることにした。

 

そしたらやはりイライラ、ニキビ、PMSの症状が戻ってきてしまった。

でもなぜかイライラしているときの自分も嫌いではなかった。

 

「イライラしたっていい、それもまた自分じゃないか」

 

確かにイライラしたりしたら人に迷惑をかけるかもしれない。

生理だって重かったら出かけるときに支障をきたすかもしれない。

ニキビができて化粧がうまくいかなくてテンションが上がらないかもしれない。

 

でも本当はそれが普通の人間なのではと思ったのだ。

 

純粋に極度な無理をしなくていいのだ。そう自分に言った。

 

そしたらそこから自分を許すことができ、物事がうまくいき始めた。

 

 

 

 

  周りからの視線なんて気にしない

 

アメリカに住んでいると自由だと感じることが結構ある。

それはいくら派手な格好をしても誰も何も言わないことだ。

しかもどっちかというと褒めてくれる。

 

こちらに来てから一つどうしようかなと思ったことの一つに美容院というのがある。

 

そう、まず英語が話せない、また薬品との相性や、値段、いろいろなハードルがある。

なのでセルフカラーをしはじめたのだ。

まずは薬局で簡単に手に入るブリーチやカラフルなカラー。

理想はアッシュ系のカラーだが、ここはアメリカ、きっとアメリカに来た人は一度は経験するであろうカラフルなヘアカラーに挑戦してみようと思ったのだ。

 

きっかけは白髪染めだったのだが、結局ど派手なカラーに挑戦することにしたので、薬局にカラー材を買いに行く。

 

そして出来上がった派手カラー。

どこに行ってもみんな褒めてくれる。

きっとこの髪の毛の色を日本でしていたら周りから変な目で見られたであろう。アメリカのいい点は、容姿や外見に関して、周りの目が気にならないというところだ。

 

周りの目が気になって過ごしにくい毎日を過ごしていた私は、ここでこの国のすばらしさに気づく。

しかしいくら自由だからといっても自由にできる分、自分の身は自分で守らなければならず、自立している人が多いのは確かだ。

 

話は戻るが、先ほどは薬局でヘアカラーを購入することについて書いたが、慣れてくると専門店へ行き、日本の美容室で使われている薬剤を個人で購入することが出来るのだ。

ある程度自分で髪染めについて調べることが出来れば、髪の毛へのダメージが少なく、サロンと同じクオリティの商品を使うことが出来るということだ。

しかしそれも自己責任てきな部分があるので、私が初めてサロン用の薬品を使うときはこの薬剤を使って髪の毛が溶けても仕方ないという覚悟を持ったうえで使用した。

しかし思ったよりうまくいったので、薬局で買うヘアカラーではなく、今後は専門店に行って買うことにした。