外務省が「反日デモ」に注意喚起--18日は特に慎重な行動を、19日以降も注意
外務省は同省のホームページ上で、「中国全土:最近の日中関係の動きにかかる注意喚起(その3)」を掲載し..........≪続きを読む≫
他国が反日を行うのは、我々が組し易しと思われているからに他ならない。
領土問題は領土の問題のみならず、憲法の問題に起因するとある議員は言っている。
私は、実に正し意見だと思う。
力を持たずして、意思を通すことは適わない。
話し合いについても、きまった約束事を履行するのは『 己の利に繋がる 』 か 『 約束を違えれば己の不利 』に繋がるかがあるからであり、守ることを良しとする人間的感覚は国家同士の場合は通用しない。
言葉に意味合いを持たす為には、その後の行動で示さなければ世の中を納得させることは難しい。
その前に言葉は全能ではなく、生きる為の1つの手段でしかないことを忘れてはいないだろうか?
言葉の話から少し戻そう、憲法とはその国の思想や信条・ある種の哲学を言語化したものと捉えることが出来る。その上で、守るべき事柄や規制すべき細かいことは『法律』で対応することが王道といえる。そうした、国に住むものの思想信条は、その国に住むものがより良い生活をする上で暗黙のうちに守るべきものであり、逆に言えばその暗黙のルールはその国の国民を守るものだといえる。
しかし、拉致被害者問題然り、一昨年の尖閣漁船衝突事件を見るに、今の憲法は日本と言う国を守ってはいないのではないだろうか。逆に、憲法自身が時に国として取るべき行動を制限させその国やその国の国民を縛っていはしまいか?
そうした60余年の積み重ねの上に引き起こされたのがが、この三年間続いている 北・西・南方の問題であろう。本来は、他国がなんと言おうとも、自身がやるべきことをすろるためには覚悟を決めればいいだけだ。しかし、教育の教材からして他国に配慮をする有様。こうした事が当たり前となってくれば、今我々が経験していることに繋がるのである。他人は自分を映す鏡、他国がああした行動に出るのは我々を軽視しているからに他ならない。では、何故軽視されるか・・・・・言わずもがな・・・・・危ういバランスの上に保たれてきた均衡が、愚かな国の舵取りを期に崩れたからである。
この3年一体何が起こったのか・・・、
現政権は国防・抑止力を軽く考え日米関係をボロボロにし、自国の保安庁の船に他国の船が故意に衝突をしても無かったような顔をし、自国の農業が疫病で苦しんでいても腰が重く、ましてや数千年に1回の大震災の復興はおざなりにし、原発事故の対応は後手後手以上に最悪で、その後起こった台風災害も目を向けず、円高で苦しむ国内産業を無視し続け、国内の力が衰えている時に海外と自由競争をする為のTPPなどとのたまいあまつさえ増税を推し進め、自国の象徴を他国の長に蔑まれても強く出ることもせず、北方はおろか西方・南方の自国領土すら守ろうともせず、他国に連れさらわれた自国民をないがしろにし、他国に進出した企業が反日の名の下焼き討ち・強盗にあっても遺憾の意しか言えず、その上混乱している中で自国の言論の自由に抵触するような法案を閣議決定する始末、それよりもやるべきことがあるはずで国の予算を執行する為の特例公債方を通さなければ大変なことになる。これでも、まだまだ書き足りない位だが・・・・。
事ここに至り、今一度日本と言う国が真の国として自立し、同盟国とも盟友として対等に付き合うことが出来るように、また他国と対等に交渉できるようになる為に何をすべきか考えるべきではないだろうか。
その中で、『 戦後レジームからの脱却 』を訴えてきた人が再起しようとしている。
近代史を冷静に、証拠に基づいて見返そうという動きもじわじわと浸透してきている。
自分の国が、どの様な人々の思いの上に成り立ち、どの様に進んできたのかそこから再認識するのはどうだろうか?明らかに大きな分岐点に、我々は立っている。より良い選択をする上で、過去を参考にすることは大切だと言えよう。
何故今、この様に面倒な話をするかといえば他国の振る舞いを見ても、我々はあまりにも隣国などからぞんざいな扱いを受けているのは明らかだからである。
外務省は同省のホームページ上で、「中国全土:最近の日中関係の動きにかかる注意喚起(その3)」を掲載し..........≪続きを読む≫
他国が反日を行うのは、我々が組し易しと思われているからに他ならない。
領土問題は領土の問題のみならず、憲法の問題に起因するとある議員は言っている。
私は、実に正し意見だと思う。
力を持たずして、意思を通すことは適わない。
話し合いについても、きまった約束事を履行するのは『 己の利に繋がる 』 か 『 約束を違えれば己の不利 』に繋がるかがあるからであり、守ることを良しとする人間的感覚は国家同士の場合は通用しない。
言葉に意味合いを持たす為には、その後の行動で示さなければ世の中を納得させることは難しい。
その前に言葉は全能ではなく、生きる為の1つの手段でしかないことを忘れてはいないだろうか?
