Aloha to Someone,
Be in the Present.
「いま」って
今読んでいる本たちや画面ごしにおしえてくれる、マインドを越え生きている人達がいう、「いま」ってわたしの中のどれのことなんだろう。
わたしはその強力な場所といわれる「いま」に深い関心をもっている。
よく目で読み、心で唱え、口に出したりする言葉だけれど、「いま」は知らない。
いま、いくね
いま、電話するね
いま、送るね
いま、たのしいね
マインドで繰り返す「いま」のマスプロダクションによって、わたしはわかっていると思い込んでいる。他にも思い込みはあふれるほどあるけれど、「いま」だけははっきりと人生かけて知るべき秘密の場所だと気付きはじめた。
その関心は、ある時期にじわりじわりと見逃せなくなっていた。それはこの自分の中にいるとてもしつこい作られたキャラクターに深く、つかれきったからである。自動再生されすぎて自分だと思い込んだ自分。真のしあわせの感覚を探るとともに、無理やり動かそうとする何かが完全に邪魔になり切り離したい欲がでた。
ただの日常のつかれではない。ひどい脱力感のある絶望的なつかれの連鎖だった。
何年もの間、正しいと思っていたその思考は気付かれないわたしのなかで喜んで繁殖し、大きな生き物へと育っていた。それはわたしを装うキャラクターであり、マインドである。育てたのはこのわたしのマインドであり、わたしはそれによって深く苦しんだ。
ひどい疲労は、その架空の私が驚き招いた肉体的なリアクションだと思う。何年もこの肉体に住むために重ねて導いて悲しみや苦しみを沢山経験してドラマチックな展開の中でいいキャラクターをつくりそれになりきり最高にたのしんでいたマインドは、急な生命の危機を感じ、ひどい疲労という最後のドラマを生んで、演じさせようとした。
わたしのマインドはとても根強く、完璧なキャラクターを作り出していた。愛や幸福からはなれた感情の世界へと引きずりこみ肉体という物質的な痛みによって「あなたの痛み」「あなたの苦しい世界」のあなたになれるため深い痛みを生んだ。
「あなたもいなければ、わたしもいない。肉体もなければ、モノもない。目の前の見えてるものはあなたの目でみてない。意識の感覚で見ているだけで、「あなた」が見ていると思い込んでいる。目を閉じた時に聞こえる声や感じるものはカミそのもの。感じ取れる存在すべてはカミそのもの。」
もしこのすべて、この心を中心としてそこから広がるすべてがひとつのカミの創造した世界で、わたしと思い込んでいるカミのわたしが経験したい何かを解決するためだけに思考(マインド)のツールを使えれば奇跡のクリエイティビティを次から次へと目撃して体感できる感覚のリアリティーのみになると気付いた。
わたしはいつもそこにあったその奇跡のクリエイションのリアリティー感覚にもどり、社会に作られた架空のキャラクターではなく、生まれた感性と特徴そのものというキャラクターの神感覚でかるく生きれると感じている。
まだマインド剥がしのプロセスの真っ最中であるが、このday by dayの自然に生まれる気付きたちが「いま」= 神のリアリティーへ近づいているのを感じている。
Be free from your Mind,
Fly to Love,
From Free Mind ![]()