言葉の話から少し戻そう、憲法とはその国の思想や信条・ある種の哲学を言語化したものと捉えることが出来る。その上で、守るべき事柄や規制すべき細かいことは『法律』で対応することが王道といえる。そうした、国に住むものの思想信条は、その国に住むものがより良い生活をする上で暗黙のうちに守るべきものであり、逆に言えばその暗黙のルールはその国の国民を守るものだといえる。
しかし、拉致被害者問題然り、一昨年の尖閣漁船衝突事件を見るに、今の憲法は日本と言う国を守ってはいないのではないだろうか。逆に、憲法自身が時に国として取るべき行動を制限させその国やその国の国民を縛っていはしまいか?
そうした60余年の積み重ねの上に引き起こされたのがが、この三年間続いている 北・西・南方の問題であろう。本来は、他国がなんと言おうとも、自身がやるべきことをすろるためには覚悟を決めればいいだけだ。しかし、教育の教材からして他国に配慮をする有様。こうした事が当たり前となってくれば、今我々が経験していることに繋がるのである。他人は自分を映す鏡、他国がああした行動に出るのは我々を軽視しているからに他ならない。では、何故軽視されるか・・・・・言わずもがな・・・・・危ういバランスの上に保たれてきた均衡が、愚かな国の舵取りを期に崩れたからである。
この3年一体何が起こったのか・・・、
現政権は国防・抑止力を軽く考え日米関係をボロボロにし、自国の保安庁の船に他国の船が故意に衝突をしても無かったような顔をし、自国の農業が疫病で苦しんでいても腰が重く、ましてや数千年に1回の大震災の復興はおざなりにし、原発事故の対応は後手後手以上に最悪で、その後起こった台風災害も目を向けず、円高で苦しむ国内産業を無視し続け、国内の力が衰えている時に海外と自由競争をする為のTPPなどとのたまいあまつさえ増税を推し進め、自国の象徴を他国の長に蔑まれても強く出ることもせず、北方はおろか西方・南方の自国領土すら守ろうともせず、他国に連れさらわれた自国民をないがしろにし、他国に進出した企業が反日の名の下焼き討ち・強盗にあっても遺憾の意しか言えず、その上混乱している中で自国の言論の自由に抵触するような法案を閣議決定する始末、それよりもやるべきことがあるはずで国の予算を執行する為の特例公債方を通さなければ大変なことになる。これでも、まだまだ書き足りない位だが・・・・。
事ここに至り、今一度日本と言う国が真の国として自立し、同盟国とも盟友として対等に付き合うことが出来るように、また他国と対等に交渉できるようになる為に何をすべきか考えるべきではないだろうか。
その中で、『 戦後レジームからの脱却 』を訴えてきた人が再起しようとしている。
近代史を冷静に、証拠に基づいて見返そうという動きもじわじわと浸透してきている。
自分の国が、どの様な人々の思いの上に成り立ち、どの様に進んできたのかそこから再認識するのはどうだろうか?明らかに大きな分岐点に、我々は立っている。より良い選択をする上で、過去を参考にすることは大切だと言えよう。
何故今、この様に面倒な話をするかといえば他国の振る舞いを見ても、我々はあまりにも隣国などからぞんざいな扱いを受けているのは明らかだからである。